28年前、日本は28年ぶりの五輪出場を果たした。あのとき、銅メダルを獲得した68年メキシコ五輪のことを、ほとんど江戸時代の出来事のように感じていたわたしには、いまの若い世代にアトランタ五輪の重要性を説いたところで、響くとは思えない。ただ、いわゆる“マイアミの奇跡”と呼ばれた彼らの活躍がなければ、日本のサッカー界はまったく違ったものになっていただろうという確信はある。

 

 93年にはじまったJリーグは、最初の停滞期に入りつつあった。チケットを巡って恐喝事件が起きるほど加熱した当初の熱気は消え、広島、大阪といったエリアではスタンドに空席が目立つようになっていた。ドーハで敗れ、鳴り物入りでセリエAジェノア入りしたカズの挑戦が成功したとは言い難い形で終わったことで、長く言われてきた「日本人にサッカーは向いていない」論が、またぞろ頭をもたげつつあった。

 

 もし、そんなタイミングで行われた五輪予選でまたしても敗退を喫していたら。28年ぶりに出場した五輪で、爪痕を残すことなく惨敗を喫していたら。日韓が参加しなかった02年のW杯予選を勝ち抜き、しかし本大会で惨敗した中国のその後を見れば、いまとはまったく違った日本を思い描かざるを得ない。

 

 だが、彼らは勝ち抜き、爪痕を残した。下火になりかけたサッカーの人気は再び拍車がかかり、それがジョホールバル、あるいは中田英寿の海外挑戦へとつながった。

 

 だから、見方によっては日本のサッカーは五輪によって救われた、ということもできる。

 

 同じ……とまではいかないまでも、似たようなことが、28年後の日本でも起こっている。

 

 W杯カタール大会以降、天を衝かんばかりの勢いで伸び続けた日本人の鼻は、アジア杯の惨敗によってへし折られた。もはやアジアに敵なし、といった空気は見事なまでに霧散霧消し、五輪最終予選前には、本大会どころか、予選突破すら危ういといった論調が勢いを増した。

 

 そうした流れにまたしても歯止めをかけたのは、五輪代表の戦いぶりだった。

 

 彼らが戦ったのは、オーストラリアや韓国、サウジが出場権を獲り逃す、この四半世紀でもっともタフな最終予選だった。10人での戦いを余儀なくされたとはいえ、中国にはあと一歩のところまで追い込まれ、韓国には苦杯を喫した。決勝戦のウズベキスタン戦は、前園真聖や川口能活が戦った伝説のサウジアラビア戦以来と言ってもいい厳しい一戦だった。

 

 それでも、大岩監督率いるチームは勝ち抜いた。傷は負っても、致命傷はきっちりと避けるスタイルは、紙一重のようで、しかし一定以上の余裕がなければできるものではない。個人的には、知らず知らずのうちに身につけていたらしい、日本サッカーの底力を垣間見た気がした。

 

 サッカーにしても経済にしても、調子に乗るととことん乗りまくる半面、落ち始めると徹底的に自虐しがちな日本の国民性を考えると、今回の勝利はあとになってより大きな意味を持ってくるように思える。何より、極端な悲観論はこれでひとまず収まるだろう。過信は危険だが、卑屈には百害しかない。そして、ひとまず危機は回避された。

 

 28年前は、若い選手たちがつくった流れにA代表が乗った。期待するのは、当然、その再現である。

 

<この原稿は24年5月9日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>


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