韓国に衝撃が走っている。男子サッカーがパリ行きの切符を取り逃しただけでなく、女子のサッカー、男女のバスケットもバレーも、ことごとくアジアの壁を突破できなかった。結局、パリ行きが決まった球技は女子ハンドボールのみ。パリに派遣される選手数は、76年のモントリオール五輪以来最少になる見込みだという。

 

 一方で、日本の球技は快調に本大会出場を決め、メダルを期待されるレベルの競技も少なくない。とかく日本をライバル視しがちなお国柄からすると、到底我慢がならない、といったところだろう。

 

 ただ、この韓国スポーツの低迷、わたしはまだしばらく続くとみている。

 

 実は、いま彼らが直面している問題は、かつて日本が通り抜けてきた問題でもある。

 

 20世紀の日本人にとって、五輪、スポーツは国威発揚のための機会だった。国威発揚のために64年の東京大会を開催し、国威発揚のために選手にはメダルが期待された。

 

 まだ敗戦の傷が癒えず、経済も発展途上だった時代の日本人は、現代よりもはるかに強く、スポーツがもたらしてくれる喜びや誇りを必要としていた。古橋広之進が世界記録を出すことで、白井義男が世界フライ級王者になることで、多くの日本人が誇りを抱くことができた。東京五輪の柔道無差別級で神永昭夫がオランダのヘーシンクに敗れたときは、国全体が意気消沈した。

 

 だが、国威発揚のために選手を鍛え上げるシステムは、国が豊かになっていくにつれ、少しずつ軋みを生じさせていく。他の国が「10」しかやらないところを、スパルタで「15」まで突き詰めるというやり方も、相手に研究されることでアドバンテージを失っていった。五輪本大会におけるメダル獲得数は、韓国に抜かれ、中国に抜かれ、ついには本大会出場自体を果たせなくなる競技が増えた。

 

 ちょうど、いまの韓国のように、である。

 

 では、いかにして日本は不可避とさえ言われた長期低落傾向にピリオドを打つことができたのか。理由の一つに、学校スポーツ頼みからの脱却があるとわたしはみている。

 

 国がスポーツを国威発揚の機会として利用したように、スポーツを通じて知名度アップを狙う学校は依然として少なくない。国家同様、学校が求めるものもまた、勝利、結果である。

 

 だが、国としての成熟と地域密着型のスポーツクラブが増えたことで、日本のスポーツには、「楽しむ」という価値観が加わった。苦行、求道を美徳とする考え方が主流だったこの国に、少しずつではあるものの、娯楽としてのスポーツが広がっていった。

 

 結果として、底辺と入り口が拡大した。子供たちは以前より多くの選択肢を持つようになり、国としての人口が深刻なレベルで減少しているにもかかわらず、スポーツの国際競争力は増すという相当にレアな現象がこの国に起きた。

 

 本来、スポーツが「ゲーム」であることを考えれば、日本がスポーツのあるべき姿に近づいただけ、ということもできる。では、韓国は日本を教訓とすることができるだろうか。

 

 できないことは、ない。ただし、現状を変えていくうえで最大のネックになるのは、日本を相手にした際の勝利至上主義。この呪縛から解き放たれない限り、韓国スポーツと「楽しむ」という考え方は、水と油の関係であり続けるだろう。

 

<この原稿は24年5月16日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>


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