この時、私は2歳だから、もちろんこの試合は覚えていない。しかし「吸血鬼」の恐ろしさは身に染みて知っている。テレビで試合を観た日はこわくてひとりでトイレに行けなかった。

 1962年4月23日、東京体育館。フレッド・ブラッシーは力道山に奪われたWWA世界ヘビー級王座を奪還するために来日した。

 記者会見でのパフォーマンスが凄かった。何と報道陣の目の前でいきなりポケットからヤスリを取り出し、これみよがしに自らの歯をゴシゴシ研ぎ始めたのだ。

 力道山との一戦は壮絶を極めた。あたかもバンパイヤのように両手を大きく広げ、歯をむいて力道山の顔にガブリ。噴き出した血をおいしそうに舐め、カメラ目線で不気味に笑うのだ。

 このブラッシーの“凶行”は社会問題にまで発展した。テレビを観ていた老人がショックのあまり心臓発作を起こし、帰らぬ人となったのだ。

 少年時代、ブラッシーがブラウン管に登場するとあちこちの家で悲鳴が上がった。豊登や馬場の顔にガブリと噛みつく。返り血を浴びた銀髪が朱に染まり、スポットライトに煌々と照らし出されるさまはまさに地獄絵図そのものだった。

 父親は大のプロレス好きだった。ある日、小学校から帰ると電気屋さんが何人か家にやってきていた。「流血が最もきれいに映るカラーテレビはどれかのう?」。父親が購入したのはS社のテレビだった。

 今にして思う。ブラッシーこそはカラーテレビの時代のヒーローであり、カラーテレビの陰のセールスマンでもあった。


※二宮清純が出演するニッポン放送「アコムスポーツスピリッツ」(月曜19:00〜19:30)好評放送中!
>>番組HPはこちら



◎バックナンバーはこちらから