監督業の難しさ

facebook icon twitter icon

 セガサミー野球部は都市対抗野球東京都二次予選で敗退し、本戦出場を逃しました。日本一の応援団を今年は東京ドームに連れて行けず、ファンや会社にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。チーム状態がなかなか上向かないまま初戦を迎えてしまったことが敗因かなと思っています。

 

 プロ野球は交流戦がスタートしました。5月31日時点で既に2カード4試合(雨天中止を除く)を消化していますが、今回は締め切りの都合上、この数試合を観られていませんので交流戦全体の見どころをお話しさせていただきます。ここまで状態のいいチーム、悪いチームがいますが、交流戦はその流れを変える機会でもあります。どのチームも各カードの頭を取ること、つまり初戦に勝利することが大事です。交流戦ではDH制の有無による采配の妙があるので、各チームの起用法にも注目しています。

 

 その交流戦前には、私のPL学園高の後輩にあたる松井稼頭央監督(埼玉西武)が休養を発表しました。とても残念です。もう少し辛抱して欲しかったな、と言うのが正直な気持ちですが、フロントと松井監督が話し合った結果なのでしょう。

 

 今季の西武は連敗が多かった。2連勝、3連勝することはありましたが、歯車が噛み合いませんでした。チームを勢い付けるようなバッターがなかなか出てきていない印象があります。近年主軸を任されていた山川穂高選手がFAで福岡ソフトバンクに移籍。ここ数年、主力選手の流出が目立ちます。試されている選手がチームの主軸に成長し切れていない。黄金時代のように職人肌の選手が少ない気がします。

 

 松井監督については、誰もが彼を「優しい」と証言します。私も彼の性格を知っていますが、聞き上手で人格者であることは間違いありません。もし試合に勝っていれば、「選手ファースト」の指導法として評価されていたでしょうが、結果が伴わなければそうはいかない。そこは勝負の世界の厳しさであり、監督業のシビアな現実です。

 

 もし渡辺久信監督代行が指揮を執った後もチームの成績が上向かないようであれば、休養を解除するというのもありではないでしょうか。リフレッシュした後の松井監督が、どのような采配を振るうのかにも興味があります。いずれにしても指導者として、また戻ってきて欲しいですね。

 

ロバーツ監督のコミュニケーション力

 メジャーリーグに目を向ければ、ロサンゼルス・ドジャースのデーブ・ロバーツ監督はコミュニケーション力と決断の早さが光ります。ムーキー・ベッツ、大谷翔平、フレディ・フリーマンのMVPトリオの1、2、3番はほぼ不動。4番でキャッチャーのウィル・スミス選手は休養を与えることもあり、打順も4番以降は柔軟に組む印象です。

 

 またロバーツ監督は試合中、マウンド上でリリーフ投手を抱き締めて励ましたことが日本でも報じられました。26日(現地時間)、敵地でのシンシナティ・レッズ戦でヨハン・ラミレス投手が2者連続でデッドボールを与えた直後の出来事でした。

 

 フィールド・マネジャーとしてやれることはやる。ロバーツ監督はおそらく「信じているぞ」と声を掛けたのでしょう。ラミレス投手は6日前にトレードで加入したばかり。前日も2死球と苦しんでいました。間の取り方は大事です。交代の際にもピッチャーに一声掛けるか掛けないかで、選手の気持ちを助ける場合もあります。もちろん優しい言葉ばかりではなく発破をかけることもあるでしょう。

 

 大事なのはタイミング。もちろん声を掛けたり、間を取ったりすることが裏目に出ることもあります。私も監督として大事な試合、局面ではピッチャーやバッターに声を掛けます。あそこで行っとけばよかったという後悔はしたくない。行くかどうか迷う時もありますが、行ってやられたなら、仕方がありません。あくまで勝利に導くのが指揮官の役割。勝ちを積み重ねていくことで信頼が集めていくしかないのです。

 

 最後に5月5日に亡くなったカープ時代の後輩のキヨ(清川栄治)の話をさせてください。現役時代は、淡々と投げながら相手をねじ伏せる頼もしいリリーフピッチャーでした。バッターとしては掴みどころのないピッチャーだったんじゃないかなと思います。キヨは私の1学年後に大阪商業大学からカープに入団しました。所属するリーグは違いましたが、大学選手権などで対戦したこともあります。

 

 互いに2軍のコーチを務めていた時はキヨが、いつも家まで車で迎えに来てくれました。他愛もない会話をしながら球場に向かいました。とても話しやすかった。報道でも彼の性格について伝えられていますが、人徳があり、誰からも好かれる男です。キヨは私と違って余計なことを言わないタイプでしたね。

 

 闘病中ということは昨年聞いていました。本人が「西田さん、必ず治療して帰ってきます」と言っていたので、私も復活を信じていたのですが……。残念でなりません。ご冥福をお祈りします。

 

 それでは今月はこのへんで。

 

<このコーナーは毎月1日更新です>

 

西田真二(にしだ・しんじ)プロフィール>
1960年8月3日、和歌山県出身。小学3年で野球を始める。PL学園高、法政大学を経て、83年にドラフト1位で広島カープに入団。高校時代は78年夏にエース&4番として甲子園優勝に貢献した。大学時代は5度のベストナインに輝くなど、3度のリーグ優勝に導いた。プロ入り後は左投げ左打ちの外野手として、91年のセ・リーグ優勝に貢献するなどカープ一筋13年で現役を終えた。現役引退後は野球解説者を経て、カープ、四国アイランドリーグ(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛、香川などで後進を育成。20年よりセガサミー野球部の監督を務める。

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP