阪東がエドウィン・バレロ(帝拳)と拳を交えたのは2005年9月に遡る。「連続1ラウンドKO」の世界記録(当時は15試合連続。18試合まで記録を伸ばしたが、その後記録は破られた)保持者バレロへの挑戦者が公募された。
(写真:自らを奮い立たせる“ヒーロー・ポーズ”)
「バレロ相手に1ラウンド耐えられれば100万円。バレロは1ラウンドでKOすれば100万円」
 挑戦者として名乗り上げたのが阪東だった。“阪東、賞金マッチに挑戦”。そんな報道がなされた。しかし事実は少し違った。
「ある日ジムで“世界ランカーと試合やらんか?”と会長に聞かれたので、“やる”と答えた。サウスポーということぐらいしか情報はなかったが、勝てば世界ランキング入るということで」
「100万円」と「応募」は後日、新聞で知ることになる。

 試合の結果は阪東が1ラウンドTKO負けを喫し、100万円はバレロのものになった。玉砕した阪東だったが、豪打バレロを相手に果敢に前に出る姿勢が賞賛を浴びた。1ラウンドの間、なんとか距離をとって逃げ切り、100万円を手にしようとは考えなかったのか。
「あそこで逃げたら終わりですよ。“逃げたやつだ”とか言われて。それに、そんなボクシングつまらない」
 
 多くのボクサーと同様に世界王者を目指していた阪東だが、この試合を境に変わった。“バレロと戦うこと、倒すこと”がボクサー・阪東の存在理由となった。
「バレロ戦」と「世界戦」はどちらが魅力的か? 普通のボクサーなら「世界戦」と答えるだろう。ところが阪東に同じ質問をすると、「バレロ!」と即答する。
「バレロに勝てば世界チャンピオンになれるでしょう」
 阪東にとって、バレロと世界王者イコールで結ばれている、絶対的な強さを持つ存在として映っている。

 その後、バレロは自慢の豪打に磨きをかけ、24戦全勝全KOの完璧なレコードを持つ怪物王者へと成長を果たす。

 6月12日の日本武道館、阪東ヒーローは内山高志(ワタナベ)と東洋太平洋王者の座を懸けて死闘を繰り広げた。その同じリングにバレロは登場した。WBA世界スーパーフェザー級王者として、挑戦者・嶋田雄大(ヨネクラ)を7回TKOで葬り、自らのレコードにKOをまたひとつ積み重ねている。

 現在、バレロは次戦に1階級上げて「WBCライト級王者・マニー・パッキャオ(フィリピン)に挑戦する」という話が出ている。パッキャオはアジア人初の4階級制覇を達成した伝説のボクサー。バレロが標的としてきた男だ。バレロはパッキャオを倒すことで自らも伝説の域に足を踏み入れようとしている。
(写真:阪東の標的であるバレロ)

「バレロに負けてもらったら困るけど、多分勝つのはパッキャオ。パッキャオ好きなんですよ。一目見ただけで闘志が沸いてくるじゃないですか」
 阪東はひとりのボクシングファンのように目を輝かせた。しかし、あくまでも阪東のターゲットはバレロである。それはこれまで何度も公言されてきた。内山戦の記者会見でも、「バレロへの通過点」という言葉を繰り返した。

人生を変えた男
「(バレロは)1つ年下なんですけど、自分を変えてくれたというか、尊敬しています。そんなふうに思った選手は彼しかいません」
 事実、阪東はバレロ戦を機に変化を遂げる。それまでとは比較にならないほど練習に打ち込み、5連勝と結果も残した。

 しかし阪東は、そのバレロでさえビデオで研究しようとはしない。
「戦いたいのは今のバレロじゃない。僕とやった時の殴り合いをするバレロ。あの時のイメージしかないですね」
 バレロは激戦を重ねることで、技術を磨き、巧さを身につけた。加えて阪東戦は賞金がかかっていたこともあり、バレロのプレッシャーたるや凄まじいものがあった。バレロは後に、KOを狙った試合は阪東戦だけだと明かしている。

 もし、バレロと出会っていなかったら……
「多分、もう結婚していますね。すでにボクシングはやめていたでしょう」
 バレロは阪東の人生を変えた男なのだ。

 阪東の復帰戦は10月に予定されている。所属ジムの興業でメーンを張る。しかし、“いつも通り”相手に興味はない。
「相手には申し訳ないけどバレロのことしか頭にないんです。もう一度戦うために絶対に負けられない通過点ですね」

 阪東の現在のランキングは日本スーパーフェザー級4位。「唯一であり最大の目標」のバレロ挑戦のための道のりは険しく、取りこぼしは許されない状況だ。

「バレロとやらないと人生終われないですよ」
 笑顔で語る阪東だったが、その眼には一点の曇りもなかった。
 27歳、阪東ヒーローの怪物王者挑戦への道は終わらない。

(終わり)

阪東ヒーロー(ばんどう・ヒーロー)プロフィール
本名は阪東浩徳。ファミリーフォーラムジム所属。1980年11月29日、愛媛県伊予郡出身。小学3年の頃に父親にジムに連れて行かれてボクシングと門田新一会長に出会う。中学卒業後、ジムの東京進出と同時に上京し、17歳でプロデビューを果たす。東日本新人王準優勝。05年9月、“賞金100万円”が懸かったエドウィン・バレロ戦の勇敢な戦いぶりが賞賛を集め、注目を浴びる。08年6月、自身初のタイトルマッチとなった一戦でOPBF スーパーフェザー級王者・内山高志に挑むが、惜しくも判定負けに終わる。プロ戦績は19勝8KO9敗6分。身長172センチ。





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