9月、2010年南アフリカW杯アジア最終予選が開幕した。日本代表は初戦となるアウェーでのバーレーン戦に勝利し、4大会連続本大会出場を目指して好発進をした。彼らが勝利した1週間後、全く異なる形で世界に挑戦しヨーロッパの新天地でシーズン開幕を迎えた日本人FWがいる。
 福田健二、30歳。今から4年前に単身南米の地へ渡り、パラグアイ、メキシコ、スペインと様々なリーグで点取り屋として活躍し、今年の8月からは自身4カ国目となるギリシャに活躍の場を求めた。

 日本人選手の海外移籍といえば、日本で実績を残した選手がヨーロッパのクラブへ移るというのが一般的なイメージだろう。あるいは若手選手が、南米のブラジルやアルゼンチンというサッカー大国へ渡り、スキルアップのために修行するというのが多くの日本人が辿ってきた道だ。しかし、福田は南米でもあまり馴染みのないパラグアイの地へ渡り、海外でのキャリアをスタートさせている。そもそもなぜ、彼は日本を飛び出し、海外でサッカーをすることになったのだろうか。

 福田は1996年に千葉・習志野高校から名古屋グランパスエイトに入団した。高校時代にはインターハイで全国制覇をするなど輝かしい経歴を持ち、名古屋では大型FWとして期待されていた。入団直後から頭角を現わし、98年に18ゴール、99年に13ゴール(カップ戦を含む)。クラブは天皇杯制覇やJリーグでの上位進出を果たした。この間にはU−22日本代表にも呼ばれ、中田英寿、中村俊輔(現・セルティック)、柳沢敦(現・京都)ら錚々たるメンバーと共に、アジア最終予選を戦いシドニー五輪出場権獲得に貢献している。さらには日本代表候補にも選出され、まさに順風満帆なサッカー人生を送っているように見えた。

 しかし、福田自身は全くそのような思いを持っていなかったという。

「名古屋に入団する前から、海外でサッカーをやりたいという気持ちを持っていました。実は高校生の時にアルゼンチンのロサリオ・セントラルというチームからオファーがあったんです。しかし当時の名古屋にはベンゲル監督(現・アーセナル監督)、ストイコビッチ(現・名古屋監督)をはじめ、素晴らしい人たちがいました。周囲の方の話も参考にして、彼らと一緒にサッカーをして2、3年間勉強してから、海外に行けばいいかなと考えていたんです。

 入団3年目には1年間で20ゴール近くを挙げて、これで『よし、海外に行こう』と思ったんですけど、いざ移籍の話をしようとなったら契約の問題などでダメだと言われてしまった。次の年にも10何点か取って、『これで海外に行ってもいいですか』と言ったら、またダメだと言われてしまったんです。結果を出せば、道は開けると思っていたんですが、実際はそううまくいかなかった。これでサッカーに対するモチベーションが下がってしまっていました」
 
 福田の言葉どおり、2000年を境に成績は目に見えて落ちていった。00年に挙げた得点はわずかに4点。アジア予選を共に戦った中田英や中村俊らはシドニー五輪に出場したが、福田は自身の不調から本大会のメンバーからは漏れてしまう。翌01年も3点しか取れず、名古屋からFC東京に移籍。そこでも思ったような結果は出ず、苦しい時期が続いた。03年には仙台へ移籍したものの、結果は同じ。逆に海外サッカーへの想いは日増しに膨らみ、どんどん目の前のサッカーに集中できなくなっていった。

「小学校の頃から裕福とは言えない家庭環境だったので、中学生の時にはサッカーで身を立てようと思っていたんです。中学校までは義務教育だから学校に行って、その後はすぐにブラジルに行こうと決めていました。

 学校で進路希望調査があった時に『進路希望:ブラジル』って書いて先生に思いっきり頭を叩かれましたね。『オマエ、真剣に書け』って(笑)。でも、僕は本気だった。高校1年の時にJリーグが開幕して日本にもプロリーグができましたが、中学の頃までは、サッカーのプロと言えば海外のリーグでしたから」

 思い悩んでいた福田に救いの手を差し伸べてくれたのは、小学5年のときから同じサッカークラブに所属していた旧友・廣山望(現・東京ヴェルディ)だった。

「彼とは小学から高校までずっと一緒でした。昔からサッカーがうまいし頭も良かった。同じ歳ですし、常にライバルというか、勉強では勝てないからサッカーでは絶対に負けたくないという存在ですね。そんな廣山が01年から南米に行ってサッカーをしていた。彼が僕の状況を見て『(海外に)行ってやってみれば』と言ってくれたんです。彼の言葉がなければ、今の僕はないかもしれないですね」

 廣山からエージェントを紹介してもらい、海外への道を模索し始めた。そして福田に目をつけてくれたのはパラグアイのグアラニというクラブだった。

「代理人の方から『日本で貰っていた給料よりかなり減るけれど、チャンスがあるからどうだ』と言われました。その時は、自分としてはお金よりも自分の力を試すいいチャンスだと思い、すぐに日本を飛び出しました」

 高校時代にアルゼンチンからのオファーを断ってからすでに8年が過ぎていた。04年、パラグアイの地から、福田健二の海外挑戦は始まったのである。


福田健二(ふくだ・けんじ)プロフィール>
1977年愛媛県新居浜市出身。千葉・習志野高校から96年に名古屋グランパスに入団。アーセン・ベンゲル監督(当時)に見出され、FWとしての才能を一気に開花させる。チームの天皇杯獲得などに貢献し、日本代表候補にも選出。2001年にFC東京、03年にはベガルタ仙台に移籍し、04年から海外へ。3カ国6チームを渡り歩き、各クラブでFWの中心選手として活躍した。04、05、06年はシーズン10得点以上を記録し、南米からヨーロッパに渡った数少ない日本人FW。今年8月からはギリシャリーグ・2部のイオニコスに移籍した。福田健二選手ブログ「kenji fukuda BLOG」http://blog.kenji-fukuda.com/





(大山暁生)


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