「本当に死んでしまうのではないか」
 メキシコ・パチューカに移籍しての初練習で、福田の表情は青ざめていた。練習自体が厳しかったわけではない。その場所が問題だったのだ。移籍当初、福田を苦しめたのは、パチューカという場所だった。なんと標高が2400メートル。富士山の6合目にあたる高地が、福田にとってホームタウンになったのだ。
「少し走っただけで、まるでアニメのように目の前に星が飛ぶんです。こんな経験は初めてでした。開幕前の練習ではチームの中で一人だけ倒れていましたね。それを見て、コーチたちも半分呆れ顔で“もうやめていいぞ”って言っていました。

 でも、やめるわけにはいかなかった。ここでやめたらすぐクビになってしまいますから。自分が持っているありとあらゆる知識を総動員してどうしたらいいか考えましたね。体のどの部分をつかって呼吸するとか、姿勢をよくしてみるとか。色んなことを試しました」

 一般的に高地に慣れるには1カ月ほどかかるという。しかし、サッカー選手なら2週間くらいで慣れてくるという話を周囲から聞いていた。福田もどうにか2週間で、他の選手と同様にトレーニングができるようになった。福田には2週間で必ず適応しなければならない理由があった。

「サッカーの世界でよく言われるんですが、“契約の時点で日本人はマイナス30ポイントから始まる。逆にブラジル・アルゼンチンの選手はプラス30ポイントから始まる”と。彼らが少しでも目立ったことをやると、すごいすごいということになる。

 でも、僕が小さなミスをしただけで、やっぱり日本人はダメだなって。だから、少しでもミスをしないようにしていた。環境に慣れることも一緒ですね。少しでも弱いところを見せたら、すぐに失格の烙印を押されてしまいますから」

「早い段階で結果を残さなければいけないのは、どこの国でも一緒」と福田は言う。迎えた開幕戦。その言葉通り、1ゴール1アシストの活躍を見せ、チームを2−1の逆転勝利に導いた。福田はこの試合で、クラブからの信頼を勝ち取った。

 パチューカで6カ月、続いてイラプアトで6カ月プレーし、1年間で福田が挙げたゴールは22。これはリーグ3位の成績だった。助っ人FWとしてメキシコで十分な結果を残したのだ。福田自身、メキシコの地が合っている感覚を持った。

「実は1部のクラブからも声をかけてもらっていたんです。外国人枠の問題で移籍は叶わなかったんですが、この地できっと花開くだろうというつもりでやっていました。今まで4カ国で過ごしてきましたが、一番気に入っている土地は今でもメキシコです」

 2005年当初、メキシコから離れるということを全く考えていなかった福田は、意外な形でヨーロッパに渡ることになる。

「ちょうどメキシコでいくつかのクラブと交渉をしている時に、スペイン2部のカステジョンというクラブからテストを受けないかという話をもらったんです。僕の気持ちとしては、テストを受けている間に交渉がまとまってくれればいいという心づもりでスペインに渡りました。

 テストを受けた時に紅白戦があって、開始30分くらいでゴールを決めた。それを見ていたクラブの首脳陣が“コイツはいい”ということになって、その場でサインを求められました。メキシコに未練があったのですが、クラブは僕のようなFWが必要だと熱心に誘ってくれたんです」

 福田は悩みながらもスペインへの移籍を決意する。後ろ髪をひかれる思いでメキシコを後にしたわけだが、「行ったら行ったで、また新しい夢が始まった」。このポジティブな考え方が海外で活躍していく秘訣なのだ。

 05−06シーズンに移籍したカステジョンは、2部とはいえ、リーガ・エスパニョーラに所属するクラブだ。スペインリーグは世界的ビッグクラブであるレアル・マドリッドやバルセロナなどを除き、1部の中位クラブから2部クラブまでの実力は拮抗している。実際にプレーした福田もレベルの高さを肌で感じた。

「サッカーのレベルは高かったですね。メキシコのピッチに比べるとスペインの芝は短いんです。ただでさえ止まりにくい芝なのに、そこへ水を撒いてボールが滑るようにするんです。これがスペインサッカーのスタイルで、スピーディーなサッカーができるように演出している。

 もちろん、選手には正確なボールコントロールと速いシンキングスピードが要求されます。スペインに渡ってから、パスのスピードが2倍くらい速くなったように感じました。はじめのうちはボールキープすらできませんでしたから」

 さすがの福田もこのピッチに慣れるには多少の時間がかかった。だが、結果の出ない時は、自分の中で「今はしっかりと準備をする時だ」と割り切った。ただ、その間プレー以外でクラブに溶け込もうとした。過去にリーガ・エスパニョーラに挑戦し、その壁にはね返されてきた日本人選手と福田との差はここにあるのかもしれない。

「僕のスペイン語は南米で覚えたこともあって、スペイン人が何を言っているのかわからなかった。すぐに慣れましたが、最初のうち、オマエは田舎モノだとバカにされました(笑)。

 彼らは本当によくしゃべるんです。遠征する際、バスで10時間移動なんてことがざらにありました。10時間なら10時間、まるでおばちゃんたちのように、スペイン人はずっとおしゃべりしているんです。そのうち、サッカーの話題は2割くらいでした。残りの8割はテレビゲームの話だとか、家族の話だとか、昨日の夕飯は何を食べたとか。そんな話ばかりです。僕もがんばって6時間くらいは付き合いましたよ(笑)。ああいう環境に行って、仮にスペイン語が話せなかったらたまったもんじゃない。日本から直接来ていたら、相当苦しんだと思います」

“準備期間”が功を奏したのはヌマンシアに移籍した06−07シーズン。40試合に出場し10得点を挙げチーム得点王となった。翌シーズン、福田はさらなるステップアップを目指し、2部の中でも名門であるラス・パルマスへ移籍する。スペインに渡った時に抱いた夢、1部リーグであるリーガ・エスパニョーラ・プリメーラ・ディビシオンでプレーするためだ。

 しかし、ラス・パルマスで福田を待っていたのは厳しい現実だった。


福田健二(ふくだ・けんじ)プロフィール>
1977年愛媛県新居浜市出身。千葉・習志野高校から96年に名古屋グランパスに入団。アーセン・ベンゲル監督(当時)に見出され、FWとしての才能を一気に開花させる。チームの天皇杯獲得などに貢献し、日本代表候補にも選出。2001年にFC東京、03年にはベガルタ仙台に移籍し、04年から海外へ。3カ国6チームを渡り歩き、各クラブでFWの中心選手として活躍した。04、05、06年はシーズン10得点以上を記録し、南米からヨーロッパに渡った数少ない日本人FW。今年8月からはギリシャリーグ・2部のイオニコスに移籍した。福田健二選手ブログ「kenji fukuda BLOG」http://blog.kenji-fukuda.com/




(大山暁生)


<小学館『ビッグコミックオリジナル』11月5日号(今月20日発売)の二宮清純コラム「バイプレーヤー」にて福田選手のインタビュー記事が掲載されます。そちらもぜひご覧ください!>
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