今年7月に現役を引退した野茂英雄がオリックスの秋季キャンプで3日間限りの臨時コーチを務めました。野茂をひと目見ようと、キャンプ地には連日、大勢のファンが詰め掛けたようですね。日本人メジャーリーガーのパイオニアとして活躍した野茂への人気は、国内でもまだまだ熱いということを改めて感じました。
 野茂がコーチを引き受けたことに、驚いた人も少なくなかったことでしょう。しかし、オリックスの大石大二郎監督や佐々木修投手コーチとは近鉄時代、ともに日本一を目指して汗を流した間柄。お互いに尊敬しあい、野茂が海を渡ってからも友好的な関係を保っていましたから、自然な流れだったと思います。

 今回野茂は今シーズン2位の躍進に貢献した金子千尋投手や山本省吾投手にツーシームやフォークボールを教えていましした。“伝家の宝刀”と呼ばれているフォークは私も現役時代に野茂から教わったことがあります。彼のアドバイスは実にシンプル。主として言われたのは「思いっきり腕を振ってワンバウンドを投げるつもりで投げること」と、「反復練習の重要性」の2点でした。もちろん、そのほか力の入れ具合や腕の振り方など細かいことも言ってくれるのですが、難しいことをアレコレ言うのではなく、その人に合ったものを繊細にわかりやすく的確にアドバイスしてくれるのです。

 指導者によってはマイナス面ばかりを指摘する人もいますが、野茂は違います。「君のいい所はこういう部分だから、こうしたらもっとよくなると思うよ」とプラス面をさらにプラスにするような指導なのです。私がフォームを崩した時には「あれがダメ、これがダメ」という言い方ではなく、いい時の私の投げ方を思い出させてくれました。

 こうしたやり方は近鉄時代の仰木彬監督の影響が大きいと思いますね。仰木監督は選手のマイナス面を補うというやり方ではなく、プラス面に対して自信をもたせるという指導方法でした。そして努力している選手に対して決して諦めない。この姿勢を野茂も私も、そして当時の近鉄のチームメイトは学んだのです。

 秋季キャンプではマウンド上での気持ちの持ち方についても、オリックスの投手たちは学んだようです。「全てに理由がある」というのが野茂の考え方。ピッチャーがバッターに打たれてしまった場合、必ずそこには理由がある。ですから「精一杯投げて打たれたら仕方ないや」で終わらせるのではなく、打たれた理由をその場で分析できる冷静さが必要なのです。そして当然のことながら、どんな強打者にもどんな場面でも「抑えてやる」という強い気持ちでバッターを迎えることができるか、ということも大事です。

 もちろん、オリックスの投手陣もこれらの重要性は頭では理解できていたと思います。しかし、野茂のように日米で成功した選手に改めて言われたことで一層の確信を得ることができたことでしょう。

 野茂がメジャーリーグでもあれだけの活躍ができたのは、こうした技術面以外の点も大きく影響していると思いますね。私が現役時代に驚いたのは、野茂の練習メニューの多さです。普通に考えれば、年齢を重ねていくうちにムダなものを削ぎ落として、“短く濃い”練習にスイッチしていくと思うのですが、野茂は逆に若い頃よりも増えていました。やるべきことをしっかりとやった上で新たなことにトライするのが野茂のやり方。ですから、毎年メニューが増えているのです。私はそれを聞いて「あぁ、やっぱり世界のトップで活躍するような選手は違うな」と痛感させられました。

 秋季キャンプでの最終日には野茂がブルペンで投げました。まさか投げるとは思っていなかったので、正直私もビックリしました。しかし、同時に私にはある期待感が生まれました。それは野茂の“現役復活”です。実際、メジャーでは一度引退した選手が復帰することはそう珍しいことではありません。力さえあれば、いつでもカムバックできるのがメジャーの世界です。秋季キャンプであれだけのピッチングを披露できたのは今でもしっかりとトレーニングを積んでいる何よりの証拠。近いうちに野茂が再び海を渡る可能性も決して否定はできないと思っています。

 そして将来、私が野茂に期待しているのはメジャーの監督になることです。彼はメジャーで酸いも甘いも経験してきました。その豊富な経験を同じ野球を愛する若い世代に伝えていってほしいのです。また、どんなに苦しい状況に追い込まれても、腐ることなく這い上がってきた野茂だからこそ、国内にとどまらず、世界最高峰のリーグで指揮をしてほしい。それだけの経験と強さをもっていると思っています。

 大石監督は来年の春季キャンプにも野茂に臨時コーチを依頼するようですが、今後、野茂がどのようにして活躍の場を広げていってくれるのか、元チームメイトとして非常に楽しみです。

 
佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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