第166回 中村さんの宝石箱 ~ユニバーサル野球・無限の進化~
7月の暑い土曜日。東京都立鹿本学園(東京都江戸川区 堀江浩子校長)で夏祭りが開催されました。ここは身体・知的障害のある児童生徒が通う特別支援学校です。この日は朝から、家族連れが次々と集まり、中には浴衣の子どももいました。笑顔あふれる光景が広がります。
この夏祭りの一角にユニバーサル野球のコーナーが設置されました。誰もが自由に参加でき、バッティング体験を楽しむことができるようになっています。
ユニバーサル野球とは特許取得している本物の20分の1のサイズ(5メートル四方)の野球場です。堀江車輌電装株式会社(東京都千代田区 堀江泰代表)の中村哲郎さんが発明しました。堀江車輌電装は、障害者雇用に積極的に取り組んでおり、中村さんは、インクルーシブ教育・インクルーシブスポーツイベントを担当しています。
ある日、野球好きの重度障害の児童が、中村さんに「ぼくも野球がやってみたい」と話しました。元高校球児の中村さん、居ても立ってもおられず社長に直訴、製作へと道が拓けたのです。
ユニバーサル野球は、とにかく宝の山です。改良に改良を、工夫に工夫を重ねた跡が、そこにもここにも見て取れます。すべての人が野球をできるように、と手づくりしたあらゆる道具が詰まった箱が、それを物語っていました。
バッティングの仕組みはこうです。バットのグリップエンドに紐のつながったピンを差し込みます。紐を引っ張るとピンが抜けてバットがスイングする。ボールが上手く当たるとカキーンと、まるで甲子園のように打球が当たる音が木霊します。
中村さんは言います。
「基本的に壊れません。まあ、壊れてもいいんですけどね(笑)。好きなようにやってもらいます。打ち終わった後、バットにピンを挿すのが楽しい子もいる。芝生をはがすのを楽しそうにする子もいます。もちろんやってもらってもかまいません」
今回の夏祭りでユニバーサル野球を導入した堀江校長が話します。
「バッターボックスに立った時、子どもはスポットライトを浴びているんです。自己有用感を持つことができる。多くの子が“またやりたい”っていいます。一般にスポーツは障害の違いによって格差がでます。ユニバーサル野球は違う。上手い下手でなく、偶然の連続。これは子どもたちに対して、ある意味公平なんです。どの子も“自分ができること”を想像できます。これは大切なことです」
一人ひとりが「自分ができること」を。実は「どんな子でも、野球を楽しむことができる」は中村さんの真骨頂でもあります。この日もこんな場面がありました。
車いすに乗り、時折手を動かすことができる子。普段使っているオーボール(やわらかい樹脂で作られた網目状のボール)に、バットにつながっている紐を接続。オーボールを触ると、紐が引っ張られて打球が飛ぶ仕組みをセットする。
中村さんはこの子に寄り添い、笑顔を送りながら子ども自身のタイミングが来るのを待ちます。ママも寄り添い声をかけます。動きそうになる。でも動かない。これを繰り返します。とても長い時間に感じます。順番を待っている家族も、応援団も、じっとその時を待っていました。
ついに動きました。ボールがカキーンと音を発して飛んでいきます。ママは「すごい。打てた! やったね!」と我が子を称えます。子どもが自分で紐を引くのを待つ、もはや中村さんの執念としか言いようがありません。
「もうちょっと長い紐がいるな~。帰ったら作ろう」と中村さん。
「現場でやるとわかるんです。で、考える。改良する、の繰り返し。野球盤なのに、足があってタイヤがついているでしょ。変だと思いません? イベントに参加した時、“終わったらそのままサーッと移動できませんか?”と言われて、つくりました(笑)」
何に使うのか、どんな役割なのかわからないものばかりがギュウギュウに詰まった箱が3つ。まるで宝石箱です。
ユニバーサル野球の進化は、留まるところを知りません。
<伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>
新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。2024年、リーフラス株式会社社外取締役に就任。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。