「野球やっていて、うれしくて泣いたのは初めてでした」
 オリックスに入団が決まった西川雅人が、今季、うれし涙をみせた試合があった。9月21日、坊っちゃんスタジアムでの香川オリーブガイナーズ戦。西川が所属する愛媛マンダリンパイレーツは優勝までマジック1と迫っていた。この試合で勝つか引き分ければ悲願のリーグ初制覇が決まる。
 磨きがかかったフォーク

 1−0とリードした8回、愛媛の守護神として、既に13セーブをあげていた西川が満を持してマウンドへ上がった。しかし、先頭打者の当たりを外野手が落球する(記録はヒット)など、3連打で無死満塁の大ピンチ。西川は三振で1死を奪ったものの、次打者にタイムリーを打たれて同点に追いつかれる。バックの好守にも助けられ、勝ち越し点こそ与えなかったが、流れは5期連続優勝にわずかな望みを残す王者・香川にきていた。

 この試合がホーム最終戦となる愛媛にとっては、9000人を超えるファンの前で是が非でも胴上げを決めたかった。最終回、言い知れぬプレッシャーが184センチの右腕にのしかかる。「ひっくり返されたら、マズイなと思いましたよ。でも冷静でしたね」。西川は8回のマウンドから、香川の打者がフォークを捨てて、ストレートを狙っていることを感じていた。

「キャッチャーと“フォークでカウントをとって、ストレートを見せ球にしよう”と話をしました。キャッチャーからも“とことん(フォークで)行きますよ”と言われました」
 1死1塁で巡ってきたのは1番・洋輔、2番・智勝の好打順。西川はキャッチャーのリードを信じて、これでもかとフォークを投げた。次もフォーク、その次も……。10球近くフォークを投げ続けた。腕をしっかり振ったボールはホームベースの手前でストンと落ち、バットは空を切る。リーグでもトップクラスの好打者2人もあえなく連続三振に倒れた。その瞬間、負けの消えた愛媛はリーグ4年目で初の栄冠に輝いた。

 最終回のマウンドからベンチに戻ると、監督やコーチの目が潤んでいた。自分の与えられた役割を全うできた達成感に、西川も涙を止めることができなかった。

 この日の投球には、西川の愛媛での進化が凝縮されていた。ウイニングショットに使ったフォークは四国の地で、より磨きがかかったボールだ。社会人時代も投げていたが、本人にとっては決して自信のある武器ではなかった。

 痛恨の1球

 西川にとってフォークといえば、忘れもしない1球がある。2005年、三菱重工神戸時代の都市対抗野球。JR九州との1回戦は7回表を終わって4−1のリード。その裏からリリーフした西川はランナーをひとり置いて、小柄な左バッターを打席に迎える。フォークを投じるとコースは悪くない。相手のバットが反応するのを見て、正直「打ち取った」と思った。

 ところが――。バッターは上体を崩しながらボールの落ち際を叩くと、打球は右中間スタンドの中段へ飛んでいった。1点差に詰め寄る追撃の2ラン。ホームランを放った打者の名前は草野大介。完敗だった。ホンダ熊本からの補強選手としてやってきた草野はこの年、東北楽天から指名を受ける。ただ落ちるだけのフォークではプロレベルの打者には通用しないことを知った。

「フォークは腕をふることが大事。腕を振ることで打者はストレートと見分けがつかなくなる。それが一番大切で難しいこと」
 こう語る西川のフォークがより落ちるようになったのは、愛媛でまさに腕が振れるフォームに修正できたからに他ならない。それまで上半身主導で力任せに投げていた部分を、加藤竜人コーチの指導で、より下半身に意識を集中させるようにした。ブルペンでも納得いくボールが増え、投げる球数もグンと減った。10月にNPBの若手と対戦したフェニックス・リーグで、ボール球のフォークにも手を出す相手を見て、確かな手ごたえをつかんだ。

 実は先のJR九州戦には続きがある。西川は8回をゼロで抑え、最終回を1点リードで迎えた。2死1塁、あとひとりの場面で再び打席には草野。ベンチの指示は敬遠だった。同点のランナーを2塁に進め、サヨナラの走者を出すリスクを背負ってまで、草野との勝負を避けたのである。

「なんで? なんで?」
 大学を出たばかりの西川には納得がいかなかった。冷静さを失った右腕は次打者との勝負に集中できない。気持ちの切り替えができないまま投じたボールは左中間を破られ、二者が生還。三菱重工神戸は逆転サヨナラ負けを喫した。悔しさで涙がこぼれた。

 今の西川なら、同じ場面でどんなことを思うだろう。
「その状況にならないとわかりませんが、それはそれで仕方ないと割り切れるでしょうね。その都度、あれこれ思っていたらやっていられないでしょう。今なら、敬遠した後に牽制で刺してやろうと考えるかもしれません(笑)」

 愛媛での1年間のクローザー生活がピッチャーとして大きく成長させてくれた。「波をなくせ」。それが抑え投手として与えられたミッションだった。悪い時でも悪いなりに抑える。そのためには技術面はもちろん、精神面でのコントロールが重要になる。打たれたことを引きずっている暇はない。ただ、目の前の打者を打ち取ることだけに集中した。
「NPBを目指して愛媛にやってきましたが、シーズン中は意識したことはなかったですね。逆に意識しないように心がけていました。まずはチームが優勝すること。それしか考えていなかったです」

 目標は開幕1軍

 2月に愛媛にやってきた時、どんな結果が出ようとも、野球をやるのは1年限りと決めていた。「今年は思い切り無理をしよう」。今季はリーグ全体で2番目に多い42試合に登板。特に優勝を決めた後期は全40試合の6割以上にあたる25試合で投げた。「西川につなげ」。それがチームの合言葉になった。疲れはあったが、アマチュア時代にたびたび出ていた肩、ひじの痛みはなかった。フォームにムリムダムラが消えた効果がここにも表れた。
 
「悔いないな」
 シーズンを終えた26歳には完全燃焼の思いしかなかった。ここまで自身を追い込んだのは初めてだった。そして、その捨て身の姿勢が夢の扉を開いた。「自分に足りなかったのは、この部分だと気づきました」。だから、NPBでもあまり先のことまでは考えず、目標を1つずつクリアするのに全力を尽くすつもりだ。当面の目標は「開幕1軍」。サインボールに一言添えてもらうようリクエストすると、したためたのは“覚悟”の2文字だった。それが、今の西川の偽らざる心境である。

 西川が小さい頃から憧れる投手は、日本人メジャーリーガーのパイオニア野茂英雄だ。
「野茂さんのフォークって、回転がかかっているんですよね? 僕もその秘密をいろいろ調べたことがあります」
 野茂は近鉄時代の先輩にあたる大石大二郎監督の要請を受け、オリックスの秋季キャンプで臨時コーチとして参加した。メジャーリーグで123勝をあげた大投手の直接指導は好評だった。来春の宮古島キャンプでも“野茂道場”の続きが期待されている。

 その話を向けると、西川は目を輝かせて言った。
「ぜひ野茂さんには自分のピッチングをみてほしいんです。そのためには1軍のキャンプにいないとダメですからね。宮古島に行くためには1月の自主トレが大事。1月の自主トレでアピールするには、この12月を充実した1カ月にしないといけないと思っています」
 12月は自分を育ててくれた愛媛で、トレーニングに励む予定だ。
 
 NPBで対戦したいバッターの名前を訊くと、「草野さんです」と即答した。3年前、完膚なきまでに打たれた相手に、今度こそ真っ向勝負を挑んでみたい。大学時代にMAX152キロをマークしてドラフト候補にあげられながら、社会人、独立リーグと随分、回り道をした。3年分の思いをのせて、ボールを投げ込む時が、もうすぐやってくる。


※今月の当コーナーは先のドラフト会議で四国・九州アイランドリーグから指名を受けた選手を特集します。次週(8日更新分)では丈武選手(香川−東北楽天)を取り上げます。

<西川雅人(にしかわ・まさと)プロフィール>
1982年6月17日、兵庫県出身。岡山理科大付属高から大阪学院大へ。大学時代から速球を武器に注目を集める。三菱重工神戸を経て、08年2月に愛媛へ入団。クローザーとして42試合で3勝0敗13セーブ、防御率1.38。チームの後期優勝に貢献した。MAX152キロのストレートにフォーク、スライダーが武器。攻撃的で三振を奪える投球スタイルが高く評価され、オリックスより5巡目指名を受けた。オリックスでの背番号は64。






(石田洋之)
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