去る12月20日、あるK-1ファイターがセルフプロデュースイベントを開催した。その名も「CHRISTMAS SPECIAL EVENT」。写真展や握手会といったアイドルさながらの内容に会場に詰め掛けた多くの女性ファンから黄色い声援が飛んだ。このイベントの主役は上松大輔。ファッション雑誌の読者モデルも務めるという抜群のルックスで人気急上昇中のファイターだ。
 上松はヘビー級、MAX(ミドル級)に次ぐ3つ目のカテゴリーとして昨年K-1に新設された60キロ級でK-1デビューを果たした。全国中継された7月の試合ではエディ・ユアザパビュチス(リトアニア)を相手に1ラウンドで3度ダウンを奪う圧勝KOで全国にその名を知らしめた。売りはイケメンだけではない。接近戦での打撃技術には定評があり、今後は60キロ級のエースとしての活躍が期待されている。

 デビュー戦を境に上松を取り巻く環境は劇的に変化した。
「外出したときに声をかけられるようになりました。今は1日1回は絶対に声をかけてもらえます。嬉しいですね」
 それだけではない。テレビ放送は家族にも変化をもたらした。
「実はそれまで父方の祖父母は僕がキックボクシングやっていることに好意的じゃなかった。“(松山)東高まで出てもったいない”とか“大学行け”って。でもテレビ見てくれた近所の人に褒められたらしく言わなくなりましたね」

 愛媛県立松山東高校出身。愛媛県でも名高い進学校だ。
「昔からよく勉強しましたね。親には“とりあえず東高に入れ”と言われていました。東高に入れば大学にいくだろうと思っていたんでしょうね。ここ何年で大学受験していないのは僕だけですから」
 小さいころの夢は考古学者。物事を調べることがとことん好きな子供だった。でも小学校高学年になると親に薦められた弁護士、検事という仕事に興味を持つようになっていた。
「担任の先生にも口が達者だから向いているとお墨付きをもらいました。そんなこともあって高校の時には大学は法学部に行こうと考えていました」

 そんな上松に人生のターニングポイントとなる出来事が訪れた。02年、高校3年の夏だった。受験勉強にとりかかる前にたまたまテレビをつけた。テレビはその夜、初めて開催された「K-1 WORLDMAX」の中継映像を映し出していた。目の前で繰り広げられるリング上の戦い。目が離せなくなった。
「今まではヘビー級しかなかった。でもミドル級の戦いを見てこれなら自分もできるんじゃないかと思った。完全に素人の考えですけど……」

 それまで一切格闘技経験はない。高校はラグビー部だった。しかし、ブラウン管の中のKのリングは上松の心を虜にした。その日、高校卒業後は上京してファイターになると決心したのだ。

 突然の「K-1ファイター」宣言。それにも関わらず両親は反対しなかった。
「あんたの人生だからやりたいようにやりなさいと言ってくれました。でも3年やって結果が出なかったら帰ってきなさいと。この前、実家に帰った時に聞いたのですが、両親はプロになるのも無理じゃないかと思っていたみたいです」。

 決意が固まれば行動は早い。候補を絞りいくつかの東京のジムを下見することにした。最初に訪れたのが前田憲作率いる龍道場だった。前田憲作といえば、元WKAムエタイ世界スーパーフェザー級王者。1990年初頭の日本キックボクシング界を牽引した男だ。

 そんな前田は見学に訪れた上松に言った。
「全部めんどう見てやるから、すぐに荷物をまとめて出てこいよ」
 その言葉を聞いて上松の心は決まった。“チームドラゴン 上松大輔”が誕生した瞬間だった。

 しかし、当然のことながら素人がすんなり適応できるほどキックボクシングは甘いものではない。上松曰く「きついどころじゃない。毎日死ぬかと思った」。

 キックボクシングの特徴として、激しいローキックが挙げられる。肉のないすねを激しく蹴られると、激痛が走る。格闘技経験のない上松は、このローキックに苦しめられた。
「足を蹴られて倒れる。それでもすぐ起こされて、また蹴られる。その繰り返しでした」
 練習が終わった時には立てないこともあった。それでも上松の心は折れなかった。激しい蹴りに何度も何度も耐えているうちにキックボクサーの硬い足は形成されていった。
 
 龍道場に入門して2カ月後には、こんな事件も起きた。練習中、当時、世界王者として活躍していた小比類巻貴之(現・太信)の膝蹴りが顔面に入った。瞬く間に鼻から血が滴り落ち、激痛が走る。鼻の骨が折れたのだ。それでも上松はジムに通い続けた。キツイ練習を耐えられたのはなぜか。
「うちのジムって他と違ってみんな一緒に練習するんです。プロコースは1時から5時の間に。年も近いし、部活みたいな感覚でした」
 一緒に練習する仲間の存在がよりどころだった。“練習はきついがみんなもきつい”。自分だけ逃げるわけにはいかなかった。

(第2回につづく)

<上松大輔(うえまつ・だいすけ)プロフィール>
1984年10月3日、愛媛県松山市生まれ。松山東高校3年の時にテレビで見た「K-1 MAX」を見てK-1ファイターを目指し上京。前田憲作が主宰するチームドラゴンに所属している。08年7月にK-1デビューを果たしK-1のリングで2戦2勝2KO。K-1の60キロ級を背負う存在として期待がかかる。173センチ、60キロ。





(松本崇志)
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