今季、まさかの最下位に終わった福岡ソフトバンクホークス。秋山幸二新監督が就任して迎えた10月のドラフト会議では7選手を獲得し、育成でも5名をチームに加えた。うち9選手は投手だ。故障者が相次いで低迷しただけに補強ポイントはハッキリしている。その中で6巡目指名ながら1年目より中継ぎ、セットアッパーとして活躍が期待されるのが四国・九州アイランドリーグ・福岡レッドワーブラーズ出身のキム・ムヨンだ。
 転機になった監督のカミナリ

 大学時代からスカウトに知られた存在ではあった。MAX148キロの速球を武器に、福岡経済大ではリリーフとして活躍した。ところがドラフト候補との呼び声もかかり始めた最終学年、状況は暗転する。ムリがたたり、肩、ヒジを痛めてしまったのだ。手術には至らなかったものの、1年間を棒に振った。当然、朗報はやってこなかった。

「ケガさえなければ……」
 やりきれない思いをかかえたまま、ちょうど九州にエクスパンションしたアイランドリーグの門をくぐった。福岡のユニホームを着ても、ブランクを取り戻すためのリハビリの日々。叶いかけた夢を目前で閉ざされたショックで練習にもなかなか身が入らなかった。

 その姿をジッと見ていたのが現役時代、西武で新人王にも輝いた森山良二監督だった。「今日はひざが痛いです」「肩が痛いです」。キャンプ中のある日、弱音を吐くキムを森山は一喝した。「そんなことではプロに行けないぞ!」。指揮官のカミナリに目が覚めた。
「ケガさえなければ、というのは大きなカン違いだったんです。1からやり直さないとダメなんだと、ようやく気がつきました」

 西武で長年、投手コーチを務めてきた森山が指示したのは、故障しない体づくり、故障しないフォームづくりだった。それまでは力任せに放る投げ方だったのを、テークバックを小さくして、なるべく前でボールをリリースするように修正した。さらに余計な力を抜き、「7割の力で投げる」ことを徹底した。

「結果として打者からボールが見づらいフォームになり、キレも増しました」
 開幕こそ出遅れたが、4月末から戦列に加わると、そこからはチームの守護神になった。35試合で、2勝0敗17セーブ(リーグ2位)、防御率0.41。「キレがあり、手元で伸びてくる。すばらしいストレートの持ち主」(香川・加藤博人コーチ)。ライバルチームの首脳陣をうならせる内容をみせた。

 アイランドリーグで学んだ投球術

 シーズンも佳境に入った9月初めの高知戦のことだ。4−2と2点リード。8回2死から満を持してマウンドにあがったはずのキムだったが、どうも調子が出ない。いきなり先頭打者の真輝に右中間を真っ二つに破られた。次打者こそサードライナーに打ち取ったものの、投じたボールはバットの芯で捉えられていた。

 最終回までに修正しようと、ベンチ前で一生懸命、腕を振ってキャッチボールしてみた。しかし、思いとは裏腹にボールはまったく走らない。「マズイな……」。そんな時だった。ベンチの監督に呼び止められた。「こういう時こそ、7割で投げるんだ!」。マウンドに上がり、半信半疑で軽く投げてみた。コントロールされたボールがコーナーに決まる。結果は三者連続三振。完璧な締めくくりでチームを勝利に導いた。

「野球はおもしろいなと思いましたね。バッターはこうやって抑えることもできるんだと。自分の投球の幅が、あの日、確実に広がりました」

 高校、大学では味わえない80試合というリーグ戦もキムの財産となった。夏場の暑い時期の連戦には、疲労がたまり、「体が持つのかな」と思ったこともあったという。ナイターで試合をして、そのまま何時間も夜通しバスに揺られて次のゲームに臨む。厳しい環境の中でクローザーとして連日、登板を重ねていくうちに自然とシーズンを乗り切る体力が身についていた。

 加えてNPB2軍との交流戦があった。「もちろん、(NPBのバッターは)甘いボールは逃さず打ってきます。でも、納得のいくボールが投げられれば、やれないことはない」。自分の投球に自信が生まれた。1年前の自分には足りなかったもの、ケガだけではなかった何かをアイランドリーグは確実に埋めてくれたのだ。

 理想のピッチャーは上原

 日本の野球に憧れ、故郷の韓国・釜山を離れたのは8年前だった。留学生として山口・早鞆高にやってきたが、最初は言葉の壁にぶつかった。
「最初は授業もさっぱりわからない。通訳がいるわけではないので、日本語を覚えるしかなかったんです。半年くらいすると聞き取りはできるようになりました。言葉が分かるようになってくると、今度は逆に自分の伝えたいことがうまく言えなくて……。言葉がわからないより、そのほうがつらかったですね」

 毎日1時間、日本語を勉強した。その他の時間もテレビや漫画で日本語の“洪水”を浴び続けた。野球アニメの『MAJOR』や趣味の映画鑑賞も、上達を手助けしてくれた。気づけば高校2年生の頃には、他の生徒と同じように日本語で試験を受けるレベルになっていた。今では日本語で難なくコミュニケーションがとれる。

 当時、野球中継でキムの心をつかんだのが、巨人のエースとして進化を続けていた上原浩治のピッチングだった。「ストレートの伸び、キレ、フォークの落ち。その投球に感動しました。あれ以来、上原さんのようなピッチャーになりたい、上原さんと同じマウンドに立ちたいと強く思うようになりましたね」

 ストレートにはこだわりがある。「まずは球速150キロを出せるピッチャーになりたい。理想はストレートでの空振り三振です」。チームの先輩となる馬原孝浩しかり、阪神の藤川球児しかり、巨人のクルーンしかり、ストレートの連投でも三振を奪える点はクローザーの必要条件である。「でも、実戦で大事なのはボールのキレ。バッターがストレートと分かっていても差し込まれるようなボールを投げたい。スピードガンより速く感じるボールを投げることを目指しています」

 新人選手を対象としたメディカルチェックではルーキーらしからぬ高い筋力の数値をたたき出し、周囲を驚かせた。「体もまだまだ細いので鍛えれば、スピードはもっと出せるはず」。本人に浮かれたところはない。あとは鍛え上げたパワーを、いかにピッチングにつなげるか。この課題をクリアした時、「馬原を彷彿とさせる」とのスカウト評が現実のものとなるに違いない。

――ズバリ、NPBで通用する自信は?
「あります。目標は“開幕1軍”。1年間フル回転してチームに貢献したい。ソフトバンクは環境がいいので、練習もいっぱいできる。まずは1軍キャンプで自分の持ち味を見てもらえるように頑張ります」

 チームが勝ち進み、日本一になれば、アジアシリーズに出場できる。故郷のプロ野球チームと対戦することもキムの目標のひとつだ。玄界灘を飛び越え、日本のみならず韓国でも“金”色に輝く存在へ――。23歳の若鷹は2009年を更なる飛翔の1年にする。

<キム・ムヨン(金無英)プロフィール>
1985年11月22日、韓国出身。15歳で来日し、山口・早鞆高、福岡経済大を経て、今季よりリーグに新規参入した福岡に入団。チームの守護神として35試合で、2勝0敗17セーブ(リーグ2位)、防御率0.41の成績を残す。MAX148キロのストレートとフォーク、カットボールを武器に打者から空振りを取れるところが強み。「中継ぎ、セットアッパーがほしい」(秋山幸二監督)との方針で福岡ソフトバンクより6巡目指名を受ける。180センチ、80キロ。






※今月の当コーナーは先のドラフト会議で四国・九州アイランドリーグから指名を受けた選手を特集しました。ソフトバンクから育成5巡目指名を受けた堂上隼人選手(香川)に関しては5月に更新したコラムをご覧ください。
>>第1回「レッドソックスが注目する扇の要」
>>第2回「松坂からのアドバイス」
>>第3回「ドラフト指名漏れをバネに」
>>第4回「目指すは城島健司」

(石田洋之)
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