「入門から3年間くらい、毎日やめたいと思っていました。不謹慎な話ですけど大きなケガをして練習できなくならないかと考えたほどです」
 キックボクサーを志して単身上京したのは高校卒業直後の2003年4月。前田憲作率いるチームドラゴンの一員となったが、格闘技経験が一切ない上松にとってキックボクシングのトレーニングは過酷を極めた。1ラウンド4分、30秒のインターバルで何ラウンドも、毎日プロに混ざってスパーリングしていた。
 しかし上松はこう続けた。
「やめたいやめたいと思ってたけど、やめようと思ったことは一度もありません」
 きついトレーニングに耐えられたのは故郷を快く送り出してくれた両親の気持ち、そして仲間の存在によるものだった。同世代の人間が同じ時間に練習する道場内には部活のような雰囲気があった。しかし、それは決して“ワイワイ仲良く”といったものではない。

「先輩は優しいけど冷たいんです。練習についてくる人には教えますけど、ついてこない人には何もない。“来るもの拒まず去るもの追わず”ってかんじです。前田さんもそう。今僕が“やめたい”と言っても止めないでしょうね」

 すべてはK-1のために

 特に上松が世話になった先輩には高萩ツトムがいる。高萩といえば、K-1ヘビー級で日本人の次世代を担う存在として注目が集まる男だ。
「入門してしばらくは、練習、バイトと一日10時間くらい毎日、だから週に70時間くらいは一緒にいました。だから自然と仲はよくなりますよね。一番理解してくれるので、前田さんと一緒に今もセコンドについてもらっています」
 ちなみに上松がバイトしているのは自宅近くの居酒屋チェーン店。上京してから6年が経過しようとする現在も同じ店でバイトを続けている。

 さらに上松は読者モデルもこなす。『men's egg』という若者に人気のファッション誌で紙面を飾っている。
「撮影の参加は自由なんです。試合前は練習が忙しくなるので行かないことが多い。雑誌でK-1の宣伝をしてもらっているので感謝してます」
 上松のアルバイトは居酒屋とモデルだけではない。洋服のデザインもこなすのだ。しかし根底にあるのは当然キックボクシング。副業もすべてはK-1ファイターとしての上松を成り立たせるためのものだ。「宣伝しますよ。使えるものは何でも使って」。上松は笑った。

 現在の上松のトレーニングは基本的に道場が休みの月曜日を除く週6日。13時から17時まで汗を流す。30分間のロープ(縄跳び)から始まり、5ラウンドのシャドーボクシング、5〜8ラウンドのミット打ち、6ラウンドのサンドバックと続く。その他にも週に3回はスパーリングが入る。これらの基本メニューをこなした後は各々が必要性に応じた、筋トレ、スパーリングと多種多様なトレーニングを行う。その後は週3、4日、居酒屋のバイトに出かける。なかなかのハードスケジュールだ。週6日、1日5時間のトレーニングはファイターの練習量としては多い部類に入る。そのことについて上松に訊くとあっけらかんと答えた。
「仕事ですから。その後にバイトもしますけど、サラリーマンの方なんてもっといっぱい働いているでしょう」

 今でこそK-1デビューを果たし、世間に注目されるファイターに成長した上松だが、その道は平坦なものではなかった。前述したように入門直後は過酷なトレーニングの日々を過ごした。ようやく迎えたデビューは05年1月。2戦目には敗北を喫したものの、デビュー以来10試合の戦績は8勝2敗4KOと上々だった。

 さらに上松の勢いは加速し、07年11月には全日本キックボクシング連盟が主催する全日本フェザー級王座挑戦者決定戦にまでたどり着いた。対戦相手は水落洋祐。半年前の4月に上松が1RKOで負けた強敵だ。上松のKO負けは後にも先にもこの1度しかない。
「今まで一度だけ“楽勝”だと思ったことがあります。それが水落選手に負けた試合の前だった。調子もこれ以上ないくらいよかったので、負けることはないだろうと。でも結果は50秒でノックダウンでした」

 この屈辱をバネにした上松は11月に水落にリベンジを果たす。2ラウンド、ドクターストップによるTKO勝ち。宿敵をKOで沈めた上松は前田と抱き合って喜んだ。「次はタイトルマッチだ」。この勝利で全日本フェザー級タイトルマッチへの切符をつかんだ、はずだった。だが、勝利の代償は大きかった。上松は水落との激しい乱打戦で左目を負傷したのだ。医師の診断は眼底壁骨折。目前にせまった初タイトルの挑戦権は上松の手からこぼれ落ちた。
「あの時は落ち込みました。何よりも練習したくてもできないということがつらかった」

 キックボクシングの女神が上松に微笑むのは、歓喜と絶望が同時に訪れた2度目の水落戦から約半年後。08年の夏だった。

(第3回につづく)

<上松大輔(うえまつ・だいすけ)プロフィール>
1984年10月3日、愛媛県松山市生まれ。松山東高校3年の時にテレビで見た「K-1 MAX」を見てK-1ファイターを目指し上京。前田憲作が主宰するチームドラゴンに所属している。08年7月にK-1デビューを果たしK-1のリングで2戦2勝2KO。K-1の60キロ級を背負う存在として期待がかかる。173センチ、60キロ。





(松本崇志)
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