視聴率64%ということは、単純に計算して日本人の6割以上がこの試合を見ていたということだ。テレビがあまねく普及していない時代のこととはいえ、驚異的な視聴率だ。

 1963年5月24日、東京体育館。力道山がザ・デストロイヤーに挑戦したWWA世界ヘビー級選手権は空前の人気となった。当時、私は3歳だから、もちろん、この試合のことは覚えていない。プロレス評論家・竹内宏介氏の記事を読んで、いかに凄まじい試合であったかということを知った。

「私(=デストロイヤー)が“あなたのベスト・バウトは何ですか?”と聞かれたら、文句なく1963年の力道山との試合を挙げる。私の生涯において、“この男だけには絶対に負けたくない”というファイティング・スピリットを最大にかきたたせてくれたのは力道山だった」(竹内宏介著『強くて悪くて凄いヤツ』)

 結局、この試合はドローで終わったのだが、デストロイヤーが力道山を四の字固めでとらえたシーンは、当時としては珍しく天井からのカメラでしっかり撮っている。おそらく力道山の指示で、決定的な場面を狙わせたのだろう。

 マスクマンは数多いるが、デストロイヤーほど狂気と不気味さを漂わせたレスラーはいない。何しろニックネームは「白覆面の魔王」なのだ。私の世代で、四の字固めを真似しなかった少年はいないだろう。

 ちなみにデストロイヤーの正式なリングネームはジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー。文字どおり、存在自体がセンセーショナルだった。

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