2008年5月末、K-1はヘビー級、ミドル級に続く3つ目のカテゴリーとしてライト級(60キロ以下)の創設を発表し、7月に日本武道館で開催される「K−1WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL8」のアンダーカードとしてライト級を3試合組むことを決めた。その舞台に抜擢されたのが、WPKC世界ムエタイライト級王座を獲得した大月晴明(AJKF)、魔裟斗の盟友・大宮司進(シルバーウルフ)、そして上松大輔だった。
(写真:ミドル級王者魔裟斗(左)と上松)
「スピードとテクニックが魅力です。日本人の層が最も厚く、面白い階級」
谷川貞治K-1イベントプロデューサー(EP)のライト級への思い入れは強い。特に上松には抜群のルックスを評して“魔裟斗2世”としての活躍を期待した。

 そして迎えた7月7日。この日、上松は全国にその名を知らしめることになる。対戦相手はエディ・ユアザパビュチス(リトアニア)だった。立ち上がりから一方的な試合展開で、ダウンを3度奪ってみせる。結果は1ラウンド2分52秒でKO勝ち。圧勝でK-1デビュー戦を飾った。この勝利で上松の周囲に変化が起きる。それまで“モデル・上松”として声をかけられることはあっても、“キックボクサー・上松”として注目を集めることは皆無に近かった。それがファンから「一日に一回は声をかけられる」ようになったのだ。

 ベルトは強豪戦へのチケット

 K-1ファイターとして順調なスタートをきった上松の第2戦の相手は同じくデビュー2戦目となる大宮司進だった。この試合は日本人ライト級の行方を占うだけではなく、大宮司の持つISKA世界ライト級の王座決定戦も兼ねていた。上松にとっては初めてのタイトル挑戦だ。

 だが、実力者同士の激突は意外な結末を迎える。開始直後、上松の強烈な左ヒザをくらった大宮司に立ち上がることができずリングに崩れ落ちた。その間、わずか29秒。鮮やかなKO勝ち?だった。こうして上松は早くもK-12戦目で世界チャンピオンのベルトを巻くことになった。しかし、本人は自身初のベルトにもうかれた様子は見せなかった。

「トーナメントを勝ち上がったわけではないので、それほど実感がありません。価値も大宮司選手に勝ったという価値だけ。世界チャンピオンは色んな団体に存在する。そういった選手に勝っていくことでこのベルト、上松大輔の価値が高まると思う。このベルトは格上の選手と戦うためのチケットですね」

 歴代のISKAの王者には錚々たる面々が並ぶ。佐竹雅昭、小比類巻貴之(現・太信)……。そしてミドル級のカリスマ、魔裟斗もそうだ。
 上松が世界チャンピオンに輝いた10月1日の日本武道館のリングの主役は間違いなく魔裟斗だった。同日行なわれた「K-1 WORLD MAX 2008」では準々決勝・佐藤嘉洋(フルキャスト/名古屋JKファクトリー)、決勝・アルトゥール・キシェンコ(ウクライナ)と、ダウンを奪われながらも、激戦の末に連破し、5年ぶりに王座を奪還した。

 特に谷川EPが「年間ベストバウト」と賞賛したのは、準々決勝の佐藤戦だった。ダウンを奪われるものの挽回し、延長の末に判定勝ち。魔裟斗の戦いぶりは観客を興奮の渦に巻き込んだ。もちろん、この試合は上松にとっても衝撃的だった。
「あの試合(魔裟斗×佐藤)はすごかった。技術的にも精神的にも。ファンが見たら“すごい”で済むけど、僕から見たらあそこまでやれる人はいない。魔裟斗選手は延長でスピードもテンポも上がりました。あそこまで動けるのは才能だと思います。いくら練習を積んでも試合で使えるスタミナは別。経験の差が出た」

 目標は魔裟斗ではない

 実は上松が大宮司を下した試合は、この熱戦の後に行われた。「周りの選手は“あんなすごい試合の後はやりづらい”と言ったんです。でもそんなこと考えたらその時点で60キロ級は負けたことになる」。その思いは上松の戦いぶりに表れた。普段の試合では立ち上がりは冷静に相手の様子を窺う上松が、1ラウンドから積極的に前に出た。試合は一瞬で終わったが、会場に詰め掛けた観客にインパクトを残すファイトとなった。

 激闘から一夜明け、魔裟斗と上松は会見の席で対面を果たす。顔面の痛々しい傷をサングラスで覆った魔裟斗は王座奪還の喜びをひととおり語った後に上松についてもコメントした。
「彼の試合は観ていないけど、これからの頑張り次第でしょう。60キロ級が成功するかどうかは自分次第。頑張ってもらいたい」
 谷川EPも言葉を続けた。「上松選手には可能性がある。ジャンルを引っ張る存在になってほしい」。それは上松が名実ともに日本人ライト級の顔になりつつあることを実感させられるシーンだった。

“魔裟斗2世”と呼ばれ、期待されることについて、本人はどう考えているのか。
「魔裟斗選手はすごい。本当にすごいと思います。でも憧れとか尊敬とかとは違う。そういう感情を持ったらそこが頂点になってしまう。魔裟斗選手より上にいけなくなってしまうような気がするんです。だからそういう対象ではありません。逆に自分がそういう存在になりたいですね」

 では現時点で魔裟斗にあって、上松にないものは何か。そのひとつには歴戦のライバルたちとの試合経験があげられるのではないだろうか。強力なライバルの存在はファイターの力を確実に高める。興行の観点でも、ハイレベルな複数の実力者がしのぎを削ることは不可欠だ。魔裟斗が“ベストバウト”と周囲から賞賛される試合を繰り広げ、ファンの心をつかんで離さない要因はここにある。
 ならば、上松のライバルはいったい誰になるのか。その答えを上松は知っている。

(最終回につづく)

<上松大輔(うえまつ・だいすけ)プロフィール>
1984年10月3日、愛媛県松山市生まれ。松山東高校3年の時にテレビで見た「K-1 MAX」を見てK-1ファイターを目指し上京。前田憲作が主宰するチームドラゴンに所属している。08年7月にK-1デビューを果たしK-1のリングで2戦2勝2KO。K-1の60キロ級を背負う存在として期待がかかる。173センチ、60キロ。





(松本崇志)
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