西本恵「カープの考古学」第77回<カープ再び危機――長谷川引き抜き事件その9/広島駅帰還で驚きの光景が!?>

facebook icon twitter icon

 カープは球団創設期に幾度となく存続の危機に襲われたが、そのたびに石本秀一監督はじめ、ファンらと一体になって乗り越えてきた。球団創設3年目のシーズンを前に、エース長谷川良平を引き抜こうと、名古屋軍からさまざまな策略を強いられた。それでも長谷川が広島のお母さんと慕う森田よし子のスクランブル出動により、エースを連れ戻すことに成功した。帰路に就く長谷川が列車に乗り込んだまではよかったが、広島駅に近づくにつれ、心は晴れず、重たいものを抱えたかのように彼の気分は冴えなかった。

 

<長い間のトラブルを思うと、長谷川は頭が痛かった>(「読売新聞」カープ十年史『球』第73回)

 その上、長谷川の胸につかえていたものがあった。

<まだもう一つ、あの熱狂的なファンの出方が胸に重くのしかかっていた>(同前)

 

 長谷川は、熱狂的なカープファンの思いが、痛いほど分かる。広島総合球場において、いかなるピンチでも声援を絶やさなかった。数少ないチャンスでも、大声援で後押しをする。いくら負けても、負け続けても、懸命に戦う姿さえあれば、ゲキを飛ばし続ける。ファンには、どんな困難にも耐えるタフさがあった。こうなると今回の長谷川の移籍問題は、長谷川自身にも負い目があり、ファンに許される行為ではなかったろう。

 

 広島駅が近づくにつれて、車窓に映る町が、だんだん恐ろしいものになっていた。それでも長谷川は覚悟を決めていた。

<「いつまで考えたところで仕方がない、当たって砕けろと心に決めたのである」>(同前)

 

 ところがである――。窓の外から見える光景に目を疑った。ホームには黒山のひとだかり。長谷川は思った。

<「きょうは偉い人でも乗っているのかな」>(同前)と少し安堵した。誰か偉い人がいるなら、その影にかくれてひっそりと戻ることができるからだ。いつもならプロ選手は絶えずファンの目にさらされ、一目見たいとその場を囲まれることも少なくないからだ。

 

大スターの影に隠れて

 

 たまたま、同じ列車に乗り合わせた女優がいたのだ。長谷川は晩年、インタビューでこう答えている。

<「たしか、女優の月丘夢路だったと思うんですが、同じ列車で広島へ帰って来たんです」>(『カープ30年』冨沢佐一(中国新聞社))

 当時の映画の大スター、月丘夢路の影に隠れて、ひっそりと列車を下りて家に帰ればいい――。こんなことを考えていた長谷川は、岡山駅から乗り込んできてくれた石本監督の後ろをついて、列車のデッキから降りようとしたその瞬間、目を疑った。

 

 駅のホームでは、あの人だかり、50人とも60人とも思える人が、群れをなして、長谷川に向かってくる。長谷川はとっさに身をかわす。どうしたのか――。事態を把握できなかった。

 

 次の瞬間、群衆から雄叫びがあがる。
「よう帰ってきたのー」
「長谷川、待っとったぞー」
「よかった。よかった」

 両腕を抱え込まれ、喜び勇むファンらにもみくちゃにされながら、「ワッショイ、ワッショイ」――。

 

<「『長谷川良平選手、歓迎!』のノボリが掲げられていた。その横にも、またその横にもノボリはあった」>(『カープ 苦難を乗りこえた男たちの軌跡』松永郁子著、駒沢悟監修・宝島社)

 ノボリが風になびく中、長谷川は駅舎にヤグラが組まれており、そこに立たされた。わき上がる「バンザイ。バンザイ」の嵐の渦である。あらかじめ用意されたインタビュー用マイクが、ファンのなだれに押し飛ばされてどこへいったか分からない――。長谷川を呼びよせるとファンから花束が胸に押し付けられる勢いで渡され、そのままヤグラに立った。というか、立たされた長谷川である。ファンは彼のあいさつを待った。

 

<「みなさま、ご迷惑をおかけしました」>(『カープ30年』冨沢佐一(中国新聞社)

 

 長谷川は、ファンらの誰の手ともわからない人の手を握り握られての大歓待を受け、カープファンの気持ちに触れ、心の中で誓うのであった。

<「カープのためには、何もかも忘れてやっちゃろう、と思いましたね」>(同前)

 

 長谷川の引き抜き事件は、一応の解決をみた。カープのエースの移籍にゆれ動いた、長かった3カ月あまりであったが、ファンも、長谷川の広島復帰を待ち望んでいたため、わだかまりも残らず、大事に至ることはなかった。

 

 こうした一大事であっても、揺るがず長谷川を待ち続けた石本監督の配慮が至るところに感じられる。

 石本は、精神的に参っている長谷川を広島にスムーズに戻らせるため、岡山駅から列車に乗った。さらに、駅舎に組ませたヤグラにおいて、長谷川を迎えることを決めた。長谷川帰還は3月20日であったが、その3日前の中国新聞の記事にこう記している。

 

<「長谷川を温かく迎えたい」>(「中国新聞」昭和27年3月17日)と見出しに込めたメッセージには、温かいだけでなく、次なる目標へと向かわせた。

<「広島のファンの方も温かい心を持って迎えてほしい、彼は決してファンの期待に背くような男ではない」>(同前)

 石本の実直な言葉で、ファンの心に訴えかけた。これらすべてが長谷川帰還に向けた石本の心配りであったことは間違いなかろう。

 

競輪場か、市民球場か――

 

 カープの本拠地である広島市において、長谷川の移籍問題と同時期に抱えていた懸案事項があった。競輪場を建てるか否かで、揺れ動いていたのだ。これは、現在でも活用されている広島市南区宇品地区にある広島競輪場(現名称:チャリロトバンクひろしま)である。復興最中の広島においても、経済の発展がみられ、遊興娯楽施設へと気持ちが傾いていた時期であった。その年の暮れ、昭和27年12月に完成する。時代が変わる中で紆余曲折もありながら、広島市にとって長年、市の収入を稼ぐ施設となるが、当時の新聞の投稿欄には、競輪場を求めていない声も多く寄せられているのだ。

<最近広島に競輪場をつくる計画が進められているようだが、青少年の不良化防止が言われている矢先、その問題や市民の生活のことを考えないのでは困ったものだ>(「中国新聞」昭和27年2月15日)

 

 これに照らし合せるかのように、カープの本拠地である広島総合球場のグラウンドまでの交通状況においても投稿がなされている。

<あの不便なところにあるグランドを、各地から人の集まりやすい市の中心部に移転する方がはるかにいいのではなかろうか>(同前・原文ママ)

 

 グラウンド行きの不便さだけではない。カープの試合がある日の、バスの混雑ぶりを嘆く投稿もあった。

<私はグランド行きバスの一通勤者だが、鷹ノ橋発グランド行きバスの七時半から八時半までの間の混雑をもう少し改善してもらいたい>(「中国新聞」昭和27年2月20日)

 

 カープの試合日となれば、早朝からグラウンド行きのバスが大混雑となり、<停留所で降りる人々は降りるのに三分も四分もかかるのである>(同前)と、その実態をぶちまけている。

 

 つまるところ――。競輪場建設のための調査研究を見直し、市民の球場を、カープのための球場を――という思いである。

<競輪の研究も悪いとは言わないが、カープというと、何をさしおいても、見、聞き、話して楽しむ、市民の様子を見て、この方ももっと早く研究してもらいたい>(「中国新聞」昭和27年2月15日)

 

 当時のカープファンの「何をさしおいてでもカープ」という思いを如実に表現している。しかしながら、カープには、広島総合球場があることから、広島市は市民球場の建設を先送りし、目先の競輪場建設を手がけていく。カープ史において、市民球場がお目見えするのは、この5年後の昭和32年のシーズン中となるのだ。

 

 競輪場か、あわよくば市民球場かという議論の渦中で、カープのエース引き抜き事件が起きているが、競輪場の建設を差し置いてでも、市民球場を作ろうという思いがあったのだ。

 

 その最中、エースが帰ってきたと、長谷川復帰の朗報が広島中を駆け巡った。開幕前日に戻った長谷川は、開幕戦はもちろん登板できず、数日間の練習が必要であった。エースを欠くという非常時においてでも、石本監督の長年プロ野球監督としての経験あってか、チーム戦力を整えることに関しては、一切の抜かりはなかった。これは、後々までカープの伝統ともなる、高卒選手の発掘のことである。

 

 さあ、今回で、「カープ再び危機――長谷川引き抜き事件編」を終回とし、来月からは、戦力補強を怠らなかった石本監督の采配がさえる、「高卒ルーキー百花繚乱編」をお届けする。カープは、高卒選手の発掘と育成に長けていることがいわれて久しいが、その高卒ルーキーが大活躍する球団3年目のシーズンをキャッチアップする。乞うご期待。

 

【参考文献】

「読売新聞」カープ十年史『球』第73回、『カープ30年』冨沢佐一(中国新聞社)、『カープ 苦難を乗りこえた男たちの軌跡』松永郁子著・駒沢悟監修(宝島社)、「中国新聞」(昭和27年2月15日、20日、3月17日)

 

 

西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。

 

(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)

facebook icon twitter icon
Back to TOP TOP