1985年にはこの国を揺るがす大きな出来事が3つあった。第一にプラザ合意。日本は米国の対日貿易赤字解消のため、円高ドル安政策を受け入れざるを得なかった。円高不況を回避するため、日銀は低金利政策を実施し、これがバブル景気、そして後のバブル崩壊へとつながっていく。

 第二に日本航空123便、要するにジャンボジェットの墜落事故。520人が死亡する大惨事となった。ボーイング社の修理ミスによる圧力隔壁の破損が事故の原因とされた。

 第三に阪神タイガースの21年ぶりのリーグ優勝だ。吉報の前兆とも言える試合が4月17日、甲子園での巨人戦である。

 巨人の先発ピッチャーは槙原寛己。7回2死1、2塁。打席に入った3番・ランディー・バースが槙原の投じたシュートをバックスクリーンに叩き込む。「あの一発で自信がわいた」。続く4番・掛布雅之はストレートをバックスクリーン左に運ぶ。「オレも狙ったろ」。5番・岡田彰布はスライダーをまたもやバックスクリーンへ――。

 これが世に言う「バックスクリーン3連発」である。あの瞬間、甲子園は熱狂をこえて発狂していた。

 後年、バースは日刊スポーツのインタビュー(1995年7月29日付)にこう答えている。「ジャイアンツに対して阪神ナインは慢性的な負け犬意識を持っていた。畏(おそ)れみたいなものがあった。あの一打がそれを吹き飛ばしたのだろう」。

 1985年4月17日――。この日は虎が長い眠りからさめた記念すべき日として記憶されている。

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