日本人選手として初めてスノーボードで世界チャンピオンになった18歳がいる。1月23日、韓国・江原で行われた世界選手権、ハーフパイプ決勝。青野令は1回目から抜群の滑りをみせた。難易度の高い横3回転のエアを確実に決め、45.5点の高得点を叩き出す。このポイントを誰も上回ることができず、2回目の滑りを待たずに優勝を決めた。さらに2回目には横3回転を連続で決め、自身の得点を47.3にまで伸ばす圧勝だった。16歳でW杯年間王者、そして18歳で世界選手権金メダリスト。来年2月に開催されるバンクーバー五輪でもメダル獲得が期待されている。そんな青野はウインタースポーツからは程遠い場所にありそうな愛媛県育ちの高校3年生だ。
 スノーボードは雪国で盛んなスポーツだ。過去のオリンピック出場選手は雪国である北海道や関東甲信越、南に行っても関西圏出身の選手で固められてきた。しかし、青野が06−07シーズンW杯総合王者に輝き、昨シーズンは同じ愛媛出身の藤田一海もW杯で初優勝を果たしている。彼らの活躍によって、日本スノーボード界は新たな勢力図に塗り替えられようとしている。

 隠れたスノーボード王国、愛媛を支えるのが東温市にある日本最大のスノーボード場『アクロス重信』だ。99年に開業した同施設は、最大長90m、幅45mのゲレンデを有し、通年を通してスノーボードが楽しめる。現在は日本国内のみならず、中国や韓国といったアジア地域のプロボーダーも練習にやってくる。この施設があるからこそ、南国・愛媛がスノーボード王国になり得たのだ。

 青野が初めてアクロス重信を訪れたのは9歳の時。親戚がスノーボードをやっていたため、親に連れられて見学にやってきた。その時のことを青野ははっきりと覚えている。「スノーボードを見た時はまさに衝撃的でしたね。かっこいいと思った。だから家に帰ってすぐに、この競技を始めたいと母親に言ったんです」

 とはいえ、小学4年生が一人で毎日アクロス重信に通うことは難しい。自宅からアクロス重信までは車で15分かかる。それでも競技を始めたときにはほとんど毎日通っていた。両親は可能な限り協力して送り迎えを続けた。

 スノーボードに出会うまで水泳や空手をやっていた少年は、すぐさまこの競技の魅力に引き込まれていった。ボードを始めたばかりの頃は、技をひとつ覚える毎に楽しくて仕方がなかった。水泳や空手では感じられなかった自由な気風が一人の少年を虜にしていった。

「水泳は相手よりも早く泳がなくてはいけない。空手も練習中に大きな声を張り上げなければいけないじゃないですか。それが僕にはあわなかったです。スノーボードは自分の技を磨いて工夫していく楽しさにはまっていきました」

 青野にとって幸運だったのは、アクロス重信でスノーボードに出会ったことだ。通常は雪国育ちの選手でも12月から3月までしか練習できない。一方、アクロス重信では一年中、雪に触れることができる。青野はメキメキと腕を磨いた。正確には腕を磨くというより、ただ単に滑りを楽しんでいたのかもしれない。

「アクロスでは週に何回通うという形で練習していませんでした。練習場に行って好きなだけ滑るという感じです。近い年齢の友達がいっぱいいたので、アクロスに行ってみんなに会うのが楽しかったです」。当時を青野はそう振り返る。

 アクロス重信は若年層の強化に力を入れており、多くの選手を輩出してきた。その先陣を切ったのは愛媛県出身の初のプロボーダー、山本真丈。多くの競技会で好成績を上げている山本は、08年に国内最大級の国際大会である“TOYOTA BIG AIR”で日本人最高の3位に入った実力者だ。11歳年上の山本を間近に見て、青野は練習に励んできた。一緒に練習をして、褒められれば嬉しかった。そして練習にもヤル気が出た。そんな毎日の連続。このことがアクロス重信で練習する子供たちにいい影響を与えていった。青野の他にも、先に挙げた藤田や渡部耕大、藤野智也といった若手ボーダーがここから育っている。彼らは自分たちの上の世代、そして同年代の選手と一緒に練習し、常に世界を意識することで、自然とスノーボードの技を磨いていった。

 当時の青野について、アクロス重信支配人の勝田秀雄は「人なつっこい子でしたよ」と振り返った。

「小さいころから大人の中に混じって滑っていました。大きな技をやっている人に、自分から『ねーねー、今の技、どうやってやるん?』と聞きに行って、かわいがってもらっていました。彼らの年代は純粋にスポーツとしてスノーボードを探求しているんです。藤野君といつも一緒に練習してましたけど、令よりも彼の方が器用だったんですよね。一つの技を覚えるのも彼のほうが早いから悔しかったんでしょう。令は負けないように努力していました。お互いが切磋琢磨して自分の技量を磨いていった印象ですね」

 子供の頃から研究熱心だった青野は、ジュニア大会に出場する際、遠征先に向かう飛行機に乗りながら、ダンボール紙で工作をしていた。スノーボーダーの模型、いわゆるフィギュアを一生懸命作っていたのだ。手作りの人形が完成すると、様々な方向に人形を傾け、ハーフパイプのエアを再現しながら、こと細かに技の研究をしていたという。「好きだから、なんでもやっていたんでしょうね」と勝田は笑う。人なつっこい笑顔と旺盛な探究心がスノーボードの技術を向上させていった。

 そんな青野も小学生から中学の間は大会に出ても勝てない日々が続いた。そびえ立つハーフパイプの壁よりも、克服しなければならない壁が彼の内面に存在していたのだ。

(第2回へ続く)

青野令(あおの・りょう)プロフィール>
1990年5月15日、愛媛県松山市生まれ。9歳からスノーボードを始め、04、05年JOCジュニアオリンピックハーフパイプ優勝。06年、キスマーク杯優勝。07年2月W杯富良野大会で初優勝、さらに2勝を重ね、06−07年W杯年間総合王者の座に就く。今季は1月のW杯郡上大会で優勝し、W杯通算6勝目を挙げ、韓国で行われた世界選手権ではスノーボード競技初の優勝。10年バンクーバーオリンピックではメダル獲得の期待がかかる。松山城南高3年。164センチ、57キロ。





(大山暁生)
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