06−07シーズンは青野にとって、世界への扉が大きく開けた1年だった。その名前が日本のみならず、世界に知られるようになったのは07年2月、W杯第4戦富良野大会だった。
「最初は2月のW杯には期待をしていなかったんです」。父・伸之はそう証言する。「直前にスイスで行われた世界選手権ではボロボロの成績だった(65位)。ですから、富良野の大会でもダメだろうと思っていました。しかし、大会直前の練習を見ていて、すごく出来がよかった。素直にすごい滑りだと感じた。この出来だったら、予選の壁を突破して、決勝に残ることができると思いましたね」
 伸之は息子がいつになく好調であることを感じていた。父の期待通り、青野は予選から思い通りの滑りをみせ、予選を通過。前シーズンのレイクプラシットではケガのため出場は叶わなかったが、決勝の舞台に初めて立つことができた。迎えた2月18日の決勝。1回目にまずまずの滑りをみせたが、着地で失敗したため得点が伸びず4位に留まる。だが、ここからが今までの青野とは違った。逆転をかけた2本目で大技を決める。左手でグラブしながら横2回点半の連続技。他の選手にミスが目立つ中、完璧な滑りを披露する。電光掲示板には45.4点の高得点が踊る。2位の工藤洸平に2.6ポイントの差をつける逆転勝利だった。初めて滑った決勝で優勝という快挙を成し遂げたのだ。

 伸之は驚きを隠せなかった。
「まさか勝つとは思っていませんでしたね……。当初、富良野の後はゆっくり休養しながら地元で調整する予定だったくらいですから。しかし、初優勝したことで急遽そのまま海外へ転戦することになりました」

 想定外の快進撃

 続く5戦カルガリー大会でも青野の快進撃は止まらなかった。安定感の増したエアで着実に得点を稼ぎ43.3点で他選手を圧倒。2大会連続で表彰台の真ん中に立った。ここで青野は “イエロービブス”をも手にすることになった。

 イエロービブス――国際スキー連盟(FIS)が主催するW杯では、年間ポイントの首位に立った者のみが黄色いゼッケンを着けることが許されている。日本人では過去に、ノルディック複合で3年連続年間王者となった“キングオブスキー”荻原健司、スキージャンプ長野五輪2冠の船木和喜、フリースタイル・モーグルで昨シーズン覇者上村愛子と、錚々たる顔ぶれがイエロービブスを着用してきた。ウィンタースポーツ界では最強の証だ。

 表彰台でイエロービブスを渡された時の気持ちを訊ねると、青野から意外な答えが返ってきた。
「実をいうと、イエロービブスが持つ意味を知らなかったんです(笑)。あとからどういう物かを聞いたときにはもちろん嬉しかったですけど、あまりに急なことだったので、(イエロービブスを手にして)すぐにはすごいことという実感が湧きませんでした」

 伸之も彼と同様だった。
「カルガリー大会の前に、いい成績を収められるからと言って、コーチが遠征を進言してくれました。でも、いい成績が収められるというのは、(カルガリー)大会で優勝できるということだと思っていました。私はポイントを争って年間王者を決めるというシステムも、よくわかっていなかったですから」

 富良野大会まで決勝の舞台に立つことができなかった青野にとって、確かに年間王者は遠い存在だった。イエロービブスの意味がわからなかったのも無理がないのかもしれない。しかし、2大会連続で開催された3月2、3日のカルガリーでは2連勝。シーズン3勝目を挙げ年間チャンピオンを決定的なものにする。ほんの1カ月前まで決勝にすら進むことすらできなかった選手が、シーズン終了時には世界王者の称号を手にしたのだ。

 強敵不在の総合優勝

 しかし、この世界王者には注釈がついてしまう。06−07シーズンはトリノ五輪が終了した直後のシーズンだった。大きな大会が世界選手権しかなく、多くの有力選手はW杯参戦を見送り休養にあてていた。

 さらにW杯の舞台には、世界最大のスノーボード大国であるアメリカの選手が出場しない。米国人選手の多くはプロのスノーボーダーで、彼らの主戦場は高額賞金のかかった米国内で行われる大会なのだ。

 その中でも最も大きい大会がX-GAMESと呼ばれるスポーツイベントである。X-GAMESは80年代後半から90年代にかけてアメリカで発祥したスポーツを集めた競技大会だ。夏季にはBMXやインラインスケート、冬季はスノーボードやスノーモービルといった競技があわせて開催され、全米の若者から圧倒的な支持を受けている。

 X-GAMESに参加するプロボーダーの中で、最も有名なスターといえばショーン・ホワイトだろう。02年、15歳で出場したTOYOTA BIG AIRで優勝し、日本国内のファンにも天才少年として名の知れた存在だ。今年1月に東京ドームで行われたX-TRAIL JAMでも優勝している。彼が監修したDVDは飛ぶように売れ、彼の名前を冠したテレビゲームソフトまで発売されるほどの有名人だ。そしてなんといっても、彼は06年トリノ五輪のハーフパイプ金メダリストなのだ。名実ともに、世界一の称号を得ている男である。

 アメリカ勢を倒さなければ真の世界一とは言えない。もちろん青野はこのことを十分に承知していた。
「スノーボードで世界と戦うなら、米国勢に勝たなくてはいけない。W杯で王者になってもオリンピックの舞台となると、また違う次元の話ですから」。

 そう口にした彼はW杯年間王者という肩書きを引っさげ、本場・アメリカのX-GAMESへ挑戦した。08年1月のことだった。

(第4回へ続く)


青野令(あおの・りょう)プロフィール>
1990年5月15日、愛媛県松山市生まれ。9歳からスノーボードを始め、04、05年JOCジュニアオリンピックハーフパイプ優勝。06年、キスマーク杯優勝。07年2月W杯富良野大会で初優勝、さらに2勝を重ね、06−07年W杯年間総合王者の座に就く。今季は1月のW杯郡上大会で優勝し、W杯通算6勝目を挙げ、韓国で行われた世界選手権ではスノーボード競技初の優勝。10年バンクーバーオリンピックではメダル獲得の期待がかかる。松山城南高3年。164センチ、57キロ。





(大山暁生)
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