「とにかく観客の数がすごかった」と青野は振り返る。世界中のプロボーダーが出場を熱望するX-GAMES WINTER。青野がその大会に出場したのは昨年の1月、場所はアメリカ・コロラド州アスペンだった。W杯で世界中のゲレンデを転戦しているとはいえ、これまで経験した大会と、米国プロボーダー最高峰のそれとは全く雰囲気が違っていた。
 X-GAMESで青野の前に立ちはだかったのは、やはりトリノ五輪金メダリストのショーン・ホワイトだった。1本目から高いエアで難易度の高い技を次々と決め、93.00の高得点を叩き出す。

「他の選手がどうこうということではなくて、まず自分の力を試したい」。そんな気持ちでX-GAMESに臨んだ青野は、高さのあるエアと安定感のある滑りで会場を沸かせた。1本目の得点は88.00。ショーンには及ばないものの2位に入る。米国最大の大会でも存分に力を発揮し、全米中にRyoh Aonoの名は知れ渡ることとなった。「自分のできる技を全開でやってやろうという気持ちでいました。成績にしろ滑りにしろ、目立つことができたので本当に米国に行ってよかったです」。チャンスで得たものは少なくなかった。

 しかし、課題も残った。ショーンは3本目に96.00というハイスコアを記録していた。一方、青野は続く2本目以降では、1本目の記録を上回ることはできなかった。
「ショーンと自分の実力差はわかって悔しかったですね。彼は見せ方を心得ている。自分はまだ、アメリカのトップ選手のような見せ方ができるほど器用ではない。技数も彼らに比べればまだまだでした」

 トリノでは日本勢惨敗

 日本人選手のハーフパイプ種目といえば、06年のトリノ五輪を思い出す。大会直前のW杯で好成績を収めていた日本勢は、メダルの期待を背負い、意気揚々と五輪本番に臨んだ。しかし、プロボーダーを多数擁したアメリカ勢など真の強豪たちの前に全く勝負することができなかった。

 青野は今季、W杯で2勝を挙げ、シーズンランキングトップに立っている。今年2月韓国で行われた世界選手権では他選手を圧倒する滑りで優勝を果たした。しかし、これらの舞台に米国勢の姿はなかった。「X-GAMESでアメリカに行ったことで自分よりも上の人間を見ている。このままでは五輪のメダルは難しいと自分でも思っているんじゃないですか」。父・伸之はそう語る。本人からも浮かれたところは全く感じられない。

 X-GAMESから1年、青野とアメリカ勢の差はどこまで縮まっているのか。それを確かめる機会となったのは、09年2月14日に開催されたバンクーバー五輪のプレ大会にあたるW杯サイプレス大会だ。五輪本番と同じパイプで行われた大会には五輪出場予定のトップ選手が多数参戦した。その中には、前年のX-GAMESで青野を下しているショーン・ホワイトの姿もあった。世界選手権の期間中に行われていたX-GAMESで連続優勝を果たし、カナダへ乗り込んできたのだ。

 サイプレスでの青野の成績は44.8ポイントで2位。このポイントは、直前に行われた世界選手権での優勝ポイントと同じ点数だった。優勝したのは、やはりショーン・ホワイト。青野に2.5ポイント差をつける47.3ポイント。まさに格の違いを見せつけられる滑りだった。青野は「自分では全開のつもりでもまだまだ」と試合を振り返った。高くそびえるショーンの壁。彼を越えることが改めて青野の目標となった。

 厳しいマークを跳ねのけろ

 スノーボードハーフパイプは過酷な競技だ。エアの高さは5mにも達し、ハーフパイプの底から見ればビルの4階ほどの高さまで飛び上がる。万が一、バランスを崩しパイプに叩きつけられれば、選手としてだけでなく、生命が奪われることもある。エアの技術は年々着実に進化しており、技の難易度が増すほどにケガの危険性は高くなる。また、滑りを採点するジャッジは常に技の新鮮さを求めている。ジャッジは驚くほど貪欲で、1年前に高得点を出した技でも全くポイントが伸びないこともよくある。

 今や世界中のライバルが「Ryoh Aono」の滑りに注目している。ショーンも青野の滑りは常にビデオでチェックしているという。オリンピックイヤー前年の世界王者となれば、厳しいマークにさらされることは想像に難くない。

 しかし、青野はあくまで自然体の構えだ。バンクーバーでの目標を訊ねると「まだ出場権を獲得したわけではないので、まずは自分が今やるべきことをやっていかなければダメ。国内を見ても自分と同じ歳くらいのライバルや下の年齢の選手もたくさんいますから」と驚くほど謙虚に答える。

 五輪本番まで、すでに1年を切った。「僕の滑りを見て、この人すごいと思う人が増えてくれれば嬉しい」。オリンピックの舞台での注目度はW杯や世界選手権と比べものにならない。日本のみならず世界中に「すごい」と思わせる滑りを本番でみせることができるのか。その時、バンクーバーの冬空に高く舞った青野の姿は金色にきらめくはずだ。


青野令(あおの・りょう)プロフィール>
1990年5月15日、愛媛県松山市生まれ。9歳からスノーボードを始め、04、05年JOCジュニアオリンピックハーフパイプ優勝。06年、キスマーク杯優勝。07年2月W杯富良野大会で初優勝、さらに2勝を重ね、06−07年W杯年間総合王者の座に就く。今季は1月のW杯郡上大会で優勝し、W杯通算6勝目を挙げ、韓国で行われた世界選手権ではスノーボード競技初の優勝。10年バンクーバーオリンピックではメダル獲得の期待がかかる。松山城南高3年。164センチ、57キロ。





(大山暁生)
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