私が小学生の頃だから、ちょうど東海大相模の監督に就任し、同校を初優勝に導く直前のことではないか。スポーツニュースでの一場面。「神社に何をお祈りしたのですか?」。インタビュアーの質問に、監督の原貢は「いや、なにもお祈りなんかしていない。“優勝するから、神様ぜひ見ておいてください”と前もって報告しにきたんですよ」と平然と答えたのだ。

 子供心にも「この人はただ者ではない」と思った。予告どおり、原貢は1965年の三池工高に続き、同校で2度目の全国制覇を達成する。エースは上原広一というサイドスローだった。ピンストライプのユニフォームが都会のイメージを振りまいていた。
 原貢は言うまでもなく、「侍ジャパン」の総大将、原辰徳の尊父である。過日、原辰徳にインタビューする機会を得た。会うたびに感心するのだが、この人はいつも爽やかで、およそ悪意というものをその言説はもとより物腰からも感じさせない。学年でいえば、私よりもひとつ年長だが、これまでも、そしてこれからも我々の世代の星であり続けるだろう。

 閑話休題。原辰徳にも父親譲りの言語的センスを感じる。それが侍ジャパンにおける「日本力」だ。正直言って最初にこの言葉を目にした時には新鮮な感じはしなかった。てっきり「にほんりょく」と読むものとばかり思っていた。ちょっと凡庸だなと。
 書店に行ってみればわかる。最近の売れ筋の本のタイトルはほとんどが「××力(りょく)」だ。赤瀬川原平さんが「老人力」という本を出した時には「恐れ入りました」とヒザを打ったものだが、今では猫も杓子も「××力」。もっと独創性はないのか。私も含めて…。
 周知のように侍ジャパンの場合「日本力」と書いて「にほんぢから」と読む。その心は?「手づくり感がありますよね。これから自分たちの手で日本野球の新たな伝統をつくっていくんだという強い意志を感じてもらえるのではないか」。

 底力だって「そこぢから」と読むから腹の底から力がわくのであって「ていりょく」ではみなぎるものがまるでない。相撲だって昔は力士と書いて「ちからびと」と呼んでいた。原辰徳が言うように訓読みには音読みにはない手づくりの力感がある。侍大将は一面、深謀遠慮の人でもある。

<この原稿は09年2月25日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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