プエルトリカンと聞いて、真っ先に思い出すのはWBC、WBAで3階級を制覇したウィルフレド・ゴメスだ。WBC世界ジュニアフェザー(現スーパーバンダム)級で17連続KO防衛という途轍もない記録を打ち立てた。ニックネームはバズーカ。

 衝撃的だったのは1978年1月19日、北九州市でのロイヤル小林との2度目の防衛戦だ。日本列島初上陸。プエルトリカンの腰に巻かれた緑のベルトは元々は小林が持っていたベルト。挑戦者にはベルト奪還の期待がかかった。

 だが実力の差は予想をはるかに超えていた。3回、プエルトリカンのレフトがうなりを生じた瞬間、挑戦者は前のめりにキャンバスに沈んだ。事実上、そこで勝負あり。まさにバズーカなみの破壊力だった。

 バズーカと言えば、このプエルトリカンの肩も全盛時は人間離れしていた。男の名はイバン・ロドリゲス。言い伝えがある。16歳でレンジャーズと契約したロドリゲスは19歳でメジャーに上がった。マウンド上には当時44歳のノーラン・ライアン。イバンのひたむきさに惚れたライアンは、わざわざマウンドから半歩下りてきてボールを受け取り「グッド」と声をかけ続けた。

 英語の得意ではない若きプエルトリカンの耳に容赦のないヤジが突き刺さった。どうすればヤジを止めることができるか。一計を案じたライアンは一塁走者に故意にモーションを盗ませた。二塁に滑り込んだ瞬間、一塁走者は茫然となる。既に捕手からの送球は足元のところで待っていたのだ。敵のダグアウトが水を打ったように静まり返ったのは言うまでもない。

 MVP1回、ゴールドグラブ賞13回、シルバースラッガー賞7回、オールスターゲーム出場14回…。数々の勲章を持つイバンも37歳。昨オフ、ヤンキースからフリーエージェントとなったが、米国を襲った金融危機の影響を受け、移籍交渉は難航していた。だが昨日、アストロズとの交渉が合意に達したとのニュースが米国から流れてきた。WBCでの奮闘が評価されたのかもしれない。今朝(日本時間18日)、プエルトリコはセミファイナル進出を懸けて米国と戦う。合衆国領という政治的地位は如何ともし難いが、野球においては本国の後塵を拝するようなチームではない。

<この原稿は09年3月18日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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