愛媛時代、菅沼の印象に残っている試合がある。それが古巣・柏とのゲームだった。愛媛のオレンジのユニホームを身にまとい、初めて日立台のピッチに立つと、少し不思議な感覚がした。「試合になったら関係ないと思っていましたけど、やっぱり、みんな知った選手ばかりですからね」。柏の熱いサポーターからはブーイングを浴びせられると思っていたが、思いのほか、温かく迎えられた。「ブーイングもされないような選手なんだと、少し悔しかったですね」
 しかし、J1復帰を至上命題に掲げるクラブとJ2に参入したてのクラブの実力差は大きかった。第1クールの初対戦から3連敗。菅沼も成長のあとをみせようと意気込んでプレーしたが、結果は思うように出なかった。迎えた第4クール、シーズン最後のマッチアップが巡ってきた。J1年目で苦しんだクラブも最終クールに入って2勝2敗1分。歯車がかみ合いつつあった。「ある程度、J2に慣れて、やろうとしていることがチーム全員ができるようになっていました。みんな言っていましたよ。“負ける気がしない”って。“今日は食ってやろうぜ”って」

 0−0で迎えた後半2分、その時はやってきた。セットプレーからゴール前に入ったボールを柏DFがクリアミス。そのスキを逃さず、右足を振りぬいた。古巣から奪った先制ゴール。「今、思えば、あのゴールのおかげで柏に戻れたのかもしれませんね(笑)」。菅沼のゴールで勢いづいた愛媛は計3ゴールをあげ、勝利をおさめた。2ゴールをあげたFW田中俊也はこう振り返る。「でもミノル、ゴールを決めた時、思ったほど喜んでなかったんですよ。昔からいたクラブが相手だと、複雑な心境だったのかな」

 45試合で11ゴール。愛媛で経験と結果を残し、菅沼は柏への復路便のチケットを入手した。そして、2007シーズン、3年ぶりに黄色のユニホームを着ると、開幕からサッカーファンに衝撃を残す。開幕の磐田戦で2ゴールを決めると、最初の4試合で4得点。レイソルの開幕4連勝に貢献した。「結果にこだわろう、勝負にこだわろうと思った結果ですね。ここで出られなかったら意味がないと思っていました。“愛媛にいたほうが良かったんじゃない”って言われるのもイヤだし、悔しい。チュンソン(李忠成)とか外国人もいましたけど、“絶対に負けねー”という思いだけでした」

 この爆発が認められて北京五輪予選に出場するU-22日本代表にも選出された。「愛媛を出るときにサポーターと“日本代表を目指す”って約束したんで、“良かったな”って」。ただ、代表で1ゴールも決められず、青いユニホームを着続けることはできなかった。「それまでも選ばれていなかったのが僕の実力だし、結局、その後も選ばれなかったのが僕の実力ですから」。菅沼は自分のレベルを冷静に見つめていた。

 五輪が終わった今、誰もが目指すサッカー選手としての目標はフル代表に選ばれ、W杯に出ることだ。
「W杯は出たいといわれたら出たいですよ。夢ですからね。ただ、今はもう目の前の試合に勝ちたい。点とって勝ちたい。レイソルでタイトルとりたい」
 今シーズンは背番号と同じ15ゴールをクリアしたいと考えている。19日の名古屋戦では今季2ゴール目をマークした。セットプレーでの早いリスタートから、相手の守備陣が整う前にすかさずミドルシュートを放った。

 柏はここまで唯一リーグ戦で勝ちがない。「早くひとつ勝ちたいですよ」。そのために求められる自らの役割は誰よりも分かっている。「単純に点を取ることだと思います。このチームで僕が点をとらないと始まらない。そこにこだわっています」。まずは柏のエース、そして日本のエースへ――。その礎となる今シーズン、菅沼実は今日もピッチを躍動する。

(おわり)
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<菅沼実(すがぬま・みのる)プロフィール>
1985年5月16日、埼玉県岩槻市(現さいたま市岩槻区)出身。ポジションはMF、FW。4歳からサッカーを始め、柏ジュニアユースを経て、ユース所属の02年に17歳5カ月の若さでJリーグデビュー。翌年には初ゴールも記録する。04年、トップチームとプロ契約。05年にブラジルリーグ2部のECヴィトーリアへ期限付き移籍。06年にはJ昇格直後の愛媛FCに移籍し、45試合で11得点をあげ、結果を残す。07年に柏に復帰後は開幕4試合で4得点をあげ、北京五輪予選に臨むU-22日本代表にも選ばれた。08年は30試合10ゴールとJ1で自己最高の成績をあげている。これまでの公式戦通算成績は134試合31得点、J1通算68試合17得点(2008シーズン終了時)。173センチ、69キロ。







(石田洋之)
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