トンネルをくぐると、そこには青空が広がっていた。春というより初夏を思わせる南半球の強い陽射しが、細身の日本人ランナーの凱旋を待っていた。

 競技場に入り、青い目のランナーの猛追にあいはしたものの、背後を脅かされるというほどのものではなかった。ゴールの瞬間、高橋尚子は両手を高々と突き上げ、9万人近い観客のスタンディング・オベーションにこたえた。

 シドニー五輪・女子マラソン。タイムだけを比較すれば2時間20分43秒の世界最高記録(当時)を持つテグラ・ロルーペ(ケニア)と2時間21分47秒の世界歴代2位の記録を持つ高橋が軸になるだろうと予想された。

 では、このふたりのスピードランナーが負けるとすれば、どんな展開か。42.195キロの中で何度か試みるであろう彼女たちのスパートに食い下がり、並走状態を持続しながら、後半の勝負どころで一気に抜き去る――。競馬にたとえていえば、第4コーナーを回ってからの叩き合いに持ち込むしか方法はない。

 今回の選手の顔ぶれを見ればリディア・シモン(ルーマニア)こそがこの戦術の最高の使い手であり、持ちタイムこそ2時間22分54秒ながら、有力な対抗馬として本命に近い評価を得ていた。

 スタートしてから15キロの通過タイムは51分19秒。この付近でロルーペがスローダウンし始める。仕掛けたのは高橋だった……。

※このコーナーでは各スポーツの栄光の裏にどんな綿密な計画、作戦があったのかを二宮清純が迫ります。全編書き下ろしで毎週金曜日にお届けします。



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