テレビでは今日も野球中継をやっている。といっても、地上波ではありませんよ。たとえば6月30日から巨人−広島3連戦があったのだが、読売の主催試合にもかかわらず、日本テレビは中継しなかった。そんなに野球が見たけりゃ、勝手にケーブルテレビにでも加入しろってか?
 その一方で、たとえばNHKの衛星第一は連日メジャーリーグ中継を流し続けている。ただし、この局の中継はニューヨーク・ヤンキース、ボストン・レッドソックス、シアトル・マリナーズに大きく偏重しているから、ほぼ毎日、この3チームのいずれかの試合を見ることになる。メジャーって、他にも球団はたくさんあるはずだけど。
 日本人選手を中心に、ということかと思うと、必ずしもそうではない。例えば、黒田博樹のロサンゼルス・ドジャースは年に数回しか中継してもらえない。斎藤隆がクローザーだった去年でもだ。要するにNHKにとっての日本人選手とは、松井秀喜と松坂大輔とイチローのことであるらしい(斎藤も城島健司も岡島秀樹もいるではないか、とおっしゃる方には、あえて反論はいたしませぬ)。

 というわけで、ぼんやりメジャーリーグ中継を見ていると、ふと、あるものの不在に気づく。
 どこからどう見ても、WBCの影がないのである。メジャーリーガーたちにとっては、今年の3月にWBCなる催しはなかったかのようだ。
 これが日本のプロ野球となると、様相はまったく異なる。例えば東北楽天。WBC決勝で先発したエース岩隈久志はヒジの不調を訴えて離脱した。田中将大も肩が万全ではないようだ。
 逆に、例えば埼玉西武の中島裕之、あるいは横浜の内川聖一。オレは日本代表の中核を担って優勝に貢献したんだ、という自信あるいは自負が、彼らのプレーをより成長させたように見える。WBC優勝という事実は、日本野球に極めて大きな影響を及ぼしている。

 この彼我の温度差は何なのだろうか。
 よく言われるのは、WBCという大会は、アメリカでは認知度が低いという解説だ。スポーツ専門局ESPNのテレビ放送の平均視聴率は1.3%だったとか。
 象徴的なのは、レッドソックスのテリー・フランコナ監督である。松坂がWBCで力投している頃、「この時期にあんなに球数を投げて……」と不満を隠さなかった。6月22日に松坂が故障者リスト(DL)入りした時も、「大輔が国のために投げるのは素晴しいが、ウチの他の投手は同じように感じていない」とコメントしている。つまり、3月はキャンプ、オープン戦でシーズンに備える時期であって、肩は消耗品なのだから、この時期にシャカリキに投げてもらっては困る、ということだ。

 不幸にして、フランコナ監督の見解は当たってしまった。シーズンに入っての松坂の極度の不振はご承知の通りであり、現在は2度目のDL入りで、前半戦で復帰の見通しは立たないという。
 レッドソックスは今や、宿敵ヤンキースを凌ぐ、メジャーリーグでも1、2の強豪チームである。ジャコビー・エルスベリー、ダスティン・ペドロイアといった俊足強打、デビッド・オルティスやジェイソン・ベイのような大砲、名捕手ジェーソン・バリテック、先発はエースのジョシュ・ベケットにナックルボーラーのティム・ウェイクフィールド、若手左腕ジョン・レスター、中継ぎにマニー・デルカーメンや岡島、斎藤がいて、クローザーはジョナサン・パペルボン。どこからどう見ても非の打ち所のない、見事にバランスのとれたチーム編成である。

 率いるフランコナ監督は、これがまた、徹底してアメリカ流の思考法である。先発投手は、100球まで。要するに6回まで試合をつくってくれればよい。あとは中継ぎ、抑えの仕事。
 例えば、6月27日(現地時間)のボストン・レッドソックス対アトランタ・ブレーブス戦。先発ウェイクフィールドは好調で、6回まで3安打無失点。1−0でレッドソックスがリード。球数は88球だった。ところが次の回、ウェイクフィールドに打順がまわると、あっさり代打を出したのである。
 試合は、7回からデルカーメン、ジャスティン・マスターソン、パペルボンとつないで、結局、1−0と完封勝ち。

 6月9日には、ベケットが6回までわずか1安打完封だったのに、それでも降板させた(6−0と大きくリードしていたという要素はあるのだろうけれど)。
 なぜ3安打、あるいは1安打無失点なのに降板なのか。おそらくこうだ。チームはこれから夏場を乗り切り、ポストシーズンに進出して、ワールドシリーズに勝たねばならない。10月までの長丁場を考えれば、今季好調のウエイクフィールドやエース・ベケットの肩を必要以上に消耗させないため、6回で降板させる。これが必ず、ポストシーズンに生きる。

 少なくともワールドシリーズに進出することくらいまでは前提にして采配をふるっているのだろうから、この考え方は正しいともいえる。
 ただ、ウェイクフィールドやベケットは何をする人なのだろう(レスターでも同じことだが……)。6回までを2、3失点以内に抑える役割を負っていることはわかる。しかし、そのような存在は、「先発投手」というより「先発役割」と呼ぶべきではないか。
 野球において、投手はゲームを始める役割を担っている。投手が打者にボールを投げないとプレーは始まらない。しかし、それだけだろうか。観客は、野手とは違う投手らしいすごい球筋を目撃するのもまた、観戦の目的なのではないか。だとすると、6月27日の観客は、ウェイクフィールドのナックルの軌跡を観賞する機会を、必要以上に妨げられたことにならないか。9日もしかり。もちろん、そんなことより、チームが勝ち続けてポストシーズンに行くことの方が重要だというのが、フランコナ監督、そしてメジャーリーグほとんどの監督の考え方である。

 松坂の極度の不振の原因が、必ずしもWBCで投げたことだけにあるとは限らない。彼は西武時代から、完投を意識していたし、球数も多い方だった。上体に頼った投球フォームが不振の原因と指摘されるが、これとて、WBCで急にそうなったわけではない。
 18勝した去年も、既に今のような投げ方だったし、むしろ、彼のフォームのもつ潜在的なクセが徐々に表れてきた経年変化だと見ることもできる。
 むしろ、フランコナ監督の、アメリカの監督らしいWBCへの疑念と、松坂の肩の蓄積疲労が、極めて不幸な形でぶつかったのが、今回のDL入りだったような気がしてならない。

 しかし、それは起きてしまった結果であって、問題の本質ではないのではないか。
 一つには、メジャー流の考え方の問題がある。本当に投手は100球で降板しないといけないのだろうか。それでは、例えば、ノーラン・ライアンとかランディ・ジョンソン(サンフランシスコ・ジャイアンツ)のような伝説的な大投手は出現しにくくなるだろう。6回まで投げる「役割」の人と、9回になお160キロ近い速球を投げる人では、同じ投手とはいっても、別の種類の存在である。例えば今、ダルビッシュ有が魅力的なのは、後者の道を選びとろうとしているからではないか。
 ここには日本とアメリカの野球に対する考え方の違いが露呈している。

 日本人は基本的に投手好きだ。松坂もダルビッシュも田中将大も好きでしょ? みんな高校野球のヒーローだ。高校野球では、まず、その年で一番いい投手に注目が集まる。少年野球で一番うまい子は、たいていピッチャーになる。だから、かつて、日本のテレビ放送では捕手の後ろから、投手中心に映像を撮っていた(アメリカ流に変わって久しいけれど)。
 野村克也さんをはじめとする名捕手が尊敬を集めるのも、その傍証といえるかもしれない。この国で捕手が評価されるのは、ほとんどそのリードについてである。キャッチングやスローイング、セーブする技術で評価されることはめったにない(WBCの石原慶幸の評価は稀有な例外といっていい)。つまり、捕手の身体的な技術そのものより、そのリードによって投げられたボールに関心が集まっているのだ。

 一方のアメリカは、基本的にベーブ・ルースの国である(いや、もちろん日本も長嶋茂雄の国なのだが)。ドカーンと打ってナンボ。いま一番すごい選手は、特大ホームランを量産するアレックス・ロドリゲスであり、アルバート・プホルスであり、人気があるのはヤンキースの遊撃手デレク・ジーターなのである。なにしろ、オールスターのファン投票は野手のみが対象で、投手はすべて監督推薦という国なのだ。これは象徴的である。
 つまり、根本のところで、ピッチャーとはpitchする人、あえて訳せば、打者を制圧するために投げる人というより、プレーを開始するためにボールを放る人なのではないか。だから、テレビ画面もセンター方向から打者中心に撮る。

 ただ、最近、面白いニュースを目にした。史上最多7度のノーヒットノーランを誇るかのノーラン・ライアンが、去年、テキサス・レンジャースの球団社長に就任した。ライアンはリトルリーグにまでおよぶ球数制限に疑義を呈し、「球数を気にして、投手が本来持っていたスタミナを奪っている。失ったものを取り戻さないと」と語っているそうだ(スポーツニッポン6月19日付け。「From USAプレスα」)。ノーラン・ライアンはまさに打者を制圧する剛球投手だった。彼の「投手思想」は、「100球思想」という、アメリカに浸透した文化にはたして一石を投じることができるのだろうか。

 さて、もう一つの問題はWBC。
 例えば、メジャーリーグのオールスター・ファン投票上位の選手を見てみるといい。ミネソタ・ツインズのジョー・マウアー。あるいはタンパベイ・レイズのエバン・ロンゴリア……。まあ、誰でもいいのだが、ほれぼれするようなスイングで、強烈な打球を連発している。マウアーなど、アメリカの前田智徳である。その美しいスイングは観るものを惹きつけてやまない。吸い込まれるような眼福がある。つまり、彼らは、WBCのときのアメリカ代表とは、まるで別人のコンディションでプレーしているのだ。彼らにとって、あくまで3月は調整期間であり、今が本当のアメリカ野球である。だからこそ、彼らのプレーにはWBCの影がどこにもない。

 それなのに、周知のようにWBCの収益の配分率はMLB機構と選手会(つまりメジャーリーグ)で66%、日本は13%、韓国は9%だという。要するに、収益だけは、アメリカ野球にとられているのである。まあ、つい、アメリカ帝国主義とも言いたくなりますね。
 これを解消するには、とりあえず3月開催を、オールスター期間の7月開催にかえるしかないと私は思うが、それ以外にも、もちろん打開策はあるだろう。
 いずれにせよ、日本野球とアメリカ野球の間には、まだまだ埋めるべき思想の溝が横たわっている。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
◎バックナンバーはこちらから