二宮: 引退後は、部屋付きの親方として若手を指導する立場になりました。教わる側から教える側になっての変化は?
楯山: 今まで現役として部屋の若い衆に見られてきたわけですから、自分ができなかったことを人にやれと言っても説得力がない。ですから、自分がやってきたことをしっかり教えるようにしています。相撲は結果が良ければ、それでいいものではない。結果に至るまでの過程が大事です。礼儀作法から始まって稽古への取り組み方に至るまで、基本を大切に指導しています。
二宮: やはりタイプとしては押し相撲が教えやすい?
楯山: 四つ相撲でも自分の体験上、こうやられたらイヤだろうという点は逆に教えやすいと感じています。押し相撲だろうが四つ相撲だろうが、その子の得意な部分が伸びるようにアドバイスできればと思っています。

 伸びる力士の条件

二宮: 親方の入門時とは異なり、相撲部屋を取り巻く状況は激変しています。今では新弟子でも携帯電話を持っているし、おなかが空けば、近くのコンビニで食べ物を調達することだって可能です。その中で、昔ながらの指導法が通用しなくなっている部分もあるように感じます。
楯山: そうですね。時代と共にいろんな部分が便利になってきていることは確かです。ただ、最終的に問われるのは人間の心。携帯があれば、それで電話やメールをして済むかもしれません。でも、そこできちんと相手に会って挨拶ができるか。せっかく相撲の世界にやってきたわけですから、人と人とのコミュニケーション、交わりは大事にしてほしいです。いい伝統は残していかなければならないと思っています。

二宮: 若い弟子たちを見ていて、伸びる力士とそうでない力士のポイントはありますか?
楯山: まずは素直であること。親方や先輩のアドバイスに従える力士は必ず強くなります。次にただ太っているだけではダメ。跳んだり、走ったり、身体能力はそこそこ必要です。最近の新弟子を見ると、この点でひ弱な力士が多い。それこそ相撲の未経験者でも、他のスポーツで頑張ってきた子のほうが金の卵になる可能性があります。

二宮: 山本山(体重258キロ)みたいに太りすぎではいけないと?
楯山: 彼はお客さんから見れば、おもしろい存在です。あれはあれでひとつのキャラクターだと思います。ただ、あそこまで太ると身動きはとりにくいでしょうね。
 若い力士が相撲の世界で生きていくための条件をもうひとつあげれば、ご両親の理解も欠かせません。「厳しかったら帰ってきていいよ」と言われると、どうしても子どもは親に甘えてしまう。こちらとしては「帰ってくるところはないんだから、必死で頑張れ」と突き放してほしい。そのくらいの心構えで取り組まないと、プロの世界では成功しませんよ。

二宮: 親方のご両親はいかがでしたか?
楯山: 父は怖かったですね。母は基本的には優しかったのですが、一度だけ厳しく言われたことがあります。高校に入って道場で下宿を始めた頃、相撲がイヤだったのと、初めて親元を離れた寂しさもあって、母に「辞めたい」って漏らしたことがあったんです。すると母は「お前の帰ってくるところはないよ!」と。正直、「なんて薄情な母親なんだろう」と思いましたね(笑)。でも、今になって思えば、それが親心だった。おそらく母は「弱音を吐かずに頑張りなさい」と言いたかったのでしょう。

 外国人力士躍進の理由

二宮: 近年の大相撲はモンゴル人力士をはじめ、外国人の活躍ばかりが目立ちます。実際に対戦したり、現場で見ている中で感じる彼らの強さの理由は?
楯山: 家族愛でしょうね。勝って、いっぱいお金を稼いで、親を楽にしよう、家族のために頑張ろうという気持ちが、強さの源になっている。翻って、日本人力士には帰る場所がある。だから自分がやらなくては、という責任感が芽生えてこない。

二宮: 一昔前のお相撲さんは郷土の代表として、憧れの的でもありました。故郷に錦を飾るまでは帰ってこられないとのプレッシャーもありましたよね。
楯山: 僕の実家は田舎ですから、結果を残せずに帰ってしまってはウワサになる。「親に恥をかかせたくない」という気持ちは常に持っていました。
 やはり人間は「自分のために頑張る」だけでは、そこから逃げてしまう弱さがある。だから、家族のためでも故郷のためでも何か守るべきものがあるほうが相撲も伸びるように感じています。

二宮: そういうハングリーな日本人力士はこれから出てきそうですか?
楯山: 全くゼロではないですよ。相撲部屋は寝食をともにスタイルですから、良いところも悪いところもすぐわかります。いずれにしても、この世界はずっと相撲をとれるわけではない。指導者としては相撲道にのっとって力士を強くするのが一番ですが、たとえ辞めても立派に社会生活を送れるように指導することもひとつの役割だと感じています。

二宮: あらためて現役生活を振り返って、良かったことを教えてください。
楯山: 何より自分が土俵で活躍することで、いい親孝行できました。もうひとつは相撲を通じて、普通では会えないような方々と知り合えたことですかね。最初は嫌々だった相撲でしたが、そのおかげで今の自分がある。今は相撲に感謝しています。

二宮: 同郷ということもあり、この15年間、本場所中はずっと親方の結果をチェックしていました。「今日は勝ったかな」と。そういう楽しみがなくなって、寂しさを感じています。
楯山: 愛媛に帰った時に、他にもそんな声をたくさんいただきました。「相撲を見る楽しみがなくなった」と。僕にとっては、ありがたい言葉だと思っています。
 だからこそ、早く「愛媛県出身」というアナウンスが国技館やテレビで流れる力士を育てたい。それが僕の地元への恩返しになるはずです。そのためにも郷土のちびっこ相撲から協力させていただけるところがあれば、どんどん参加したいと考えています。
(写真:断髪式で地元の豆力士たちから花束を受け取る)

二宮: 昔は学校内や神社の境内に土俵があって、よく友達と相撲をとったものです。最近は地元に帰っても、そういう風景を見かけなくなりました。
楯山: そうですね。周囲の環境はもちろんですが、相撲自体に子どもたちが魅力を感じていない面もあるのではないでしょうか。どうすれば相撲をカッコいいと感じてもらえるか。現役時代以上に積極的に相撲のよさを伝える活動ができればいいですね。
 
(おわり)
>>第1回はこちら
>>第2回はこちら
>>第3回はこちら
>>第4回はこちら

<楯山良二(たてやま・りょうじ)プロフィール>
1972年1月7日、愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)生まれ。本名:松本良二。現役時代の四股名は玉春日。野村高、中央大を経て、片男波部屋に入門。94年初場所、幕下付出で初土俵を踏む。翌年、十両に昇進し、96年初場所新入幕。得意の突き、押しを武器にその場所で10勝をあげ、敢闘賞に輝いた。翌年、夏場所には横綱・貴乃花(現・親方)から初金星。名古屋場所では自己最高位となる関脇に昇進した。その後はヒザ、首などのケガもあり、十両落ちも経験するが、06年名古屋場所では11勝4敗の好成績で技能賞を受賞。55場所ぶりの三賞は最長ブランク記録だった。同年と07年はいずれも6場所中4場所で勝ち越し。35歳を超える年齢を感じさせない相撲で土俵を沸かせた。08年秋場所をもって引退。年寄・楯山を襲名し、後進の指導にあたる。通算成績は603勝636敗39休。十両優勝1回、殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞2回、金星7個。


☆プレゼント☆
楯山親方のサイン色紙「日々努力、日々精進、日々感謝」を読者の皆様にプレゼント致します。ご希望の方はより、本文の最初に「楯山親方のサイン色紙希望」と明記の上、住所、氏名、連絡先(電話番号)、このコーナーへの感想や取り上げて欲しい四国出身のアスリートなどがあれば、お書き添えの上、送信してください。応募者多数の場合は抽選とし、当選は発表をもってかえさせていただきます。たくさんのご応募お待ちしております。









(構成:石田洋之)
◎バックナンバーはこちらから