イチロー選手がまた、やってくれましたね! 9月6日(現地時間)のメジャーリーグ通算2000本安打に続き、1週間後の13日(同)にはメジャー史上初となる9年連続200本安打を達成。これまで歴代のスーパースターたちでさえも為し得ることのできなかった大記録を樹立しました。その瞬間、僕は純粋に「やっぱりイチローはすごいな」と思うと同時に、数年間ではあるものの、同じ時代に野球ができ、対戦することができたことを誇りに思いました。
 イチロー選手への最初の記憶といえば、1993年、当時近鉄のエースだった野茂英雄から放った長岡市悠久山野球場でのプロ初ホームラン。ブルペンからその一発を見ていたのですが、「うわぁ、この選手はいいなぁ」と思ったものです。実は以前から「オリックスのファームに鈴木一朗といういい選手がいる」と噂には聞いていました。実際、彼はウエスタン・リーグで規定打席に到達さえしていれば首位打者になるほどの高打率を残していましたし、ハワイ・ウィンターリーグでMVPにも輝くなど華々しい活躍をしていました。

 イチロー選手が一軍のレギュラーを獲得し、日本新記録の210安打を放った1994年以降は、僕も彼と対戦することを常に楽しみにしていました。周知の通り、イチロー選手の存在は年々大きくなり、一躍スター選手となりましたね。それと比例して、僕自身の「イチローと勝負したい!」という思いも強くなっていったのです。

 当時、彼はインサイドへの速球を苦手としていました。ですから、ピッチャーは皆、執拗に内角を攻めたものです。あまりにも厳しいコースを狙いすぎて、死球になってしまうことも珍しくなかったと思います。しかし、それくらいしないと打たれてしまう。それほどの強打者でした。

 しかし、彼の人間性は有名になっても全く変わることはありませんでした。メディアでは冷静沈着なイチロー選手の姿が多く見受けられますが、本当は少年のようにやんちゃ者。まだ彼が日本にいた頃、新幹線で僕を見つけると、後ろからいたずらっ子のようにニヤニヤしながら突っついてきたりして、本当にお茶目な後輩という感じでした。それは今でも同じですし、そこがまた彼の良さでもあります。

 僕がイチロー選手と対戦するときは、外寄りのストライクコースからボールになる変化球で横に揺さぶりをかけて勝負していました。これだとセカンドゴロの確率が結構高かったのです。しかし本音を言えば、純粋に力と力の勝負をしたいといつも思っていました。もちろん、チームの勝敗が一番ですから、いつもできるわけではありませんが、例えばワンサイドゲームになった時などは、ヒットを打たれてもいいから、とにかく思いっきり投げたものです。もちろん、特大のホームランを打たれたこともあります。でも、打たれたショックよりも勝負することが楽しくて仕方なかったことを覚えています。

 嬉しいことに、僕が彼との勝負を楽しんでいたことをイチロー選手自身も感じ取っていたようなのです。いつだったか、偶然にご飯屋さんで会った時、僕はイチロー選手にいつも対戦を楽しみにしていることを告げたことがありました。すると、彼はこう言ったのです。「佐野さんが僕との勝負を楽しんでくれているのはわかっていましたよ」と。まさか、感じ取ってくれていたとは思いもしなかったので、あの時は本当に嬉しかったですね。

 さらに、こんなこともありました。藤井寺球場で対戦した時のことです。インサイドの真っすぐで彼をファーストゴロに打ち取ると、すれ違いざまにイチロー選手がボソッと、「佐野さんは僕の時だけは(厳しいところに)きますねぇ(笑)」と言ってきたことがあります。やはり、僕がイチロー選手を意識していたことがわかっていたんですね。彼もそれを期待しているようで、ますます勝負するのが楽しみになりました。

 さて、メジャーに行ってからのイチロー選手ですが、日本にいた頃との一番の違いは、彼自身のストライクゾーンが広くなったことでしょう。特に苦手としていたインサイドへの対応は目に見張るものがあります。普通、ピッチャーが厳しく突いてくると、引っ張りすぎてファウルになることが多いのですが、イチロー選手はきちんとフェアゾーンに入れてきます。逆に対戦するピッチャーは勝負ゾーンが狭くなり、苦労していることでしょう。

 打撃フォームの変化についてもよく言われていますね。オリックス時代には“振り子打法”が有名でしたが、メジャー移籍後は足の上げる高さなどを徐々に変えてきています。イチロー選手が進化できているのは彼がその場に踏みとどまることなく、常に研究しているからに他なりません。野茂英雄もそうでしたが、彼らは人より何倍も向上心が強い。そしてそのための努力を惜しみません。彼らこそが真のプロフェッショナルといってもいいでしょう。

 今後、イチロー選手がどんな活躍をしてくれるのか、期待する声も少なくありません。もちろん、僕もそのうちの一人です。イチロー選手も来月で36歳。年齢を考えれば、体力も技術も陰りが出てきてもおかしくありません。しかし、イチロー選手にはいつまでも僕たちが思い描くイチローいてほしい。そのためにも彼のスタイルを貫き通してほしいと思っています。

 実は取材の際、僕はイチロー選手に7割本気、3割冗談でこんなお願いをしたことがあります。「50歳まで現役を続けてよ」。本人は笑っていましたが、イチロー選手なら本当にやってくれそうな気がしてならないのです。10年後、15年後、まだ幼児の僕の子どもが小学生や中学生になって野球ができるような年齢になる頃まで続けているかもしれない……。そう思うだけでワクワクした気持ちになるのです。これから、どんなふうに僕たちを楽しませてくれるのか、これからもイチロー選手には目が離せませんね。




佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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