2006年、二神一人は法政大学に進学した。法大野球部といえば、言わずも知れた大学野球の名門。六大学リーグ優勝43回、全日本大学野球選手権大会優勝8回はいずれも最多を誇る。また、OBには古くは鶴岡一人(故人)、根本陸夫(故人)、黄金時代を築き上げた田淵幸一、山本浩二、富田勝の“法政三羽烏”や、六大学史上唯一の完全優勝での4連覇の立役者・江川卓……と日本野球界を代表する名がズラリと顔を揃える。もちろん、現在も全国から優秀な選手が集まり、レギュラー争いの厳しさは想像に難くない。やはり、入学当初はそのレベルの高さに驚いたのではないか――。ところが、二神の口からは意外な答えが返ってきた。
「不安ということはほとんど感じなかったですね。それよりも自分は高知高校、高知県の出身者として頑張りたいという気持ちでした。特に自信があったわけではありませんが、大学にもなると本当にうまい選手は1年生からレギュラーになるし、それが決して珍しいことでもありません。だから自分も4年間、主力として活躍できるように頑張ろうという気持ちでいました」
 その言葉通り、二神は1年秋にベンチ入りを果たした。そして今、エースとして君臨し、チームの“顔”となっている。
 二神は、明るい性格の持ち主だ。好奇心旺盛でいたずらが大好き。少年のような無邪気さは全く失われていない。二神自身、自らをこう分析する。
「特にうるさいわけではないと思いますけど、よく『子どもっぽい』とか『落ち着きがない』とかって言われます。22歳といえば、子どものときはずいぶんと大人に思えましたけど、実際自分がなってみると、まるで変わってなくて……。小学生や中学生がやるようないたずらばっかりして遊んでいます」
 二神のこの自己分析に異論を唱える者は誰一人いない。母親の真智子、そして高校時代から親友の木下裕矢の口からも同じような言葉が返ってきた。
「親戚からもよく言われるんですよ。『体は大きくなっても、小さい時と全然変わらんなぁ』って(笑)。一人自身が子どもっぽいところがあるからなのか、親戚の子ども達にも好かれているんです。みんな『かずお兄ちゃん、かずお兄ちゃん』って慕ってくれて、楽しそうに一緒に遊んでいます」(母親・真智子)
「二神は本当にようわからん性格ですよ(笑)。『大人なこと言うなぁ』と思って感心したりしていると、次の瞬間には子どもみたないたずらしたりしていますからね。高校時代から友達やってますけど、僕は未だにアイツをつかみきれていないんです」(木下)

 そんな二神は、マウンド上でもほとんど緊張することがないという。ピンチの場面でもほとんど表情を変えずに、テンポよく投げ込む。それがまた彼の一番の持ち味でもある。一見、飄々としている二神だが、やはりそこにはプレッシャーもある。特に昨年は重責を負いながらのピッチングに、思わず感情が表に出たこともあった。
 昨年、4年生には現在の二神と同じようにドラフト上位候補としてプロから注目されていたエース小松剛(広島)がいた。しかし、その小松が最後の秋を前に背筋を痛め、戦線離脱。大黒柱の穴を埋めるべく、開幕投手を任されたのが二神だった。慶応大学との開幕戦、今秋のドラフトで上位指名が予想されている中林伸陽との同級生対決は、白熱した投手戦となった。お互いに5回まで無失点に抑え、6回表に慶大が均衡を破れる先取点を挙げれば、その裏、法大もすかさず同点とした。そして1−1のまま、試合は9回裏を迎えた。1死一、二塁。打席にはキャッチャーの石川修平が入った。石川は中林のチェンジアップをレフトスタンドへ。サヨナラの3ランだった。劇的な勝利に喜びを爆発させるチームメイトの中で、まるで優勝したかのように泣いている選手がいた。二神だった。

「あの時の法政は低迷が続いていました。その年の春も5位。打線の調子も上がらず、ピッチャーも粘ることができずに、接戦をモノにすることができなかった。なかなか勝つことができない中で、エースの小松さんがいなくなってしまって……。やっぱり法大には歴史も伝統もある。その開幕投手を任されたことでプレッシャーをすごく感じていました。そのときの開幕戦もすごく苦しい試合だったんです。そんな中、石井がホームランで試合を決めてくれて……。もう嬉しくて思わず泣いてしまいました。勝ってうれし泣きなんて初めてでした」
 今春の日本一と同じくらい二神の心にはこの試合が深く心に刻まれている。

 日米戦で見えた課題

 現在、二神のストレートは最速150キロを誇る。高校時代は143キロ。4年間で7キロもスピードアップさせた。これには高校時代、明徳義塾高校のスラッガーとして高知高校エースの二神と対戦してきた中田亮二(亜細亜大)も「ここまで速くなるとは思いませんでした」と驚きを隠せないでいる。果たして、その要因となったのは何だったのか。
「何かを変えたわけではないんですけど、多分、体が大きくなったことがあるんじゃないでしょうか。身長は変わっていませんが、体重はこの4年間でだいぶ増えました。高校3年の夏は68キロでしたが、今は85キロくらいありますから」

 フォームも高校時代と比べると変化している。だが、それは決して意識的なものではないという。
「誰に何を言われたわけでも、特別に変えようと思ったわけでもありません。でも、ビデオなんかで見ると、やっぱり高校時代とは違ってきていますね。今のままではダメだと試行錯誤してきた結果だと思います」
 二神のピッチングを見ると、まるで力みが感じられない。にもかかわらず、ボール自体には威力があるのだ。
「昨年までは、とにかく力いっぱい投げていました。でも、やっぱりピッチングはそうじゃない。力んで四球出してっていうんじゃなくて、7、8割の力で、いかにキレのあるボールを投げるか。今年になって、力のいれどころというか、ピッチングのコツみたいなのがわかってきたような気がします」

 しかし、二神は今の自分に決して満足しているわけではない。いや、それどころか「全ての面で足りない」とさえ言い切る。それは、今年7月に行なわれた日米大学選手権がきっかけだった。
「実際に投げてみて、やっぱりアメリカのバッターは日本人とは骨格が違うし、パワーが違うなと。日本では凡打やファウルにできるボールが、アメリカ人のパワーでは、それがフェアゾーンに飛んで、しかも長打になってしまうんです。自分の力を全て出し切って、ようやくファウルになったり、空振りが取れたりする。基礎的な部分での力のなさを痛感しました」
 大学日本一のエースとなった今も、二神に慢心の気持ちは微塵もない。
 
 春秋、連覇に向けて

 9月12日、六大学野球秋季リーグが開幕した。二神にとっては大学最後のシーズンだ。もちろん、目指すは春に続いての連覇だ。
「春は最高のかたちで終えることができました。でも、自分たち法政大学野球部に求められているのは、そんなもんじゃない。プロでもそうだと思いますが、難しいのは勝つことよりも、勝ち続けること。とにかく、秋は連覇にこだわっていきます。もちろん、その中で自分が主力として貢献できるようにしたいと思っています」
 その結果がプロへの道につながる。二神はそう信じている。

 現在、日本球界を代表とするピッチャー、ダルビッシュ有(北海道日本ハム)。そして将来は日本のエースとなるであろう田中将大(東北楽天)。ともに同世代だが、彼らの域にはまだまだ達していない、と二神。技術的には「これだけは負けない」という武器もまだないという。しかし、二神はアスリートとして何よりも大事なものを有している。それは、ケガに強いことだ。どんなに優秀な選手も故障してしまえば、勝負の舞台に立つことさえできない。その点、二神は22年間、一度も大きなケガをしたことがない。
「今もまだ自分が好きな野球を思いっきりできているのは、親からもらったこの体があるからだと思っています。これだけは努力ではどうしようもないですからね。親には本当に感謝しています」
 この言葉を母親の真智子に伝えると、「そんなことを言っていたんですか? うちではあまり話さないんですよ」と笑った。
「話さないというよりね、自分の野球のことになると、もうペラペラとよく話すんですよ。でも、こちらが何か質問しても、『うん』とか『わかった』とかで終わるんです(笑)。でも、そんなこと言っているなんて、やっぱり大人になっているんですねぇ」

 野球の話はよくするという二神だが、人前で「プロ」という言葉はあまり出さないようだ。両親がプロを目指しているということを知ったのも、本人の口からではなく、雑誌のインタビューだったという。
「高校入学する時はまだプロという言葉はなかったですね。とにかく甲子園を目指すんだ、と言っていましたから。でも、3年生の時に雑誌のインタビューで『プロになりたい』とあったんです。その時に、『あぁ、本気なんだな』ってわかりました」
 プロへの挑戦が現実味を帯びてきた現在、親としてはどんな思いでいるのだろうか。
「もちろん、本当にプロになってくれたら嬉しいですね。一人が目指しているところですから。でも正直、不安もあります。プロは結果が求められる厳しい世界。入れたとしても、長くやっていけるのかなってね。でも、全部本人に任せています。やるだけやって納得できれば、たとえダメだったとしても、一人はきっと自分で道を切り開いていってくれると思っています」
 これまで高校も大学も本人の意志で決めてきた。そこに親の介入は一切ない。その背景には親子のしっかりと結ばれた信頼関係があったからに他ならない。これから二神がどんな人生を歩もうとも、それは変わらないのだ。

 現在、二神は大学No.1右腕として、ドラフト上位候補の筆頭に上がっている。否が応でも、二神への注目度はますます高まることだろう。それでも、本人に浮き足だったところはない。
「周りが評価してくれることは嬉しい。いい意味で励みにしたいと思っています。でも、とにかく今は法政大学野球部として最後のシーズンをどう過ごすのか。頭にあるのはそれだけです。その結果として、プロへの道も開けてくると思っています」
 果たしてこの秋、最高のシーズンを送ることができるのか。1日、1試合、1球が二神にとっては勝負となる。

(おわり)

<二神一人(ふたがみ・かずひと)プロフィール>
1987年6月3日、高知県出身。小学4年からソフトボールを始め、中学では軟式野球部に所属。高知高3年の夏は県大会決勝で敗れたものの、明徳義塾の辞退を受け、甲子園に代替出場。初戦で日大三(東京)に敗れた。法政大学では1年秋にリーグ戦デビューを果たし、昨年から先発投手の一角を務める。今年の春季リーグでは5試合に登板し4勝を挙げ、2006年春以来のリーグ優勝に貢献。日本選手権では全4試合に登板し、14年ぶりの日本一の立役者となった。183センチ、82キロ。右投右打。

(斎藤寿子)





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