第103回 オフトと3人のFW(後編)
中山雅史にオフトが与えた役割は「スーパーサブ」である。
当時、中山はオフトのことを女子プロレスラーのアジャ・コングに似ていると言って、よくからかっていた。

本人はスタメンでの出場を希望していたが、オフトは「キミのことはよくわかっている」と言って取り合わなかった。
中山の実力を過小評価していたわけではない。少ない残り時間の中でも点の取れる貴重なカードとしてベンチに置いておきたかったのである。
中山が存在感を見せ付けたのはアジアカップの準決勝・中国戦だった。
後半15分、GKの松永成立が中国選手の頭を蹴って一発退場となった。GKを入れ替え残り15分となったところで、中山をFWの高木に代えて投入した。彼の運動量を買ったのである。
これがまんまと図に当たった。後半39分、福田正博からのクロスボールを中山がヘッドで決め、勝ち越しに成功した。中山が救世主となった瞬間だった。
オフトは組織をよく時計に例えた。
いわく、ぜんまい仕掛けの時計は大きな歯車だけでは動かない。中くらいの歯車も小さな歯車も全て必要だ。サッカーも同じように、人それぞれ役割がある――。
そんな思想の持ち主ゆえか、オフトは選手個々の評価を聞かれても、沈黙を守り通した。これも今までの代表監督にはないスタイルだった。
中山は語ったものだ。
「高木は最初のうちは安定感がなかった。なぜオレを使わないのかという気持ちは確かにありました。誰だって先発で出たいわけですから。
しかしオフトがそういうやり方でいくのなら、それはそれで仕方がないな。そこから先は自分の問題ですね。どういうかたちであれ、使われる時はベストを尽くさなければならない。そこで結果を出せば先発で行けるかもしれない。いずれにしても一番大切なのは、チームが勝つことですから……」
中山といえば忘れられないシーンがある。1993年10月、ドーハでの米国W杯最終予選、対イラン戦。
0対2と敗戦濃厚の後半43分、後半に入ってから出場した中山は残り時間わずかなところでスライディングまでしてボールを拾い、角度のないところからシュートを放ち1点を返した場面だ。
中山はそのままゴールへと走り、相手DFからボールを奪い取り、下を向く選手たちを叱咤しながらセンターサークルまで走った。
このプレーが“死に馬”を走らせた。続く北朝鮮に3対0で快勝、韓国にも1対0で競り勝った。後で詳しく触れるが、ワールドカップ予選で韓国に勝ったのは初めてのことだった。
迎えた最終のイラク戦。中山が2点目を取り、2対1となって残り時間約10分。後半35分に中山はベンチに退いた。
そしてロスタイム。
「嫌な予感? それはありましたね。コーナーに行く前の雰囲気がすごく嫌でした。ベンチに戻っていた僕の位置から、あそこは見えにくい。それもあって僕はあれがショートコーナーだったことすら記憶にないんです」
中山がベンチで頭を抱えこむようにして崩れ落ちる映像は“ドーハの悲劇”の象徴的シーンとして繰り返し流された。
現実を直視すれば、韓国がアジアの中で頭一つ抜けていたのに対し、当時の日本はまだ“ドングリの背比べ”の中の一員だった。
カズとオフトの関係も当初は中山同様に微妙だった。
なぜならオフトに言わせると「FWとしてカズには悪いクセ」があった。ボールを持ちたがるカズは前線にボールが供給されないと、しびれを切らして低い位置まで下がり、自分でボールを取りにくるのだ。
オフトにはこれが我慢ならなかった。ひとりひとりの役割と持ち場を明確にすることでオートマティズムに磨きをかけたいと考えていた指揮官にとって、他人の仕事場への無許可出張は越権行為以外の何物でもなかった。
「持ち場を離れるな。チャンスが来るまで待て!」
オフトは口を酸っぱくしてカズに言ったが、一度身についたクセはなかなかなおらない。
「試合になれば、やるのは選手だ」
カズも簡単には引き下がらない。
両者のサッカー観の違いは、そう簡単には埋まらなかった。
この頃のカズはタスクを優先し、ピースのひとつとして節度ある行動をとることよりも、自身が縦横無尽にピッチ上で振る舞うことの方がチームにとって有益であると考えていた。カズは分別よりも節介を好んだ。実際、それだけの力量が当時のカズにはあった。
オフトもカズの経験と力量を認めていた。だが、認めることと白紙委任することは違う。チームのリズムを崩し、システムを混乱させ、一時的なスローダウンをも余儀なくされるカズの“自由行動”は、しかし、やがてオフトの許容の中におさまっていく。
オフトの指示どおりに動いたほうが効率がよく、チームにもプラスになることに気付いたからだ。その意味でオフトはカズに「FWとしての生き方」を教えた指導者ということもできる。
カズの白眉は米国W杯最終予選、第4戦の韓国戦だろう。先述したようにW杯予選ではこれまで1度も勝ったことのない韓国に、日本はカズのゴールで1対0で勝利した。
カズのゴールはニアサイドに走りこみながらも合わせることはできず、もう一度ゴール中央へ走りこみ、こぼれてきたボールをねじ込むという泥臭いものだった。あれこそは後世に語り継ぐに足る“魂のゴール”だった。
(おわり)
<この原稿は2009年11月24日号『週刊サッカーダイジェスト』に掲載されたものです>
当時、中山はオフトのことを女子プロレスラーのアジャ・コングに似ていると言って、よくからかっていた。

本人はスタメンでの出場を希望していたが、オフトは「キミのことはよくわかっている」と言って取り合わなかった。
中山の実力を過小評価していたわけではない。少ない残り時間の中でも点の取れる貴重なカードとしてベンチに置いておきたかったのである。
中山が存在感を見せ付けたのはアジアカップの準決勝・中国戦だった。
後半15分、GKの松永成立が中国選手の頭を蹴って一発退場となった。GKを入れ替え残り15分となったところで、中山をFWの高木に代えて投入した。彼の運動量を買ったのである。
これがまんまと図に当たった。後半39分、福田正博からのクロスボールを中山がヘッドで決め、勝ち越しに成功した。中山が救世主となった瞬間だった。
オフトは組織をよく時計に例えた。
いわく、ぜんまい仕掛けの時計は大きな歯車だけでは動かない。中くらいの歯車も小さな歯車も全て必要だ。サッカーも同じように、人それぞれ役割がある――。
そんな思想の持ち主ゆえか、オフトは選手個々の評価を聞かれても、沈黙を守り通した。これも今までの代表監督にはないスタイルだった。
中山は語ったものだ。
「高木は最初のうちは安定感がなかった。なぜオレを使わないのかという気持ちは確かにありました。誰だって先発で出たいわけですから。
しかしオフトがそういうやり方でいくのなら、それはそれで仕方がないな。そこから先は自分の問題ですね。どういうかたちであれ、使われる時はベストを尽くさなければならない。そこで結果を出せば先発で行けるかもしれない。いずれにしても一番大切なのは、チームが勝つことですから……」
中山といえば忘れられないシーンがある。1993年10月、ドーハでの米国W杯最終予選、対イラン戦。
0対2と敗戦濃厚の後半43分、後半に入ってから出場した中山は残り時間わずかなところでスライディングまでしてボールを拾い、角度のないところからシュートを放ち1点を返した場面だ。
中山はそのままゴールへと走り、相手DFからボールを奪い取り、下を向く選手たちを叱咤しながらセンターサークルまで走った。
このプレーが“死に馬”を走らせた。続く北朝鮮に3対0で快勝、韓国にも1対0で競り勝った。後で詳しく触れるが、ワールドカップ予選で韓国に勝ったのは初めてのことだった。
迎えた最終のイラク戦。中山が2点目を取り、2対1となって残り時間約10分。後半35分に中山はベンチに退いた。
そしてロスタイム。
「嫌な予感? それはありましたね。コーナーに行く前の雰囲気がすごく嫌でした。ベンチに戻っていた僕の位置から、あそこは見えにくい。それもあって僕はあれがショートコーナーだったことすら記憶にないんです」
中山がベンチで頭を抱えこむようにして崩れ落ちる映像は“ドーハの悲劇”の象徴的シーンとして繰り返し流された。
現実を直視すれば、韓国がアジアの中で頭一つ抜けていたのに対し、当時の日本はまだ“ドングリの背比べ”の中の一員だった。
カズとオフトの関係も当初は中山同様に微妙だった。
なぜならオフトに言わせると「FWとしてカズには悪いクセ」があった。ボールを持ちたがるカズは前線にボールが供給されないと、しびれを切らして低い位置まで下がり、自分でボールを取りにくるのだ。
オフトにはこれが我慢ならなかった。ひとりひとりの役割と持ち場を明確にすることでオートマティズムに磨きをかけたいと考えていた指揮官にとって、他人の仕事場への無許可出張は越権行為以外の何物でもなかった。
「持ち場を離れるな。チャンスが来るまで待て!」
オフトは口を酸っぱくしてカズに言ったが、一度身についたクセはなかなかなおらない。
「試合になれば、やるのは選手だ」
カズも簡単には引き下がらない。
両者のサッカー観の違いは、そう簡単には埋まらなかった。
この頃のカズはタスクを優先し、ピースのひとつとして節度ある行動をとることよりも、自身が縦横無尽にピッチ上で振る舞うことの方がチームにとって有益であると考えていた。カズは分別よりも節介を好んだ。実際、それだけの力量が当時のカズにはあった。
オフトもカズの経験と力量を認めていた。だが、認めることと白紙委任することは違う。チームのリズムを崩し、システムを混乱させ、一時的なスローダウンをも余儀なくされるカズの“自由行動”は、しかし、やがてオフトの許容の中におさまっていく。
オフトの指示どおりに動いたほうが効率がよく、チームにもプラスになることに気付いたからだ。その意味でオフトはカズに「FWとしての生き方」を教えた指導者ということもできる。
カズの白眉は米国W杯最終予選、第4戦の韓国戦だろう。先述したようにW杯予選ではこれまで1度も勝ったことのない韓国に、日本はカズのゴールで1対0で勝利した。
カズのゴールはニアサイドに走りこみながらも合わせることはできず、もう一度ゴール中央へ走りこみ、こぼれてきたボールをねじ込むという泥臭いものだった。あれこそは後世に語り継ぐに足る“魂のゴール”だった。
(おわり)
<この原稿は2009年11月24日号『週刊サッカーダイジェスト』に掲載されたものです>