昨シーズン、ニューヨーク・ヤンキースで自身初のワールドチャンピオンに輝き、MVPを獲得した松井秀喜選手。オフには彼の移籍がいろいろと取り沙汰されていましたが、来シーズンはロサンゼルス・エンゼルスでプレーすることが決定しました。同じアメリカンリーグ西地区にはイチローが所属するシアトル・マリナーズがあります。日本が生み出した2大スーパースターの対戦は私たち日本人にとっては非常に楽しみですね。
 さて、その松井にとって最大の懸案事項はやはりヒザの具合でしょう。本人によれば、順調に回復へと向かっているようです。昨年1年間休ませたことも良かったのかもしれませんね。その松井のヒザに関してよくいわれているのが日本球界在籍期間における芝問題。もちろん、これだけが原因ではないでしょうし、どこまで影響を及ぼしたかは定かではありませんが、少なからず負担がかかっていたことは確かでしょう。

 現在、NPB12球団のホームスタジアムの中で天然芝は阪神甲子園球場、MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島、神戸のスカイマークスタジアムのみ。あとは全て人工芝となっています。とはいえ、人工芝も研究・開発が重ねられ、今ではクッション性も十分にあります。一昔前とは選手のヒザへの負担も大きく軽減されているのです。

 しかし、下の土台が土である天然芝と違い、人工芝はコンクリートの上に敷いています。芝自体の性能が向上し、衝撃を抑えてはいても、やはり土とコンクリートとの違いは大きい。ヒザや股間節といった下半身への危険性は否めません。また、滑りやすい人工芝の上では、選手たちも無意識のうちにブレーキをかけてしまいますから、思い切ったプレーはしにくくなってしまいます。

 一方、メジャーでは90年代以降、人工芝から天然芝にかえるスタジアムが増え、今ではトロピカーナ・フィールド、ロジャーズ・センターの2カ所のみ。他は全て天然芝となっています。

 こうした日米の傾向の違いは、それぞれの気候や文化が異なるからでしょう。日本では梅雨の時期などの集客を考慮すれば、雨天中止がないドーム球場は経営的にも適しているといえるでしょう。その点、米国では雨が降っても、それさえもファンが楽しんでしまいますので、雨でも集客はそれほど減少しません。こうした風習の違いも関係しているようです。

 松井選手はジャイアンツ時代から左ヒザを痛めていましたが、メジャー移籍後には両ヒザを手術しています。2006年に守備で痛めた左手首を合わせれば、3度も手術をしています。実は僕自身も米国でメスを入れた経験があります。渡米した際、右ヒジを痛めていたので、野茂英雄にフランク・ジョーブ博士を紹介してもらい、彼に診察してもらったのです。そこでジョーブ博士に手術をすすめられたわけですが、僕自身が手術をしようと決意したのはジョーブ博士に「手術したら、さらに強くなるよ」と言われたからだったのです。これはスポーツ選手として本当に嬉しい言葉でした。

 それでも手術までは不安もありました。そんな僕を救ってくれたのが、偶然目にしたあるテレビ番組だったのです。その日はジェリー・ライスというアメリカンフットボールのスーパースターがヒザの手術をして復帰した日でした。そこで番組には手術の執刀医が出演していたのです。そこでアナウンサーからの「もし、また同じ部分をケガすれば、今度こそ選手生命は絶たれるのか?」という質問に、執刀医はこう答えたのです。「いいえ。もう一度、手術すれば大丈夫ですよ」。この言葉を聞いて、当時の僕はどんなに心強かったことか……。不安な気持ちを消し去ることができました。

 米国は世界で最もスポーツ医学が発達していますから症例も多く、権威あるドクターも多くいます。日本も村田兆治さんがヒジを手術し、見事に復帰した辺りからメスを入れる選手が増えました。今では国内で手術する選手も少なくなく、技術的には米国とさほどかわらないところまで来ていると思います。

 しかし、リハビリの考え方については、日米では少し違いがあるような気がします。日本でリハビリというと、マイナスになったものを元の状態に戻すというイメージがあります。しかし、米国では先述したジョーブ博士の言葉もそうですが、元の状態よりもさらにプラスの状態を目指すのです。というのも、特にスポーツ選手は他の部分は鍛えることによってプラスとなるわけですから、メスを入れた部分だけが元の状態に戻っても、それは結局はマイナスとなってしまうからです。

 こうした考えの違いは、立場の違いにも表れています。日本ではリハビリを担当する理学療法士はあくまでも医療的サポートをする役割のみ。しかし、米国ではスポーツコンディショントレーナーの国家資格があり、権威ある職業として広く認められているのです。

 さて、松井選手のヒザは現在も回復の方向に進んでいるとはいえ、完治はしていません。それでも松井は今回の移籍で守備への強いこだわりを見せました。その理由は今後のことを考えてのことだと私は見ています。

 先述したようにワールドシリーズで日本人初のMVPに輝く活躍を見せ、松井自身も打撃に対しては確かな手応えをつかんだことでしょう。しかし今後のことを考えれば、守備もできるようにしておかなければいけません。というのも、打撃だけではレギュラー獲得はDHのみです。しかし、メジャーには松井よりもパワーヒッターは山といるわけですから、結局は代打要員にならざるを得ません。これでは選手寿命が短くなってしまいます。 これから先、レギュラーを獲得するにはバッティングだけではなく、守備も含めた総合的なスキルアップが必要と松井選手は判断したのでしょう。

 ヤンキースに在籍した7年間、松井選手は輝かしいストーリーをつくりあげました。特にラストとなった昨シーズンは周知の通り、最高のかたちで締めくくったわけです。そこではジャイアンツ時代の「ゴジラ松井」ではなく、チームバッティングに徹した彼を見ることができました。

 そして今シーズンからは新たにエンゼルスでのスタートを切ります。彼自身もホームランへのこだわりを語っていますが、今度はぜひホームランバッター松井の姿を見せてほしい。僕を含め、日本のファンが期待しているのはそこではないでしょうか。
 

佐野 慈紀(さの・しげき) プロフィール
1968年4月30日、愛媛県出身。松山商−近大呉工学部を経て90年、ドラフト3位で近鉄に入団。その後、中日−エルマイラ・パイオニアーズ(米独立)−ロサンジェルス・ドジャース−メキシコシティ(メキシカンリーグ)−エルマイラ・パイオニアーズ−オリックス・ブルーウェーブと、現役13年間で6球団を渡り歩いた。主にセットアッパーとして活躍、通算353試合に登板、41勝31敗21S、防御率3.80。現在は野球解説者。
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