パ・リーグ審判員として順調にキャリアを積む津川は、プロ野球選手としての経験がプラスになったと感じている。多くの同僚がアマチュア球界などで審判としての経験を積んできた中、比較的キャリアの浅い津川が公式戦の他に、クライマックスシリーズやオールスターゲームなど重要な試合を任されている。やはりこれは、プロでの経験が土台にあってこそだろう。
 しかし、プロ選手としてプレーしたことが全ての面でプラスになるとは限らない。「昨年までパ・リーグでは野村さんが東北楽天の監督を務められていましたよね。傍からみると何もないように見えるでしょうが、どうしても監督と選手の会話のようになってしまうような……。“一人前の審判として扱われていないんじゃないか”、そんな気持ちにはなりました」と津川は話す。

 スタンドから観戦するファンにとって審判が目立つシーンといえば、際どい判定となり監督や選手が抗議する場面だろう。審判は微妙な判定をすると、球場の雰囲気からプレッシャーを感じることもあるという。それでも津川は「それも仕事の一部です。そういうことを一つずつ切り抜けていかなければ、長いこと審判を続けることはできません」とはっきりと言い切る。ただ、インターネット掲示板などが発達している昨今、審判が批判にさらされる場面は少なくない。妻・麻生は「非常に責任のある仕事ですから、ヒヤヒヤすることもあります。なにか問題が起きたときに矢面に立たされることもあるので、少しかわいそうに想うこともありますね」と夫を気遣う気持ちを教えてくれた。

 抗議の場面では審判と監督はどのような会話をしているのだろうか。
「抗議すると言っても、色々なタイプの方がいます。理路整然に話す人もいれば、一方的にガーッと捲くし立てるような人もいますね。野村さんから抗議されると、他の審判とはちょっと話し方が違うんじゃないかと感じることもありましたが……(苦笑)。僕は直接話したことはありませんが、巨人の原辰徳監督は微妙な判定になった時にも審判団に“がんばってやっていこう”と声をかけてくれるそうです」

 8年目で最高の舞台を経験

 プロ野球審判という道を選んだ津川には大きな目標としてきた舞台がある。それは日本シリーズだ。選手としてそのステージに立つことは叶わなかったものの、選ばれた審判のみが出場を許される国内最高峰の戦いで球審を務めることを目指してきた。

 津川が初めてその舞台に登場したのは2008年。埼玉西武ライオンズ対読売巨人軍のシリーズだった。11月5日に行なわれる第4戦では球審も務めた。
「08シーズンが終わる頃、日本シリーズ出場の話を聞いたときには、ずっとそこを目標にやってきましたから“やっときたか”という気持ちでした。嬉しい部分もあった反面、うまく裁けるのか不安があったことも事実ですね」
 第1戦では3塁、第2戦ではライト線審を務め、巨人が2勝1敗でリードした第4戦、西武ドームで行なわれた試合で津川にシリーズ球審の出番がやって来た。その雄姿を見届けるため、麻生と2人の子供はテレビの前で津川を応援した。
「プレーボール!!」
 18時15分。試合開始予定と同時に津川の高い声が球場に響き、ライオンズ先発の岸孝之が初球を投じた。

 ハプニングが起きたのは4回裏だった。埼玉西武・中島裕之への4球目、セス・グライシンガーの投じたボールは内角を深くえぐりデッドボールとなった。このシリーズでは両軍ともに死球を受ける場面が目立っていたため、中島はグライシンガーへと少しばかり詰め寄る素振りを見せた。直後に両軍ベンチから選手が飛び出し、一触即発の雰囲気となる。このような事態で、事を収めなければいけないのも審判の仕事である。
 津川は振り返る。
「自分がどうにかするというよりは周りに先輩方がいますから、協力して事態を収束するように心がけていました。セ・リーグの審判団とも交流戦から顔を合わせる機会がありますし、スムーズに対処できたと思います」
 この日の審判団の中で、津川に次いで勤続年数の少なかったのはライト線審を務めた16年目の丹波幸一。この数字だけを見ても、8年目の津川が球審を務めたことが異例の早さであることがわかる。

 このデッドボール直後に中村剛也がホームランを放ち、西武がリードを3点に広げる。6回にも中村がこの日2本目となるホームランをレフトスタンドへ運び、投げては岸が巨人打線を4安打に抑え完封勝利。西武が対戦成績を2勝2敗の五分に戻した。
 
 その後も第6戦でレフト線審、第7戦では1塁塁審を務め、計5戦に出場した。08年日本シリーズは埼玉西武が巨人を4勝3敗で下し、4年ぶりに日本一の座に就いた。

 大きな目標である日本シリーズ出場を果たし、津川はどのように感じたのか。
「第4戦で球審を務めましたが、余韻にひたっている時間はありませんでした。無事に終われた達成感を味わったのは、シリーズ終了後ですね。日本シリーズでは一つのジャッジが大きく勝敗を左右しますから、公式戦よりも大きな責任を感じました。ただ、あの舞台を経験したことで“もうちょっとできるんじゃないか”と思った部分もあります。まだ一度しか日本シリーズに出場していませんから、今シーズンも、またあそこで仕事ができるようにがんばっていきたいです」
 満面の笑みで津川はこう話してくれた。

 2010シーズン、パ・リーグの開幕日は3月20日だ。その日へ向けて各球団がキャンプで調整のピッチを上げている。それは審判にとっても同じこと。10年目を迎える今年、「もっと信頼される審判になりたい」という津川力のシーズンは2月10日、沖縄・名護での北海道日本ハムファイターズキャンプから始まっている。

(おわり)

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<津川力(つがわ・ちから)プロフィール>
1973年5月1日、東京都東久留米市出身。小学3年からリトルリーグに所属し野球を始め、中学1年から高知県明徳義塾に野球留学。高校では3年夏に甲子園に出場。初戦の市岐阜商戦で1試合2ホームランを放ち注目を集める。92年、ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。イースタンリーグで首位打者を獲得するものの、1軍出場は通算1試合にとどまる。99年に現役引退後、2000年にパシフィックリーグ審判部に入局。1年目のシーズンとなる01年10月2日に塁審として初出場、翌年9月27日には球審を経験。その後も順調にキャリアを重ね、08年日本シリーズ審判団に加わり第4戦で球審を務める。09年終了時点までに766試合に出場。182センチ、80キロ。




(大山暁生)
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