「それでも悔しかったですね」――この言葉に岡田晴菜の負けん気の強さがどれほどのものか垣間見えた気がした。
 彼女が進学した宇和島東高校柔道部は女子部員が多くはない。そのため、練習では軽量級の男子と投げ込みをすることもある。男子の最軽量級は60キロ。57キロ級の岡田とはそれほど体重差がないとはいえ、男女の筋力の差には開きがある。
「練習では3年生の男子ともやっていましたね。もちろん、相手は手加減してくれていましたよ。全然相手にならないですから。でも、やっぱり負けるのは悔しかった」
 彼女は相手がたとえ男子でも、たとえ練習の場であっても、決して負けをよしとしない。そんなアスリートにとって必要な資質が備わっている。
 岡田は中学卒業後の進路を宇和島東に決めた。同校からの誘いもあったが、理由の一つには中学時代の柔道部顧問・梶谷宗範の母校ということもあったという。梶谷もまた、教え子が母校に進むことを喜んだ。
「その年、柔道部からは3人が宇和島東に進みました。つまり、岡田らとは師弟関係から先輩と後輩という上下関係になったわけです。(上下関係は)厳しいから『覚悟しろよ』と言いましたよ(笑)」

 梶谷は時に岡田らの後輩である中学校の部員を連れて宇和島東に行き、一緒に練習を行なったりもした。梶谷自身が高校生の岡田と組むこともあった。
「岡田に技をかけられてストンと転ばされたことがあったんです。いやぁ、順調に伸びているなぁ、と思いましたね」
 教え子の成長が何より嬉しかった。

 悔しさを糧に

 高校時代の岡田は、それこそ柔道漬けだったといっていい。朝は7時から練習がある。自宅から学校までは車で40分ほど離れていたため、バスでは間に合わない。そのため、母親に送ってもらっていた。起床は5時半。6時に自宅を出て、途中のコンビニで朝ごはんを買った。朝練が終わると、買ってきたおにぎりなどを他の部員たちと一緒にほうばる。授業が始まるまでの束の間の休息だった。授業が終われば、再び練習である。自宅に着く頃にはもうクタクタになっていた。

 当時、岡田の目標はインターハイに出場することだった。しかし、県内では新田高校が最大の勢力を張っていた。同校には県外からも優秀な選手が集まっていた。岡田と同じ57キロ級も毎年のように新田からインターハイの選手が出ていた。実際、岡田の前にも厚い壁がたちはだかっていた。2年までは1学年上に強豪の選手がいた。岡田が3年となり、ようやくその選手が卒業したかと思えば、今度は1学年下にライバルが現れた。しかも、岡田が最も苦手とするタイプだった。

「動きが素早くて、組み手も巧い子でした。自分はあまり動きが速くないので、苦手でしたね。いつも判定で負けていて、一度も勝ったことがなかった。結局、インターハイ県予選の決勝でも負けてしまって、3年間一度もインターハイに出場することはできませんでした」

 しかし、岡田が全国の舞台に上がれるチャンスは、あとひとつ残っていた。全日本ジュニア大会だ。本大会に出場するには四国の頂点に立たなければならない。まずは県大会、やはり決勝の相手はインターハイの切符を奪われた新田の選手だった。だが、この時の岡田はいつもとは違っていた。
「この試合に負けてしまったら、一度も全国に行けずに高校3年間が終わってしまう。何としてでも勝ちたい……」
 果たして岡田は大外刈りでとった効果で優勢勝ちを収めた。勝利への執念が彼女に勝利をもたらしたのだ。続いて行われた四国予選では他の3県のチャンピオンと総当りのリーグ戦が行われた。岡田は3戦全勝で本大会出場を決めた。

 迎えた全日本ジュニア大会は大阪体育大学の学生との初戦に勝ったものの、2回戦で敗れた。それでも負けた相手が決勝に進んだため、岡田は敗者復活戦にまわった。1回戦に勝ち、2回戦に臨んだ。組みながら岡田はこの試合も十分に勝てると思っていた。実際、先にポイントを奪ったのは岡田だった。しかし、優勢に試合を進めていたが、最後にポイントを奪い返され、負けを喫した。勝てると思っていた試合だっただけに、試合後は悔しさだけが残った。
「もうちょっと頑張れたのでは……」
 力を出し切れなかった自分がふがいなかった。高校卒業後、柔道を続けるつもりはなかったという岡田だが、この時に味わった悔しさが彼女の気持ちを変えた要因の一つになったのかもしれない。

 今年、彼女は最終学年となる。高校時代と同様、今後の進路は全く考えていない。とにかく今は全日本学生柔道優勝大会(5人制)で連覇すること。もちろん、そのメンバーに自分が入ることが前提である。今のところ大学卒業後は柔道を続けるかどうかはわからないという。しかし、稲田明監督はここで終わるような選手ではないと断言する。
「これまでケガに泣いてきましたが、素質は一級品ですよ。それこそ将来はオリンピックに出場してもらいたいと思っています。それだけのものをもっている選手です。ケガも完治し、昨年ようやく芽が出てきた。今年は彼女の才能が爆発すると期待しているんです」
 岡田晴菜――愛媛からまたオリンピック選手が誕生するかもしれない。

(おわり)

岡田晴菜(おかだ・はるな)プロフィール>
1988年4月9日、愛媛県生まれ。小学5年から柔道を始める。中学3年時には全国中学校柔道大会に出場。宇和島東高3年時には全日本ジュニア大会に出場した。2007年、帝京大学へ進学。1年春の合宿中に右ヒザ前十字靭帯を損傷し、2年間を棒に振った。昨年は全日本学生柔道優勝大会にメンバーの一人として出場し、優勝に貢献した。

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(斎藤寿子)
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