愛媛FCはJリーグに昇格して今季で5シーズン目を迎える。昇格1年目こそ13クラブ中9位と健闘したが、2年目からは10位、14位、15位。年々、J2のクラブ数が増加する中、成績が降下している。地方クラブの悲哀で、愛媛は選手獲得に潤沢な資金を用意できない。そのため効果的な補強ができないばかりか、結果を残した選手はよりよい条件で他クラブへと移籍してしまう。毎年のように選手が大幅に入れ替わり、J昇格前のクラブを知る現役選手はわずか3人しかいない。
 その中で最も長くクラブに在籍しているのがMF赤井秀一である。北海道で生まれ育ち、大学時代は東北で過ごした。南国とはまったく縁のなかった男が、愛媛にやってきてもう7年目になる。「最初の1、2年は夏の暑さに慣れなくて、バテてましたよ(苦笑)」。そう語る28歳は愛媛の女性と結婚し、この地が今ではすっかり第2の故郷になった。

 もちろんプロである以上、結果を残さなければ、長く同じクラブでプレーを続けることは不可能だ。愛媛入りした当初の赤井は、決して即戦力として期待されていたわけではない。だが、最初は目立たなかった中盤のプレイヤーは年々輝きを増している。

 右サイドから左サイド、そしてボランチとポジションの幅を広げ、昨季はケガ人続出の緊急事態の中、左サイドバックも守った。「学生時代を振り返っても記憶にないですね。さすがにもう勘弁したいです(笑)」。しかし、これも首脳陣からの信頼の表れと言えるだろう。「昔からポジションにこだわりはなかったんです。試合に出られるところであればどこでもよかった」。そんな適応力の高さが現在の赤井をつくりあげてきた。

 今や、あるクラブ関係者は「愛媛の中盤は赤井の調子によって出来が左右される」と語る。利き足の右から繰り出されるキックは一瞬にしてチャンスを演出し、セットプレーにおいても欠かせない。さらには相手にスキがあるとみれば、2列目から飛び出したり、豪快なミドルシュートを放つ。守備でも相手の狙いを素早く察知し、未然にピンチの芽を摘み取る。ゴールへの意識も年々高まり、「J2の1年目から2、3、4とゴール数を1つずつ増やしてきたので」と5得点以上を目指していた昨季は一気に10ゴールを積み上げた。

「大きなケガはしたことがない」

 そして赤井の最大の長所は試合を滅多に休まないタフさにある。07年は48試合中46試合、08年は42試合中41試合、09年は51試合中50試合に出場した。身長173センチ、66キロと決して体は大きなほうではないが、背番号16はいつも変わらず、ピッチの上に立っている。

 選手層が薄いクラブにとって、故障や出場停止による欠場はゲームプランに大きな影響を及ぼす。それは愛媛にとっても例外ではない。ケガ人の多さは低迷のひとつの要因としてクラブの課題になっている。それゆえに、無事是名馬を体現している赤井の存在は貴重なのだ。

「自分では特段、体は頑丈なほうだと思っていません。ただ不思議と大きなケガは今までしたことがない。唯一、06年の開幕前に骨折をしたくらいですね。日々、入念にケアをしていただいているトレーナーのおかげでしょう。
 それと不要なファウルはとられないように意識しています。いくらベストコンディションでもカードをもらって試合に出られないのはもったいない。そういった感情のコントロールはできるようになったかなと感じています」

 サッカーを始めたのは小学校低学年の時だ。女子サッカーをやっていた近所の女の子の影響を受け、ボールを蹴り始めた。「友達との遊びはいつもサッカーでした。やはり点をとるのが楽しかったですよね」。あっという間に、このスポーツのとりこになった。Jリーグが開幕した93年は小学6年生。憧れの選手は当時ヴェルディ川崎に所属していたカズ(三浦知良、現横浜FC)だ。「僕もプロサッカー選手になりたい」。空前絶後のサッカーブームの中、他のサッカー少年たちと同じく、赤井も大きな夢を抱いていた。

(第2回へつづく)

赤井秀一(あかい・しゅういち)プロフィール>
1981年9月2日、北海道生まれ。ポジションはMF。札幌サッカースクールでは山瀬功治(横浜FM)らとともにプレー。札幌光星高から仙台大を経て、04年に当時JFLだった愛媛に加入。サイドもボランチもこなし、堅実なプレーでクラブに貢献している。07年からの3シーズンで欠場はわずかに4試合。09年も最多の50試合に出場し、中盤には不可欠な存在となっている。昨季から副キャプテンも務める。J2通算166試合、19ゴール(昨季終了時)。173センチ、66キロ。




(石田洋之)
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