7日、くも膜下出血で入院していた巨人の木村拓也内野守備走塁コーチが死去した。37歳だった。木村コーチは2日に行なわれた広島戦(マツダスタジアム)の試合前、ノックをしている最中に突然倒れた。救急車で広島市内の病院に搬送されたが、意識不明の状態が続いていた。
 1991年、宮崎南高からドラフト外で日本ハムに捕手として入団。2年目に外野手に転向し、その後は投手以外の全ポジションをこなすユーティリティープレーヤーとして広島、巨人でも活躍した。2004年のアテネ五輪では日本代表にも選出された。昨季限りで現役を引退。プロ19年間で1523試合に出場し、打率.262、1049安打、53本塁打、280打点、103盗塁。今季からコーチを務めていた。
 6日に書き下ろした木村コーチへの思いを込めたコラムを掲載し、ご冥福を心よりお祈りしたい。
(写真:2009年、現役最後のキャンプにて)
第428回 逆境に強い“キムタク”を信じている

 オリオールズに所属する上原浩治は巨人時代、「雑草魂」という言葉を売り物にしていた。これに異議を唱えた男がいる。3つ年上の木村拓也だ。「オマエは雑草ちゃうやん。ドラフト1位(逆指名)で入団し、年俸もたくさんもろうて。オマエが雑草なら、オレは岩場にへばりついている苔みたいなもんやないか」
 宮崎県屈指の進学校・宮崎南高の出身。3年春の練習試合では5打席連続3塁打という珍しい記録をつくった。地元ではちょっとは名の知れた選手だった。セレクションを受けた先は法政大。もとより学力には自信があった。セレクションでの野球の技量もトップクラス。落ちる理由がない。

 ところが、である。「セレクションは2日間あるのですが、1日目が終わって面接があった。“キミ、甲子園に出ていないよね”とマネジャー。“いや、1年生の時に出ています”。“でもレギュラーじゃないよね。ウチは甲子園のレギュラー以外、受験資格はないんだよ”。田舎者の僕はそんなこと、全く知らなかった。“じゃあ、なんでこんなセレクションをするのですか。もう帰らせてもらいます”。これで大学はパー」
 捨てる神あれば拾う神あり。日本ハムから声がかかる。「ドラフトで指名したい」。しかし待てど暮らせど、お呼びはかからず。「大学も大学ならプロもプロだな。また裏切られたか…」

 ドラフト外で入団。プロ2年目で1軍初打席。マウンドには高速スライダーを武器にする西武・郭泰源。「スライダーで3球三振。初球、真っ直ぐだと思って振ったらボールが消えた。こんな変化球あるのか…」
 4年目のオフ、トレードで広島へ。内野は正田耕三、江藤智、野村謙二郎、外野は金本知憲、前田智徳、緒方孝市。「オレの居場所はどこやねん」
 不屈の闘志でレギュラーの座をつかみ、プロ10年目で初めてオールスターに出場。アテネ五輪では日本代表にも選ばれた。当初は出る幕がないと思われていた巨人でもバイプレーヤーとして活躍した。

 逆境をバネにいくつもの試練を乗り越えてきた。生き馬の目を抜く世界を「岩場にへばりついた苔」のようにしぶとく生き抜いてきた。そんな男が病に屈するわけがない。野球と同じように人生にも必ずエキストラ・イニングスはあり、起死回生のチャンスは巡ってくる。“キムタクの逆襲”を信じている。

<この原稿は10年4月7日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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