03年から本格的にFC東京でプロサッカー選手のキャリアをスタートさせた阿部は、順調な滑り出しを見せた。リーグ戦では27試合に出場し6ゴール。カップ戦も含めると二けたの得点をマークするなど1年目からクラブの中心選手となっていた。
 翌年の開幕前にはクラブの象徴として、長年に渡りFC東京を支えたアマラオの背番号“11”を引き継いだ。それだけ周囲からの期待の大きさも感じ取っていた。ただ、周囲の期待とは裏腹に、阿部の2年目は苦しいシーズンとなってしまう。開幕戦こそゴールを挙げたものの、リーグ戦で2ゴール目を決めたのは5カ月後のことだった。1シーズンを通して決めたゴールは4つ。2年目のジンクスというわけではないが、ルーキーイヤーの活躍を考えれば、残った数字はもの足りないものとなってしまった。

 一度、かみ合わなくなった歯車を修正するのはとても困難なことである。05年は飛躍を求めて大分トリニータへ期限付き移籍を決意する。しかし、そこでも思ったような結果は出ず早々に東京へ復帰。その後も出場機会こそあるものの、なかなか定位置を確保するには至らなかった。07年には柏レイソルへ再び期限付き移籍し再起を目指すが、思うような結果を残すことはできず、厳しい日々が続いた。

 まずは何かを変えなくてはならない――。そう考えていた阿部の下にあるオファーが届く。湘南ベルマーレからの誘いだった。湘南の名を耳にした時、阿部の心にはひっかかるものがあった。順調とは言えないまでも5年のプロキャリアを重ねてきた阿部は常にJ1で戦ってきた。しかし、今度のオファーはJ2クラブからである。このオファーは受けるべきなのか。阿部の心は少なからず揺れたという。

 試合数が増えればチャンスも増える

 しかしながら、J2でプレーすることへの戸惑いがあったものの、時間が経つにつれ、阿部は「これは大きなチャンスかもしれない」と考えるようになった。「柏では出場機会がなく、さらに故障を抱えていたこともあり、長い時には3カ月近く試合に出ていないこともありました。まず自分に必要なことは何かと考えた時、最初に頭に浮かんだのは“試合に出る”ということ。そのためにはJ2へ行ってみるのもいいかもしれないと思うようになりました」。

 J2はJ1に比べ試合数が多かった。07シーズンは13クラブの3回戦総当たりで行われており、翌年からはさらに2つのクラブが増え15クラブで争われる。つまり、1シーズンの試合数は42試合。J1よりも8試合多く消化することになる。もちろん過密日程が組まれることにはなるが、それと同時にそれだけチャンスも増えるのだ。試合に飢えていた阿部にとって、試合数増は“渡りに舟”と言えた。「サッカーができるならばJ1もJ2も関係ない」。考えがそう変化するまでに、時間はあまりかからなかった。「まずは運動量を上げて試合勘を取り戻す。1年間でJ1に戻るつもりで、まずはJ2へ飛び込もう」。そう決意した阿部は08シーズンから湘南ベルマーレに完全移籍することとなった。

 阿部が移籍した08年は湘南ベルマーレにとって低迷期から脱しつつある時期でもあった。前年から積極的な補強を敢行しリーグ中位につけていた。J2はクラブの力が拮抗しており、何かのきっかけがあれば上位に浮上することも可能だ。阿部には湘南浮上のカギを握る点取り屋としての期待がかかっていた。

 阿部が思い描いていた通り、J2には多くのチャンスがあった。08シーズンは6ゴールを記録。ルーキーイヤーの得点数と並ぶ数字だった。ただ、42試合中28試合の出場にとどまったことには悔しさも残った。結果はある程度残せたものの、阿部にとってはまだまだ足りない部分の多いシーズンだった。

 新指揮官を迎え上昇気流に乗った湘南

 迎えた09シーズン。前シーズン5位に終わったクラブに大きな変化が訪れる。新指揮官・反町康治の就任だ。日本サッカー界屈指の理論派がクラブを率い始めてから、目に見えてベルマーレの空気が変わっていった。シーズン開幕から破竹の5連勝。「いきなり結果が出たこともあって、選手たちの監督への信頼はより高まった」と阿部は当時を振り返る。「ミーティングもわかりやすく、すぐに“これは素晴らしい”と感じました。口にはしませんでしたが、選手のほとんどがそう思ったんじゃないでしょうか」。

 快調な滑り出しを見せた反町監督もすぐに各選手の個性を掌握し、采配にますます磨きをかけていった。7月12日の第27節、セレッソ大阪戦に勝利した時点で勝ち点60で首位を快走。昇格圏から外れてしまう4位とは8差をつけていた。

 ただ、この直後から湘南は4連敗を喫する。反町監督は走るサッカーを標榜してきたため、夏場を迎えたこの時期に足踏みを余儀なくされたのだ。「だからといって、戦い方を変えようということにはなりませんでした。ここでひと踏ん張りすれば必ずまた波に乗れると信じていましたから」。阿部がそう語ったように、クラブは8月に入ると再び息を吹き返し、その後は順調に勝ち点を積み重ねていく。“11年ぶりのJ1昇格”。湘南の悲願が現実味を帯びていく中、選手たちは大きな手ごたえを感じていた。そして迎えた11月21日の第49節。昇格争い最大のライバル、ヴァンフォーレ甲府との直接対決へ臨むこととなった。

(第4回へつづく)
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<阿部吉朗(あべ・よしろう)プロフィール>
1980年7月5日、愛媛県新居浜市生まれ。小学3年時からサッカーを始め、常総学院高校を経て流通経済大学へ。関東大学リーグ2部に所属するチームで頭角を現し、大学4年次には日韓定期戦メンバーにも選出される。02年11月、FC東京と契約、大学在学中に天皇杯でデビューを飾る。その後、大分、柏を経て、08年にJ2・湘南ベルマーレに移籍。昨年は48試合に出場し10得点。特に最終節水戸ホーリーホック戦で2得点を上げ、クラブのJ1復帰に大きく貢献する。10シーズンは先発出場の機会が増え、4月25日ベガルタ仙台戦で、自身にとって4年ぶりのJ1ゴールを決めている。Jリーグ通算186試合出場、32ゴール(10年4月30日現在)。174センチ、72キロ。




(大山暁生)
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