「終わりよければ全てよし」――。
 阿部吉朗と湘南ベルマーレにとって、09シーズンはそんな一年だった。激しい昇格争いを繰り広げたヴァンフォーレ甲府との直接対決はシーズンがクライマックスにさしかかった第49節に行われた。アウェーに乗り込んだ湘南は、負けられない戦いに挑むこととなった。
 J2は3位までがJ1へ自動昇格することになる。第48節終了時点で3位湘南と4位甲府は勝ち点91で並び、得失点差わずか1差。まさに紙一重の戦いを続けていた。もちろんどんなに僅差であってもシーズン終了時点で3位と4位では雲泥の差だ。「昇格できる時に上がらなければ、いつ上がれるかわからない」。そんな気持ちを胸に、阿部は甲府へ乗り込んだ。

 ただ、気合こそ乗っていたものの、クラブの空気はいたって自然体だった。アウェーでの戦いということもあり「とにかく負けないこと」を念頭に湘南は試合に入った。前半6分、10分と幸先よく2ゴールを挙げる。一方の甲府も粘りをみせ前半25分に1点を返され、さらに後半17分には同点ゴールを決められる。この日、ベンチスタートだった阿部は同点に追いつかれた直後、後半23分からピッチに入った。とにかく負けないことを念頭に「それでもスキあらばゴールを」という気持ちで小瀬のピッチを駆け巡った。

 湘南イレブンの気持ちが通じたのは試合終了間際、後半ロスタイムだった。
 ヘディングシュートがゴールバーに当たったところに詰めたのは坂本紘司だった。落ち着いて胸でトラップしたボールをゴール右隅に叩き込み、劇的な勝ち越しゴール。湘南は甲府との直接対決を3対2で制し、勝ち点3を上乗せした。これで湘南のJ1昇格は大きく近づいたかに思われた。

 しかし、ことはそう簡単には進まない。第50節ホームでのザスパ草津戦ではまさかのスコアレスドロー。対する甲府はアウェーながらファジアーノ岡山に1対0で競り勝ち、最終節を前に再び両者の勝ち点差は1にまで縮まった。湘南にとって念願のJ1昇格は、最終節アウェーでの水戸ホーリーホック戦まで持ち越された。

 人生を変えるかもしれない一戦

 迎えた12月5日の09シーズン最終節。これまで50試合を戦ってきたものの、ここで引き分けもしくは敗れれば、甲府が勝ち点を積み重ねれば4位に転落し、来季はまたJ2での戦いとなる。1年間培ってきたクラブの実力が問われる試合に、阿部は先発出場することとなった。

 試合は立ち上がりから思ってもみない展開を迎える。前半20分、21分と立て続けに水戸にゴールを奪われ、湘南はいきなり絶体絶命のピンチに追い込まれた。湘南もチャンスを作れないわけではないが、やはり普段とは動きが違った。2失点直後には「さすがに血の気が引いた」と阿部は振り返る。
「50試合戦ってきて、前半の早い時間帯に2失点することなんて1度もありませんでした。“こんなこともあるのか”と茫然としてしまいましたね」
 しかし、早い時間帯での2失点だっただけに、気持ちの切り替えができた。
「本当にこの1試合で、1年間の全てが決まるという試合。自分の中ではいい意味で開き直ることができました。単なる51分の1という試合ではありませんでしたから」

 湘南が1点を返したのは前半30分。左サイドからのクロスに阿部が高い打点でヘディングを合わせる。GKのナイスセーブで一旦は阻まれるが、そこに詰めた田原豊がきっちりとゴールへ流し込み1対2。これで勝負の行方はわからなくなった。
 さらにその4分後、1点目と同じく左サイドのクロスに合わせたのは阿部だった。体ごと投げ出し必死にボールへ喰らいつき、強烈なダイビングヘッドを水戸ゴールに突き刺す。2対2の同点。湘南イレブンとサポーターたちは一気の追い上げに沸きに沸いた。

 しかし、同点弾を決めた阿部は「まだ満足するのは早い」と肝に銘じていた。
「同点に追いついた時点でホッとするような雰囲気があったら危ないと思ったんです。だから、ハーフタイムでロッカーに戻った時“まだ1点足りないんだ。次の1点を取らないと、何も変えられないんだぞ”とみんなに言い聞かせていましたね」
 同点ではまだ足りない。甲府が勝てば4位に転落してしまう。阿部の言うとおり、湘南にはあと1点が必要だった。

 練習は裏切らない

 そして、歓喜の瞬間が訪れたのは後半8分。右サイドからのクロスに飛び込んだのは、三たび阿部だった。「本当に無心でした」と振り返る勝ち越しゴールは、またもヘディングから。水戸ゴールネットが揺れた瞬間、湘南サポーターの喜びは爆発した。2失点からの大逆転劇。3得点全てに絡んだのは阿部だった。
「あの試合は不思議な試合でした。プレー中は本当に集中できていたし、今まで練習でやってきたことがそのまま出せた。2ゴールとも感触は覚えているけど、本当に無心で合わせただけ。“ああ、練習は裏切らないんだな”と思いましたね」

 残り時間は阿部にとっても湘南にとっても本当に長く感じられた。11人で水戸の反撃を必死に抑え3対2のまま試合終了。劇的な展開でベルマーレにとって11年ぶり、阿部にとって3年ぶりのJ1復帰を果たすこととなった。

 09シーズン最終節を改めて振り返って、阿部はどのようなことを感じるのか。
「あの試合の感覚はなかなか味わえない、とても貴重な経験でした。おそらくサッカー人生を大きく左右する試合ですね。今シーズンをJ1で迎えるのとJ2のままだったのとでは全然違う。特に僕は今29歳で、今年の7月には30歳になります。“きっとこれが昇格へのラストチャンスなんだ”と言い聞かせてプレーしていました。J2に飛び込んだ時は1年でJ1に戻ってやると思っていたけど、2年目もそのままJ2にいた。“ここで負けたら、この先J1でプレーするイメージはない”と感じていたから、本当に勝ててよかったです」

 J1昇格を決め、昨年までのオフとは過ごし方が少し変わった。
「昇格したのは嬉しいのですが、それと同時に自分はJ1の厳しさも知っている。あそこで戦うのは簡単なことではない。いつものオフならしっかりと体を休ませるのですが、準備したいという気持ちが強くて、すぐにトレーニングを始めました。すごく前向きなオフを過ごせましたね」

 2010年3月6日に開幕した今季のJリーグ。平塚競技場には3年ぶりにJ1のピッチに立つ阿部吉朗の雄姿があった。

(最終回へつづく)
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(写真:(c)SHONAN BELLMARE)

<阿部吉朗(あべ・よしろう)プロフィール>
1980年7月5日、愛媛県新居浜市生まれ。小学3年時からサッカーを始め、常総学院高校を経て流通経済大学へ。関東大学リーグ2部に所属するチームで頭角を現し、大学4年次には日韓定期戦メンバーにも選出される。02年11月、FC東京と契約、大学在学中に天皇杯でデビューを飾る。その後、大分、柏を経て、08年にJ2・湘南ベルマーレに移籍。昨年は48試合に出場し10得点。特に最終節水戸ホーリーホック戦で2得点を上げ、クラブのJ1復帰に大きく貢献する。10シーズンは先発出場の機会が増え、4月25日ベガルタ仙台戦で、自身にとって4年ぶりのJ1ゴールを決めている。Jリーグ通算186試合出場、32ゴール(10年4月30日現在)。174センチ、72キロ。




(大山暁生)
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