24日からのリーグチャンピオンシップは2連勝。後期優勝の紀州を下し、神戸は今年の年間王者に輝きました。チャンピオンシップは3試合制でしたから、初戦をとったほうが断然優位。その意味では24日の第1戦、投手戦を制して1−0で勝てたのが大きかったです。
 勝利の立役者は右腕の吉川孝介でした。先発して8回を投げ、5四死球を与えたものの1安打無失点。2失点くらいを計算していただけに、予想以上の好投をみせてくれました。
 吉川はサイド気味のスリークォーターから、ストレート、変化球を投げ分けます。特に横手から腕をしっかり振って投げたスライダーは打者にとって打ちにくく武器になるボールです。明石から今季、移籍してきた当初はリリーフでの起用を考えていました。ただ、大黒柱の西川徹哉を今季途中からリリーフに転向させたことに伴い、先発を任せることになりました。

 ただ、シーズン中の成績は6勝6敗。特に後期は2勝5敗と結果を残せませんでした。短いイニングであれば、ストレートで追い込んで、決め球はスライダーというワンパターンでも抑えられますが、長いイニングを投げて同じ打者と何度も対戦するとなるとそうはいきません。決めにきた変化球を狙い打ちされる場面が次第に増えていきました。

 そこで彼にはインコースをうまく使うようアドバイスしました。やはり、相手の懐を突かなければ、バッターはどんどん踏み込んで打ってきます。彼の持ち味であるスライダーも生きません。レギュラーシーズン最後の登板となった19日の韓国戦では、内角にしっかり投げて勝ち投手。その内容を見て、大事な初戦を託すことを決めました。

 2戦目に先発したのは右腕の今村圭佑です。荒れ球ながらストレートで勝負できるタイプのため、彼は開幕から主に先発で使ってきました。ところが長いシーズンを投げていると、コントロールに難のある部分は、やはりネックになります。ストレートが走って、いいところに決まった時はいいのですが、そうでない時は失敗するケースも多くなっていきました。前期は7勝(2敗)と優勝の原動力になったにもかかわらず、後期はわずか1勝(3敗)。追い込んでからストレート以外にストライクが取れる変化球の習得が課題でした。途中、スプリットボールなども練習させたのですが、現状はスライダーがようやく狙いところに投げられるようになった程度です。

 チャンピオンシップでは4回途中3失点。先制され、追いつくと勝ちこされ、逆転すると追いつかれる……。ボール自体はまずまずでも詰めが甘く、相手の流れを止められませんでした。通常のリーグ戦なら我慢したかもしれませんが、短期決戦だけにズルズル引っ張るわけにもいきません。早めに2番手の小池悠にスイッチしました。第2戦のMVPは、この小池でしょう。7回途中まで相手をゼロに抑え、ゲームを落ち着かせてくれました。

 そして初戦、第2戦と最後を締めくくったのが、抑えの福泉敬大です。彼はNPBのスカウトも興味を示しており、チーム内ではもっともNPBに近い男と言えるでしょう。145キロ前後の速球があり、スライダーもいい。指にしっかりかかれば、本当にキレのあるいいボールがキャッチャーミットに収まります。22歳と若く伸びしろがある点も魅力です。今シーズン、僕は彼をクローザーとして1年間使い続けました。好不調の波はあったものの、チャンピオンシップの大舞台で2試合とも役割を果たせたことは、ひとつのアピール材料になったのではないでしょうか。

 神戸は経営難のため、6月分から選手給与からカットされ、今シーズンが無事終えられるかどうかも不安な状況でした。事実、何人かの選手はチームを去り、チーム内のモチベーションが下がりかけていました。それでも、ここに集まってきている選手には大きな目標があります。NPB入りの夢をかなえるには、年間72試合の実戦ができる環境は大きなプラスです。「苦しいかもしれないが頑張ろう」。そう選手たちにハッパをかけながら、最後まで試合ができたことは本当に良かったです。

 チームとしての活動は29日の明石との練習試合をもって、すべて終了になります。私も10月1日からは元の会社(ホークスドリーム社)に戻って勤務する予定です。残念ながら来季のことは、まだ分かりません。でも、どのような形であれ、選手たちには可能性がある限り、野球を続けてほしいと願っています。そして、10月29日のドラフトで1人でも多く朗報が届くことを祈っています。苦境の中、応援していただいたファンの皆さん、本当にありがとうございました。


池内豊(いけうち・ゆたか)プロフィール>:神戸9クルーズ監督
1952年4月7日、香川県出身。志度商高(現・志度高)から、71年ドラフト4位で南海へ入団。75年に江夏豊らとのトレードの交換要員として、江本孟紀、島野育夫たちと阪神に移籍する。阪神ではサイドスローから内にくいこむシュートを武器にリリーフとして活躍。82年には当時のセ・リーグタイ記録となる72試合に登板するなど、8年連続で30試合以上のマウンドに上がった。85年、長崎啓二とのトレードで大洋に移籍。翌年は阪急に在籍して、86年限りで引退した。その後は阪急(オリックス)、中日、韓国の起亜タイガースで投手コーチ、打撃投手、スコアラーなどを歴任。現職は元南海の門田博光氏が顧問を務めるホークスドリーム社の営業部長を務めている。2010シーズンより神戸の監督に就任。現役時代の通算成績は452試合、31勝31敗30セーブ、防御率3.92。
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