そろそろその偉業を形容する言葉も底を尽きかけている。
 無敵の進撃を続ける世界ボクシング界のスーパースター、マニー・パッキャオが11月13日にアントニオ・マルガリートにも判定勝ち。空位だったWBCスーパーウェルター級王座も手中に収め、これで史上2人目の6階級制覇を達成した。
 その過程で、フェザー級、スーパーライト級でも最強と目された選手に勝っている。つまり事実上は、前人未到の“8階級制覇”(フライ〜スーパーウェルター級)というとてつもない記録を成し遂げたと言ってもよいのだ。
(写真:マルガリート(右)にも完勝したパッキャオの勢いは止まるところを知らない。Photo by Kotaro Ohashi)
「本当に厳しい試合だった。これまでのキャリアで最も難しいファイト。マルガリートはタフで強かった」
 試合後にパッキャオ本人もそう語ったが、確かに端から見ていても、少なくともここ最近では最もタフな試合に見えた。6ラウンドにはボディショットを受けて危うく腰を落としかけた。それ以降のラウンドには、珍しく足を使ってミックスアップを避けるような時間帯も少なからず見られた。

 相手がほぼ死に体だった最終回に詰めに行かなかったのは、「顔面ボロボロだったマルガリートに情けをかけた」と見る人も存在する。だがパッキャオ側にもそれほどの余力は残っていなかったのも事実だろう。ポイントを失ったのはせいぜい1〜2ラウンドでも、終盤まで常にスリルの漂うファイトではあった。

 ただ冷静に考えてみれば、多少は苦戦することなど当たり前なのである。
 特に今回の場合、試合当日の時点で両者のウェイトにはなんと17パウンドもの開きがあった(パッキャオは148パウンド、マルガリートは165パウンド)。向かい合った2人を見れば、骨格の違いは明らかだった。
(写真:パッキャオ本人も試合後に苦しい試合だったことを認めている)

 しかしそれほど大きな相手との間合いをあっさり見切り、パッキャオは序盤から自在にパンチをヒット。前述通り中盤に中ピンチは迎えても、すぐに高速連打で反撃して追い打ちを遮断した。
 終盤に若干スタミナが苦しくなった兆候は見せても、それでも随所に力のあるパンチを放ってタフなマルガリートをぐらつかせた。加えてフットワークとジャブを駆使し、アウトボクシングの上手さもみせた。

 結局は、すべての面で上回ったパッキャオの圧勝である。40パウンドを飛び越えて戦い続けてきただけでなく、近年はオスカー・デラホーヤ、リッキー・ハットン、ミゲール・コット、ジョシュア・クロッティ、そしてマルガリートといった中量級の名だたるスターたちをすべて明白な形で撃破。すでに見ている側の感覚も麻痺してきてしまっている感があり、これほどサイズの違うマルガリートを下してもさほどの偉業と思わなくなってしまった。逆に言えば、その事実が何よりこの選手の凄さの証明である。

「パッキャオは私が見て来た中では史上最高のボクサー」
 78歳のプロモーター、ボブ・アラム氏は繰り返しそう語っている。普段は過去のボクサーばかりを過大評価する傾向があるように思えるベテランライターたちも、最近ではパッキャオをモハメド・アリやヘンリー・アームストロングといった歴代の英雄たちのグループに加え始めている。たとえば今から30年後、パッキャオがどんな歴史的評価を与えられているかなど、もう想像もつかないのが現実である。

 ただ、そんな現代の拳豪にももう1つだけやるべき仕事が残っている。言わずと知れたもう1人の最強王者、フロイド・メイウェザーとの最終決戦だ。
 5月のコラムで「試合が正式決定するまで、もうメイウェザー対パッキャオ戦に関して語るのは止めにしようと考えている」と記したが、ここで公約を破ることを許して頂きたい。両者にはそれぞれ動きがあったし、依然として待望されるパッキャオ対メイウェザー戦に近いレベルの話題など、この業界には未だ存在しないのである。しかし……結論から言うと、ドリームマッチ実現の可能性は現時点でも決して高まっているとは言えない。

 まず最大の障壁となりそうなのが、メイウェザーのプライベートでのトラブルである。9月に元恋人への暴行などの罪で逮捕された5階級制覇王者は、1月にも裁判に臨む予定。状況は必ずしもメイウェザー有利とは言い切れず、数年の間、収監されたとしても不思議ではないとされる(最大で20〜30年の禁固刑の可能性もある)。もしそうなった場合には、パッキャオ戦はおろか、メイウェザーのボクシング人生自体が危機に晒されるだろう。

 そしてもう1つ。すでに世界最大のビッグネームとなったパッキャオのほうは、もう必ずしもメイウェザーを“必要”としない地位までたどり着いてしまったことも忘れるべきでない。
 3月のクロッティ戦では5万人以上、先日のマルガリート戦でも41734人の大観衆をカウボーイズスタジアムに動員。今やパッキャオの試合は相手に関わらずビッグイベントになり、今回も2000万ドル以上の報酬を受け取っている。次戦でメイウェザーの代わりにファン・マヌエル・マルケス、シェーン・モズリーらと対戦したとして、過去2戦とほぼ同様の巨大ビジネスとなるはずだ。
(写真:パッキャオは2試合連続で4万人以上の観衆を集めたことになる)

「もし実現すればやるし、やらなくてもいい」
 マルガリート戦後、メイウェザーについて訊かれたパッキャオは少々気のないそんな返事を返している。実際に彼の場合には、そのレガシーもすでに確固たるものとなっているだけに、周囲ほど“ドリームマッチ”にこだわっていないというのが正直なところなのかもしれない。

 もっとも、それでも世間の熱望を理解するボブ・アラム・プロモーターは、「パッキャオ対メイウェザー戦がトッププライオリティ。実現に尽力する」と公約している。様々な意味でイメージが悪くなったメイウェザーが、収監を免れたとき、名誉挽回を狙って、ついに重い腰を上げることも考えられなくはない。

 これまでどんな挑戦にもためらわずに立ち向かって来たパッキャオも、メイウェザー戦が具体化したときに尻込みするとは思えない(薬物検査にも以前より柔軟とされる)。何より、4000万ドルずつとも予想される報酬は両陣営にとって魅力のはず。今後、これまでの紆余曲折が信じられないほどのスピードで、両者が一気に歩み寄ったとしてもそれほど驚くことはないのだろう。もともとボクシング・ビジネスとはそんなものである。

 ただ……そんな希望的観測はよそに、少なくともひとつだけ確かなのは、この“世紀のスーパーファイト”に通ずる扉が少しずつ閉まりかけていること。現時点ですでに“最善の時期”は逃してしまった感は否めない。前述した諸事情を考えれば,ドアが閉まるスピードはここからさらに上がるかもしれない。メイウェザーが収監されるか、パッキャオが引退するか(フレディ・ローチ・トレーナーはそれを望んでいる)、あるいは交渉が再びこじれるか。
(写真:ローチ・トレーナーの勧めに反し、本人は現役続行を明言しているが……。Photo by Kotaro Ohashi)

 そのどれかがこの1年以内に起こって、またも破談になれば、もう“旬”は過ぎる。そうなったとすれば、たとえいつか形を変えて実現したとしても、それは「遅過ぎたスーパーファイト」になってしまうはずだ。
 とりあえずここから数ヶ月、両陣営の動きが非常に重要になってくる。しかし残念ながら、すでに半ば諦めムードとなっている人が多いのも事実である。
 そして、もし本当にお蔵入りとなった場合――。パッキャオの躍進と同様に、“実現しなかった最終決戦”もまた、世界ボクシング界で永遠に語り継がれていくことになってしまうのだろう。


杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
1975年生、東京都出身。大学卒業と同時に渡米し、フリーライターに。体当たりの取材と「優しくわかりやすい文章」がモットー。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、ボクシング等を題材に執筆活動中。

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