試合後、バルセロナのグアルディオラ監督は言った。「この勝利をチャーリー・レシャックとヨハン・クライフに捧げたい。彼らが私たちの進むべき道を示してくれたからだ。この勝利は、チームが15年間かけて成長させたフットボールのスタイルがもたらしたものだ」
 この言葉は、若き監督による先達へ向けた社交辞令、では断じてない。5−0。世界を驚かせたレアル・マドリード相手の圧勝劇は、まさに、バルセロナというチームの歴史がなければ起こりえないものだった。
 バルセロナのサッカーは“ポゼッション・サッカー”だと言われる。いまや日本でも、ポゼッションにこだわるチームは多数派になった。だが、日本に限らず、世界中に数多ある“もどき”と本家の決定的な違いは、バックパスに対する考え方にあると私は見る。

 バルセロナで育った選手にとって、バックパスは端的にいえば「ダメなパス」である。バックパスをできる限り否定し、それでもポゼッションを高めていこうとすれば、ボールを持っていない選手が常にパスを受けられるようポジションを取らなければならない。ボール保持者を頂点とした三角形を作り出し続けなければならない。
 簡単なことではもちろんない。だが、バルセロナの下部組織で育った選手たちは、子供の頃からそうしたサッカーをやってきた。やってきたがゆえに、ほとんどオートマチックに近い感覚で彼らは三角形を作り出す。見方を変えれば、常に複数のパスコースがあるサッカーに慣れてしまったからこそ、そうでないアルゼンチン代表でのメッシは力を発揮することができない、とも言える。

 グアルディオラ監督が感謝を捧げた一人、クライフの右腕として知られたレシャックは、フリューゲルスの監督を務めたこともある。いまFC琉球でプレーする永井秀樹は、当時の指導に衝撃を受けたという。
「走るなって言うんですよ。お前は全速力で長い距離を走ったあと、方程式が解けるかって」
 残念ながら、バルセロナの哲学が染みていたわけではない日本で、レシャックは結果を残すことができなかった。だが、グアルディオラ監督は方程式を解くサッカーの中で育ち、同じ哲学のもと育ってきた選手たちを指導している。バルセロナとレアルの間についた5点差は、方程式を解けるものとそうでないものの差、だったかもしれない。
 むろん、方程式の解き方は簡単に身につくものではない。だが、方程式が解けなくとも、解ける者を倒す術はあることを、昨年のインテルとモウリーニョは証明している。春のリターンマッチが、いまから楽しみである。

<この原稿は10年12月2日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから