正直、驚いている。
 日本が招致に失敗したのはわかる。当事者が何を言おうと、第三者からすれば02年のW杯はあまりにも記憶に新しすぎる。なぜ日本で? という疑問に対する答えを、今回の招致活動は用意することができなかった。世界に冠たるフットボール・カントリーでもなく、世界中のファンが憧れるようなスタジアムがあるわけでもない国。おそらく、これからも日本がW杯を招致するのは難しいだろうが、今回は尚更だったということだ。
 わたしが驚いたのは、イングランドとオーストラリアが最少の票しか獲得できなかったということである。
 イングランドは、言わずと知れたサッカーの母国であり、世界で最も注目を集めるリーグの母体となっている国でもある。そんな国が、たった2票しか獲得できなかったというのはどういうことなのだろう。投票するのがファンであれば、あるいは実際にプレーする選手たちであれば、イングランドが最低の得票数に終わるということはありえない。

 似たようなことはオーストラリアについても言える。南アフリカでのW杯によって、選手は、ファンは、メディアは、あらためて冬の時期に行うW杯の魅力に気づいたはずではなかったか。まして、次回のW杯も南半球のブラジルである。暑さがいかにサッカーというスポーツをスポイルするものか。世界の認知度はいま以上に高まっていることが予想される。

 カタールの関係者が恐るべき努力を重ねたのは間違いない。少なくとも、彼らは日本の関係者よりははるかに暑さという要素に敏感だった。どちらの招致活動がより選手のコンディションに気を使っていたかといえば、文句なしにカタールということになる。
 だが、どれほどの大金をつぎ込もうと、カタール全土を空調のベールで包むことはできない。たとえスタジアムは快適であっても、練習場はどうなるのか。日常生活はどうなのか。選手たちは、暑さをまるで感じずに生活することができるのか。

 英国の著名なジャーナリスト、ブライアン・グランヴィル氏は、近年のFIFAを「単なる金儲け目当ての集団に成り下がった」と切り捨てる。もしFIFAがマーケティングをまるで重視しない団体であれば、02年のW杯がアジアにくることがなかったのは事実。グランヴィル氏の言葉は日本人にとっていささか耳が痛いものではあるのだが、今回の開催地決定が、最大の主役である選手たちの意向とかけ離れたものであることだけは間違いない。

<この原稿は10年12月9日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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