ニッポンのお家芸――。オリンピックなどの国際大会で、この言葉が冒頭に用いられる競技といえば、真っ先に思い浮かぶのは柔道だ。日本発祥のスポーツであり、東京オリンピックで正式種目となってから46年、オリンピックでの金メダル獲得は34個を数える。
 もうひとつ、柔道と並ぶ日本の得意競技がある。それはレスリングだ。過去の五輪で、柔道に次ぐ22個の金メダルを獲得している。中でも2004年アテネ大会から正式種目となった女子フリースタイルは4階級中2階級で吉田沙保里、伊調馨が連覇を達成し、さらに伊調千春が銀2個、浜口京子が銅2個と出場選手全員がメダルを獲得している。近年、オリンピックを観戦している若いファンにとっては、女子レスリングこそまさに“ニッポンのお家芸”と言えるのではないか。
 中でも55キロ級で五輪連覇を果たした吉田の強さは際立っている。オリンピックにとどまらず世界選手権10連覇を記録中だ。先日、中国・広州で行われたアジア大会でも、他の日本人選手が苦戦を強いられる中、見事に金メダルを獲得。同大会3連覇を果たし、女子レスリング唯一のアジアチャンピオンとなった。競技の枠を越え、日本のオリンピアンを代表する存在だ。

 08年8月、その吉田が北京のマット上でオリンピック連覇を成し遂げた瞬間を、テレビにかじりついている少女がいた。「私も吉田さんのように、あの舞台に立ちたい」。そう決心した村田夏南子は現在、JOCエリートアカデミー2期生として、レスリングと真剣に向き合う日々を送っている。

 練習嫌いを変えた2人の存在

 村田は愛媛県松山市の生まれだ。5つ上の姉を持つ彼女は、祖父・清人が指導する柔道場に幼稚園児の頃から通うようになる。道場の名は棟田武道館。多くの名選手を輩出し、地元では名の知れた道場である。
「姉の後ろをついて行くように道場に通った夏南子は、本当に練習嫌いだったんです」と母・里香は当時を振り返った。
「私の父は本当に厳しい人でした。“一生懸命練習しろっ!! 練習せんかったら、2階から宙吊りにするぞぉ”と孫を怒鳴ってばかり。それでも夏南子が言うことを聞かない時は、本当に宙吊りにしたりと……。おとなしくなって下に降ろしてもらうと、すぐに練習するのかと思ったら、祖父に“アッカンベー”と言って逃げ回るような子でしたから」
 それでも村田本人は祖父の教えてくれた柔道が好きだった。負けず嫌いの性格も幸いし、柔道の腕はメキメキと上がっていった。

 村田が小学3年の時、ある変化が起こった。祖父が肺ガンと診断されたのである。余命3カ月、いきなりの宣告だった。大好きな柔道を教えてくれた祖父の病状を知り、村田は家族にこう伝えた。「一生懸命、柔道をやりたい」。大好きな祖父が教えてくれた柔道を更に磨くため、祖父が指導できなくなった棟田武道館から、こちらも名門である伊予柔道会で練習することになった。

 ここで村田は一人の姉の同級生と出会うことになる。当時、中学2年だった先輩の名前は浅見八瑠奈。今年の柔道世界選手権48キロ級で金メダルを獲得した浅見は、当時から全国大会で活躍する選手だった。姉と仲のよい彼女の存在が村田を一段と成長させることになる。
 村田は浅見の姿から多くのことを学んだ。浅見は誰よりも練習していただけでなく、人の見ていないところでもトレーニングをしていたのだ。「練習嫌いだった夏南子は、八瑠奈ちゃんを見て変わりました。目標はいつも八瑠奈ちゃん。たくさんのことを彼女から学ばせてもらいました」と里香は話す。練習に臨む態度だけでなく、柔道着など道具を大切にする姿勢も、今の村田に大きく影響している。伊予柔道会でさらに力をつけた村田は、小学5年、6年で全国大会3位という成績を収めていく。
 孫が活躍する姿は、祖父が病魔に冒される速度を著しく遅くした。当初、余命3カ月と言われながらも、3年近く病気と闘うことができた。彼女が成長する姿を一番喜んでいたのは、言うまでもなく祖父だった。

 祖父が他界した後も、村田は柔道を続けた。中学2年では自らの技をさらに磨くため、愛知県一宮市立大成中学校へ柔道留学を決めた。これも村田自身の決断だった。中学2年で全国大会に優勝、さらにドイツ・チューリンゲンで行われたチューリンゲン国際大会でも52キロ級で頂点に立ち、順風満帆な柔道生活を送っていた。

 ルール改正が転向のきっかけに

 しかし、意外なところで村田は転機を迫られることになる。それは国際的なルール改正だった。村田は肩車やすくい投げなど、トリッキーな技を得意としていた。体の小さな村田にとって、足を取りにいくことが禁止された現行のルールでは、全国の強豪選手と対戦していくのは難しく感じられた。
 持ち上がったのがレスリングへの転向だった。「柔道で鍛えた素地は、レスリングに変わっても活きるはず」。そう考えたものの、当時の村田はレスリングのルールさえ知らなかった。長年続けてきた柔道への愛着もあった。しかし、北京で躍動する吉田の姿を見て村田の心は決まった。その日から彼女の戦いの場は、畳からマットへと変わっていった。

 レスリングへの転向を決めたとはいえ、柔道と違い、レスリングを練習する環境はなかなか整えられるものではない。愛知から実家に戻った村田は、愛媛県内に女子レスリング部を持つ高校がひとつもないことを知る。「せめて、中学生のうちから練習だけでもしたい」。そう考えた村田は松山市内の北条高校でレスリングの基礎を学び、さらにそこで紹介された八幡浜工業高校レスリング部に連日通うことになった。

 松山に住む村田が70キロ離れた八幡浜へ、それも毎日である。送り迎えは母が担当した。車で片道2時間の道のりを、中学の授業が終わると毎日のように通った。練習は17時30分から19時30分まで。帰宅する頃には22時を過ぎていた。日によっては高校に到着する時間が遅くなり、往復4時間かけても30分しか練習できない日もあった。それでも、村田は八幡浜工業に通い続けた。家族のバックアップあってこそのトレーニングだった。

 手探りながらレスリングを志す村田がJOCエリートアカデミーの存在を知ったのは偶然だった。雑誌をめくっていた姉がたまたまエリートアカデミーの特集ページを開いたのだ。この記事は村田にとって、まさに渡りに舟。早速、エリートアカデミーについて調べ始めた。

(第2回へ続く)
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<村田夏南子(むらた・かなこ)プロフィール>
1993年8月10日、愛媛県松山市生まれ。幼稚園の頃から祖父が指導する棟田武道館で柔道を始め、小学5年、6年時に全国大会で3位に入る。中学では愛知県一宮市立大成中へ柔道留学し、2年時に全国優勝を経験。同年行われたチューリンゲン国際大会でも優勝を飾る。中学3年で吉田沙保里に憧れレスリングへ転向。地元で研鑽を積んだ後、JOCエリートアカデミー2期生に合格、現在はナショナルトレーニングセンターでトレーニングを行っている。全国高校女子選手権60キロ級連覇、JOCジュニアオリンピック・カデット60キロ級優勝、全日本女子選手権・カデット60キロ級連覇、アジア・カデット選手権優勝など多くの大会で頂点に立っており、今年7月にハンガリーで行われた世界ジュニア選手権59キロ級でも3位に入った。未来のオリンピック選手として将来を嘱望されるアスリートの一人。安部学院高校レスリング部所属。




(大山暁生)
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