このところ「海老蔵」の三文字を目にしない日はない。過日、居酒屋の入り口の立看板に「海老」という字が躍っていたので「おいしい伊勢海老でも入荷したのか」と思い、立ち寄ろうとした。よく読むと「海老蔵記者会見放映中」だった。
 店内のテレビの前は黒山の人だかりだった。「こんなにお客さんが入ったのは夏のワールドカップ以来ですね」と店員はホクホク顔だった。降って湧いた“海老蔵効果”というわけか。
 余計な前置きはそのくらいにして、今回は歌舞伎と野球の関係について書いてみたい。私が知る限りにおいて、歌舞伎に最も造詣の深い野球人は王貞治の一本足打法の生みの親として知られる荒川博だ。
 荒川は東京・浅草の出身。近くに宮戸座などの芝居小屋があり、沢村国太郎らの芝居を見るのが少年の頃の楽しみだった。「海老蔵のじいさんの十一代目団十郎もよく見たなァ。これは最高の男前で今の海老蔵よりも、もっといい男だったよ。助六や切られ与三をやらせたら抜群だったな」

 歌舞伎に関する本もよく読んだ。その中で、最も興味を持ったのが六代目尾上菊五郎である。「六代目菊五郎といえば踊りの名人だけど、稽古の時は浴衣一枚で踊っていたというんだ。これは芸を仕込んだ九代目市川団十郎の影響で、団十郎は裸で踊っていたそうだ。なぜそうしたかというと踊っている最中、どこに無駄な力が入っているか筋肉の動きを見ればわかるというんだ。これは野球にも共通すると思って取り入れたんだよ」

 王貞治が一本足打法を始めたのは1961年の暮れ、つまり入団4年目を迎える前の年である。荒川は早稲田の自宅に王を呼び、パンツ一枚にして素振りを命じた。「どうせ練習を始めたら汗びっしょりになるから裸でいいんだ。冬でもパンツ一丁でやらせたよ。体重移動の良し悪しはすぐにわかる。僕が一番目を凝らしていたのは肩と腕だね。余分な力が入ると筋肉にそれが表れる。鏡の前でも素振りをさせたけど、実はこれも六代目の稽古からヒントを得ているんだ」

 六代目菊五郎の辞世の句はこうだ。
<まだ足らぬ 踊りおどりて あの世まで>
 改めて思う。バットを置く際の王貞治の心境はいかばかりだったか。

<この原稿は10年12月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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