「18歳の4番打者」と聞いても、若いプロ野球ファンはピーンと来ないかもしれない。今なら間違いなく流行語大賞の候補にあがっているはずだ。
 近鉄、太平洋クラブ−クラウンライター―西武で強打者として鳴らした土井正博が4年ぶりに埼玉西武のヘッド兼打撃コーチに復帰した。67歳。現役コーチとしては最年長である。

 現役時代、土井は右の大砲として、通算465本塁打を放っている。1975年には34本塁打でホームラン王を獲得した。
「名選手、名伯楽に非ず」というが土井はコーチになってからも手腕を発揮した。
 代表作が同じ「18歳の4番打者」清原和博である。
 ルーキーの年、清原が打率3割4厘、31本塁打、78打点という好成績をあげ、新人王を獲得できたのは、土井の型にはめない指導に依る。
 2008年、清原は自身の引退試合にわざわざ土井を招待し、「長い間、お世話になりました」と言って、深々とお辞儀をしたという。

 その一方で土井には悔恨もある。清原に内角球の対処法を教えなかったことだ。
 鮮烈なデビューを飾った清原に待っていたのはパ・リーグのピッチャーたちの執拗なインコース攻めだった。
 1年目、清原は長いリーチをいかしてアウトコースのボールを軽々とライトスタンドに運んだ。まるでプロで10年もメシを食っているような打者のバッティングだった。
 ここでパ・リーグのピッチャーは考えた。アウトコースのボールを、より遠くに見せるためには徹底してインサイドを攻めなくてはならない――。
 その証拠が死球数の多さである。清原は入団3年目15個、4年目16個、5年目15個、6年目9個と4年連続で死球王になっている。
 インコースを執拗に攻められると、どうしても体が開く。そうなるとアウトコースのボールにバットが届かなくなる。パ・リーグのピッチャーたちは、示し合わせたかのように清原の内角を突いた。
 結果的には、この執拗な攻めが功を奏したと言えるのだろう。清原は打撃3部門のタイトルをひとつも手に入れることなくユニホームを脱いだ。

 同じ轍を踏まない。そう決意した土井は松井稼頭央(現東北楽天)や中村剛也に防具を付けさせ、わざとデットボールや体スレスレのボールを投じた。
 ボールが内角を襲う。ピッチャー方向に体が開くと肩や腕の内側に当たってしまう。土井に言わせれば「体の弱い部分」だ。
 ところがキャッチャーの側に回転すると、体の外側の部分がボールを受け止めることになる。
「これだと大ケガはしない」
 清原の失敗から学んだ防御策である。

 渡辺久信監督は就任1年目、いきなり日本一に輝いた。ヘッドコーチには69歳(当時)の黒江透修がいた。強いチームは首脳陣の老壮青のバランスがいい。フロントは土井の豊富な経験にも期待しているようだ。

<この原稿は2011年1月30日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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