石川とわ(日本体育大学ビーチバレーボール部/愛媛県四国中央市出身)第2回「バレーボールに繋がった習い事」

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 愛媛県四国中央市で生まれ育った石川とわは、幼少期、様々な習い事をした。水泳、ピアノ、琴、習字、バレエ、ダンス――。そのどれもがビーチバレーボール選手としての能力に繋がっているという。石川は「水泳が肺活量、ピアノや習字が手先、バレエが柔軟性、ダンスでリズム感が今に生きています」と語り、こう続けた。

「だから習い事をさせてくれて、送り迎えもしてくれた親にはとても感謝しています」

 母親は小学校の家庭科の非常勤講師、父親は中学校の体育教師。教職にある夫妻の第二子として生を受けた。石川の父・典英によれば、彼女は4歳上の兄に付いて回る大人しい幼少期だったという。「親から見ていると、お兄ちゃんに甘えているような印象もありました」と父は言うが、本人の記憶によれば兄は追いかける存在でもあった。

「お兄ちゃんは頭の回転が速く、いつも口で言い負かされていました。ピアノなど兄と同じ習い事で、先に合格されると悔しくて練習していました。いい意味で常に上にいてくれた」

 

 運動神経は「いい方だった思います」と石川。運動会でリレーの選手には1年生から選ばれ、陸上や水泳の記録会でも好成績を残した。バレーボールを始めたのは小学3年時。四国中央市はバスケットボールとバレーボールが盛んで、いずれのチームの練習にも参加したが、すぐ虜になったのは後者の方だった。

「コーチから『スパイカーでやってみたら?』と言ってもらえた。はじめは下手くそだったんですけど、ジャンプするのが楽しくて、シンプルに“やってみたい”“楽しい”という思いだけで地元のバレーボールチームに入りました」

 

 石川によれば「愛媛県で強い方」というチームで基礎を叩き込まれた。全国大会に出場するほどでなかったが、コーチ陣も熱心に教えてくれた。バレーボールの練習に時間を割くようになるまでは、どの習い事も続けた。その点は両親のサポートなくしてはできなかったことだ。「自分たちがやりたいことを尊重してくれ、習い事も『これをやってみたい』と言えば協力してくれたんです。仕事が忙しい中でも送り迎えをしてくれました」と石川は感謝の思いを口にする。母親が送り迎えを担当し、父親も協力を惜しまず、朝の出勤前にはランニングやバレーボールの練習に付き合った。

 

人生訓の源流

 彼女の「楽しむ」「やり切る」という人生訓は両親の影響が大きい。父・典英によれば「楽しむ」姿はバレーボールをプレーしている時によく表れたという。

「小さい時からどんなポイントのかたちでも点が入れば、うれしそうに飛び跳ねていましたね。『スパイクのジャンプよりも喜んでいる時の方が高く跳んでいる』と言われていましたね」

 母からも「それがあなたのいいところだから試合中は喜びの感情を表現しなさい」と推奨された。

 

 もうひとつの「やり切る」は石川家の教育方針と言ってもいい。石川が小学生高学年時のある日、ケガや病気が理由ではなく「バレーボールの練習を休みたい」と父親に申し出たことがあった。すると父親からはこう指摘された。

「ここで1回休むんだったら辞めなさい。嫌だからという理由で休むんだったら、これからも休むことになる。それではチームメイトや監督、コーチに失礼。だったら『辞めます』と言いなさい」

 

 この言葉は石川の胸にストンと落ちた。

「確かに休むのは良くないと思いましたし、ここでバレーボールを辞めたくはなかった。この時から中途半端なことは良くない。以来、辞めたい、行かないと言うことはなくなりました」

 彼女自身が「負けず嫌いで、頑固」と分析する性格も手伝った。「できないから辞める、嫌だからもうやらないとかは理由にならない」。いつしか「やり切る」は石川にとって、当たり前のこととなった。

 

 中学に進んだ後もバレーボールを続け、中学3年時にはジュニアオリンピックカップ(JOC)に出場するための愛媛県選抜として選ばれた。父・典英は「JOCに選んでもらったことが娘のバレーボール人生にとって大きかったと思います。そこでの練習は知らなかった世界を毎日のように経験でき、うれしくてたまらない日々だったようです」と証言する。

 

 同世代のトップ選手たちと切磋琢磨し、そのおかげもあり、高校は愛媛県の強豪から誘いがきた。「上下関係はありますが、先輩後輩の仲が良かった。教えてくれることも理に適っている。楽しく成長できると感じた」と雰囲気が合いそうな、三島高校に進学したのだった。

 

 

(第3回につづく)

>>第1回はこちら

 

石川とわ(いしかわ・とわ)プロフィール>

2002年8月27日、愛媛県四国中央市生まれ。小学3年でバレーボールを始める。三島高校進学後、ビーチバレーを。高校2年時にマドンナカップ、国民体育大会に出場し、U19日本代表にも選ばれた。日本体育大学進学後、ビーチバレーに専念。大学3年時に1学年上の福田鈴菜と組み、全日本大学ビーチバレーボール選手権大会でベスト4入りを果たす。大学4年時には1年生の松崎伊吹とのペアで関東大学ビーチバレー選手権大会ベスト4入りし、全日本大学ビーチバレー選手権では優勝した。同大会制覇は日体大女子初。身長171cm。右利き。モットーは「常に楽しむ」「やり切る」。

 

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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