昨シーズンは球団創設以来、3年連続で上信越地区優勝を果たしたものの、その後のリーグチャンピオンシップでは石川ミリオンスターズに破れ、リーグ連覇を達成することができませんでした。最大の敗因は私自身の驕りにあったと思っています。というのも、リーグ戦での石川との対戦成績は7勝1敗でしたから、「普通にやれば勝てるだろう」という甘い考えを抱いていたことは否めません。2戦目、3戦目と連敗をしても「4、5戦目を奪い返せばいい」という思いがあり、既に四国・九州アイランドリーグとの独立リーグチャンピオンシップを見据えてしまっていたのです。これは驕り以外のなにものでもなく、監督として深く反省しています。
 さてチームはというと、投手に関しては防御率2.88は石川と並んでリーグトップではありましたが、前年は2.30だっただけに手離しで喜ぶことはできません。被安打数は572本から588本とそれほど変わっていませんし、被本塁打は29本から18本と減少しています。ところが、与四球数が143個から212個と膨れ上がっているのです。例えば09年に1.55で最優秀防御率を獲得した堤雅貴(高崎商高)は昨季は2.51。与四球数も23試合で15個だったのが、22試合で34個と2倍以上に増えてしまいました。これは球のキレや変化球の習得を優先した結果、制球力については取りこぼしてしまったと言わざるを得ません。

 そして、専任の投手コーチが不在だったことも投手陣にとっては厳しかったと思います。その点、今シーズンは指導者経験豊富な八木沢荘六氏が投手コーチに就任しました。非常に温和な方で私も個人的に尊敬している方です。投手陣のスキルアップはもちろん、リーグ全体にとっても好影響を与えてくれるのではないかと思っています。

 一方、打撃の方は打率2割9分7厘、37本塁打、359打点という成績を残しました。特に前期はフランシスコ・カラバイヨ(現オリックス)が15本塁打、46打点を叩き出し、
圧倒的な力で白星を伸ばすことができました。ところが、後期はカラバイヨがオリックスに移籍したことに加え、井野口祐介(桐生商高−平成国大−富山サンダーバーズ)や川村修司(帝京高−REVENGE99)といった主力に故障者が出たことで、攻撃力が落ちてしまいました。

 そこで後期は、戦力の底上げをはかるため、若手選手の力を伸ばすことを主眼に置きながら戦いました。新潟アルビレックスBCに首位の座を明け渡してはいましたが、なんとか離されなければ、9月以降に逆転できるのではという計算だったのです。結果的にその通りになったわけですが、特に成長したのが捕手の聖哉(前橋育英高)でした。実はシーズン途中、聖哉を試合に出場させない時期がありました。理由は彼の野球への思いや取り組みについて甘さが出てきていたからです。

 勝つことだけを考えれば、聖哉を出場させていたでしょう。しかし、私は試合の結果だけを求めて選手起用はしません。なぜなら、このリーグは人間育成の場。私が群馬ダイヤモンドペガサスの監督をしている意味はそこにあると思っています。ですから、時には人間的成長を考慮しての敗戦も受け止めなければなりません。当時の聖哉を考えれば、本人にとってもチームにとっても彼を外すことが賢明な選択ではあることは明らかだったのです。

 これは聖哉だけに限ったことではないのですが、特に彼のように3年目の選手はグラウンドに出ることが目的になっていたように感じられました。本来であれば、「群馬への地域貢献」「NPBへの昇格」といった目的があって、そのための手段のはずなのです。ところが、彼らに目的意識が失われているように見えました。「自分がなぜこのリーグにいるのか」がわからなくなっていたのです。

 聖哉は試合に出場できなかったことで、いろいろと考えたのでしょう。その後の彼には「負けてなるものか」という必死さが取り組みにも表れてくるようになりました。「なぜ、試合に出場できないのか」「何が自分には不足しているのか」を彼なりに考えたのだと思います。まだ十分とは言えませんが、確かに成長の痕は見えました。これを今シーズン以降に繋げていってほしいなと願っています。

 前述した八木沢コーチのほか、野手コーチには昨シーズン限りで現役を引退した青木清隆が就任しました。3年間、プレーヤーとしての彼を見てきましたが、最後まで諦めずにボールを追いかける、その姿勢には光るものがありました。これまで育んできた野球への情熱や根気といったものを、今度は指導者として発揮してほしいと思います。

 今シーズンは地区4連覇、そしてリーグ王者の座を奪還。さらには四国・九州アイランドリーグとのチャンピオンシップを制して、BCリーグでは初の独立リーグ日本一を達成させたいと思っています。ぜひ、球場に足を運んでいただき、選手に熱い声援をお願いします!


秦真司(はた・しんじ)プロフィール>:群馬ダイヤモンドペガサス監督
1962年7月29日、徳島県出身。鳴門高校3年時には春夏連続で甲子園に出場。法政大学時代の84年、ロサンゼルスオリンピックに野球日本代表として出場し、公開競技ながら金メダル獲得に貢献した。翌年ドラフト2位でヤクルトに入団し、4年目には正捕手として122試合に出場した。その後、外野手に転向し、90年代のヤクルト黄金時代を築き上げる。99年に日本ハム、2000年に千葉ロッテへ移籍し、その年限りで現役を引退した。その後はロッテの打撃コーチや中日の捕手コーチ、解説者として活躍。08年に群馬ダイヤモンドペガサスの初代監督に就任した。
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