西本恵「カープの考古学」第79回<高卒ルーキー百花繚乱編その2/苦しい台所事情に救世主――カープ史に名を残す新人>
カープはエース長谷川良平が、名古屋軍からの引き抜き事件の余波を受け、開幕戦に投げられないという危機に陥った。球団創設3年目のシーズン直前、昭和27年の3月のことだった。石本秀一監督はじめ、首脳陣らは、長谷川がチームの生命線であったため気が気ではなかった。前年12月から3カ月余りの間、カープファンともども、非常にやきもきしていた。
この頃、広島の町は徐々にではあるが、活気付き始めていた。人々は辛抱強く働き、映画などの娯楽に興じた。上映される映画も友好国となったアメリカのみならず、ヨーロッパの国々の映画も上映され始めた。昭和27年3月2日の「中国新聞」の映画紹介のコラムに登場するのは、ハンガリーの作品「ヨーロッパの何処かで」だ。この映画はドナウ川の沿岸で、浮浪児らが生きるために、畑の芋を盗み、豚や鳥などの飼育農家を襲うことからストーリーは展開する。この子どもらが、古老の音楽家に出会い、改心して暮らすところが映画の見どころ。しかし、盗みを働かれたことに怒る村人らと敵対する。この時代は、まさにヨーロッパのどこかにおいても、食べ物を巡っての争いが多かったのだろう。
さらに、2月27日の同コラムでは、イタリア映画「にがい米」についても伝えている。物語は、2人組の泥棒が、水田地帯に向かう女性ばかりの田植え労働者の群れに紛れ込むことから始まる。この水田で田植えの際に起こる女性たちの取っ組み合いのシーンをはじめ、夜のダンスパーティーでの艶やかに踊る女性に魅了されてしまう。さらに米の盗みが計画されたことに起因して殺人まで起こるのだ。やはり、この作品からも人々が食べていくのさえ苦しい時代が感じられる。
これらから、いかに世界中が第二次世界大戦後、食べていくことの厳しさに直面していたか、わかる。スクリーンで描かれる、食べることへの渇望が、時代背景と共に感じられるのだ。
それは昭和27年当時のカープもまた然りである。特定の親会社を持たない球団経営により、前年には大洋球団への吸収合併かと、球団史上に残る大騒動があった。まさに食えない日々を過ごした時代である。ほぼ1年前のことだ。その食えない日々を、石本監督の発案により後援会が結成され、そして一人ひとりの小さなお金の積み重ねが、大きな資金源となり、球団経営を賄うのだ。食いぶちを得たカープは、飛躍へとつながっていくのだ。
壮行会の賑わい
それはさておき、カープ投手陣の台所事情であるが、やっとの思いで、球団経営も波に乗り、これからという3年目の開幕にエースが投げられないのである。昭和27年、エース長谷川を除いて、勝利への期待がかかるのは、前年に社会人野球の熊谷組から入団して、前年の開幕投手を務めた杉浦竜太郎、高卒ルーキーの大田垣喜夫、さらに、県庁から入団した軟式野球あがりの渡辺信義らである。彼らの前シーズンの勝利数は、ルーキーの大田垣を除き、杉浦6勝、渡辺0勝。カープ投手陣の台所事情はまさに火の車だった。
開幕戦は昭和27年3月21日、呉市二河球場。この前日20日に、長谷川が広島への帰還を果たした。広島駅着午後2時47分の列車「筑紫」で、駅頭でもみくちゃにされるほどの大歓迎の後、広島総合球場に移動し、チームメイトに詫びを入れた。さらに向かった広島市基町にある児童文化会館でも歓迎を受けた。熱心なファンたちが建物をぐるりと囲んでいた。
「グラウンドさながらどよめく声援」(「中国新聞」昭和27年3月22日)
ここでは開幕に向かって「カープ壮行会」が催された。この時、司会進行のアナウンスを担当したのが、カープに入社したばかりの森川英之(後の渡部英之)である。広島総合球場のウグイス嬢ならぬ、カラス男となり、場内アナウンスを担当した。
この森川英之については、『広島カープ昔話・裏話~じゃけぇカープが好きなんよ~』(トーク出版)に詳しい。
壮行会では、河野義信副知事をはじめ、中国新聞の糸川成辰編集局長らお偉方の挨拶が始まる。ファンからは長谷川に質問が浴びせられるシーンも。「いったい何勝してくれるのか」、勝利数に期待する質問である。
<「わたくしは何勝しようなどとは考えてはいない、全力を挙げて投げ抜き広島カープのマウンドを守る決心です」>(「中国新聞」昭和27年3月22日)と声に力を込めて今シーズンの活躍を誓った。
この「カープのマウンドを守る」の言葉に会場は大いに沸いたという。壮行会のクライマックスは、ファンに向かってサインボールの投げ入れが行われ、会場のボルテージは最高潮に達した。さらに、この日の会場入り口では、たる募金によってカープの強化資金が集められ、総額1万2170円にも及んだ。壮行会終了と同時に映画「野良犬」が上映され、ファンはまさに娯楽一色の時を過ごした。この作品は黒澤明監督の初の犯罪サスペンスとされ、刑事が女性スリにコルト式自動拳銃を掏られてしまうことからストーリーは始まる。盗まれた銃は野球好きという闇ブローカーの手に渡り、銃を取り返すために、さまざまな人と人との因果が浮かび上がる名作だ。
こうしたカープの壮行会の賑わいの中でも、石本監督は総合球場での練習で、当然ながら翌日の開幕戦への布石を打っているのだ。
先発・大田垣を告げた日
この3月20日のカープには、もう一つのドラマがあった。高卒ルーキーの開幕戦先発の大抜擢だ。
生前の大田垣(取材時は備前)の取材から、2人のやり取りを再現する。
「明日、いくで」と石本。
「エッ、ええ」とただ、びっくりした大田垣。
この時の大田垣の心境であるが、「言われたらいくしかない。私はダメですよ、と言うわけにはいかない」と腹をくくった。
後に彼はこう振り返っている。
「私は、前の日ぐらいじゃなかったかと思いますよ。うん。“明日(先発で)行くで”“えー”いうて、びっくりしたんですから」
告げられた日や場所を詳しく聞くと、大田垣は「ちょっとそこらが定かではないですが……。練習中かもわからんですが、当日の朝ではなかったと思います。前日じゃったと思います」と答えた。
3月20日は先述したように長谷川が、広島に戻り、ファンの前でカープのために投げることを誓った日だ。
さあ、いよいよ、開幕戦だ。カープ新人・大田垣が、開幕マウンドに立つ。迎え撃つは、前々年のセ・リーグの覇者であり、あの水爆打線の異名をとった松竹ロビンスだ。小鶴誠、金山次郎、三村勲らの強力打線を相手に、大田垣はどんなピッチングを見せるのか、こうご期待である。
【参考文献】
「中国新聞」(昭和27年2月27日、3月21、22日)、『広島カープ昔話・裏話~じゃけぇカープが好きなんよ~』(トーク出版)
<西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。
(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)