西本恵「カープの考古学」第80回<高卒ルーキー百花繚乱編その3/先発・大田垣、開幕戦で不滅の大記録が誕生>

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 日本にプロ野球が誕生して、90年にも及ぶ歴史の中、様々な名勝負・名場面が生まれ、ファンを熱狂させてきた。これは試合だけに限らず、記録として残る数字もしかり。歴史が次のヒーローを生み出すまで、記録保持者としての名前が刻まれ、その栄誉とともにファンの心に残る。しかし、こうした記録は破られるためにあるものとも言われる。次なる世代へと引き継がれていくことで、ドラマが生まれる。さて、そこに破られることのない数字があったら、どうなるであろうか――。カープ史において、現代のプロ野球においても、不滅であろう記録が、球団創設3年目の開幕戦において生まれるのだ。

 

プロ初打席で快打

 それは昭和27年3月21日、広島県呉市にある二河球場で行われた松竹ロビンス対広島カープの開幕戦のことだ。前日の練習時に、カープ監督の石本秀一は、開幕戦の先発投手であることを大田垣喜夫(後の備前喜夫)に伝えた。広島県尾道市で生まれ育ち、尾道西高校(現・尾道商業)硬式野球部に所属し、エースで4番を任された。いわゆる攻守の主軸。しかし前年、高校3年夏、広島県大会決勝戦で優勝したものの、当時は西中国大会で優勝しなければ甲子園には行けず、その西中国大会の決勝戦で下関西高校に敗れた。甲子園出場が果たせず、いわゆる無冠のエースだが、プロ野球に入っていきなり大役を任されたのだ。

 

 先発大田垣は、呉市二河球場のマウンドに立った。弱冠18歳と5カ月あまりの青年である。立ち上がりをスムーズに投げ、3回まで水爆打線と称された松竹ロビンスの強打者たちをゼロに抑えた。

 

 大田垣の見せ場がやってきたのは3回裏のカープの攻撃、彼のプロ初打席だ。松竹ロビンスの先発・荻原隆から大田垣はレフト前に弾き返し、球場を沸かせた。荻原は続く1番の白石勝巳を抑えたものの、新人に打たれたとあってか、急に乱れ、塚本博睦と武智修に連続でフォアボールを与え、ワンアウト満塁とした。ここで4番の大沢伸夫(後の清)を迎えた。大沢は日本ハムで監督を務めた大沢啓二親分の兄である。ライト前にうまくヒットを放ち、2点を先制した。大沢は“高卒新人の大田垣が打つならば、ワシがやらないわけにはいかない”と奮起したのだろう。

 

 4回表に松竹はノーアウト二、三塁と大田垣を攻め立て、一打同点の場面をつくった。しかし、大田垣はなんとか1失点で耐えた。この粘りのピッチングが、カープの勝運を手繰り寄せた。

 カープがダメ押したのは8回裏の攻撃。塚本がボテボテの内野安打で出塁。リリーフした片山博投手の暴投により、二塁に進んだ。片山はこの動揺が残ったのか、門前真佐人には三塁線破る快心の一打を浴びた。

 

 大田垣は強打の松竹打線を7安打に抑え、9回を投げ切った。初登板、初先発、初勝利を開幕戦で挙げた。加えて、カープ3年目の最初の得点も大田垣が記録。幸先の良いスタートとなった。

 この日の大田垣は高卒新人投手による開幕戦初先発完投勝利というプロ野球初の記録を達成した。ところが、当時はそれほど騒がれなかったという。昭和20年代に、高卒ルーキーが開幕戦に先発して勝利したことはもう一例ある。昭和29年、阪急の梶本隆夫だが、完投ではない。結果、大田垣の記録はプロ野球90年に及ぶ歴史の中においても、唯一無二のものとなったのだ。

 

 現代のプロ野球で、高卒新人が開幕戦を投げることは極めて少ない上、投手の分業制が進んだ近代野球において、完投勝利をすることも激減している。現時点で誰にも達成できていない記録となって残ったのである。

 

記録を誇らない性格

 これほどまでの記録を成し得た大田垣だが、これが当時広島のエースである長谷川良平が、名古屋軍にかくまわれる移籍騒動がなければ当然ながら、起こり得なかったことである。まさに不幸中の幸いで、投手陣のコマ不足に嘆くカープの苦肉の策が功を奏したのだ。

 

 このことを生前の備前喜夫(大田垣)に聞いた。

「いや~、まあねえ、ピッチャーがいなかったということですよ。カープに……。それだけですよ」とあっさり。

 取材中、令夫人の由貴子さんが、隣で言葉を挟んだ。

「監督さんがえらいんでしょうね」

「監督さんがいい度胸があったのではないですか」

 

 これには備前が反応した。

「監督さんは、度胸がええとか、じゃのうして……。監督さんは、どうしようもないけー、お前いけー、いうようなもんでね」。

 

 備前が開幕戦に登板できたのは、カープの投手陣の頭数がそろっていないが故のことであるのは想像に難くない。しかし、それだけではない。備前から興味深い話もあった。

「セントラルリーグは、開幕戦の前にトーナメントをやっていた。その時に後楽園で、“先発せー”言うて、まーマウンド行ったら、全然何にも見えんのです。緊張しすぎて、それでキャッチャーがどこにおるんかいのーいうような感じじゃったですよ。まあとにかく、マウンドに行って投げたのはえーけど、3球続けてバックネットへぶつけた。“こんなんだったら、野球できりゃへんで”って思ったよ。まだシーズン前だったから、おそらく3イニングぐらい投げたかと。そういうような状態ですから……なんかプロ野球で、この先はどうなるんかのー。打たれもしたし、ストライクが入らんし」

 

 乱調の大田垣を救ったのは、キャッチャーの藤原鉄之助の存在だったようだ。

「キャッチャーは藤原さんで、“お前どうなっとるんか”いうようなことですよ。“ちゃんとワシみて投げて来い”言うて。(ところが)見えんのです。そりゃー、難しい思うた」

 

 この試合の記録については、「中国新聞」(昭和27年3月16日)にある。

 このセントラルリーグ開幕前のトーナメント(読売旗争奪大会初日:3月15日、広島対国鉄戦)で、先発の大田垣は終盤近くまで投げ、杉浦竜太郎と交代しているところから、「3イニング」というのは本人の記憶違いだろう。結果、この試合、カープは3対4で国鉄に敗れている。中盤に1点ずつ失点をし、終盤に代わった杉浦が打たれたのだ。登板の冒頭で、備前の言うバックネットにぶつける大暴投があったにしても、よくしのぎ、クオリティスタートともいえる6回、3失点に抑えているのだ。

 

 カープとしても大田垣を開幕投手の着実な準備として、後楽園での大舞台を経験させ、開幕を迎えているのだ。しかしながら、備前からの話としては、「誰もおらんけー、お前行け」や、「監督さんがよかった」、さらに「大暴投をした」などといった内容ばかりである。ここに備前の人柄が表れている。自身の手柄を誇らず、控えめに語る。加えて失敗のエピソードばかり披露するため、この「高卒ルーキー開幕戦完投勝利」の大記録は大々的に広まることもなく、球界の伝説になることもなかった。カープファンとて知る人は極めて少ない。

 

 しかし、入団当初から大田垣の実力がいかにプロ級であったかの証として、ルーキーイヤーで7勝(17敗)を挙げている。打てない勝てない、この年も6位という成績で、最下位争いの常連のカープでの7勝は、二桁勝利に勝るとも劣らぬ価値があるのではなかろうか。実際、入団2年目からは5年連続で二桁勝利を達成している。

 

 高卒投手が入団直後から活躍したケースは昭和31年の阪急・米田哲也と西鉄・稲尾和久をはじめ、昭和34年の中日・坂東英二と巨人・王貞治(後に打者転向)、昭和40年代になると西鉄の池永正明、巨人の堀内恒夫、阪神の江夏豊など一部の例外を除いては、あまりなかった。戦前では沢村栄治、別所毅彦、スタルヒンらの中等学校卒(沢村は中退)くらいだろう。昭和27年は高卒ルーキーなどという言葉があまり聞かれない時代だった。開幕戦への注目度が高まったのは、プロ野球が大衆娯楽として成長した昭和30年代以降であり、大田垣の記録は声高に報道されることはなかった。

 

 さあ、カープ3年目のシーズンは開幕した。勢いがついた第1戦を終えて、第2戦の先発はいったい誰であろうか――。エース長谷川が投げられる状態にない窮地を救ったのは、やはり高卒ルーキーだった。大阪興国商業高校出身の松山昇が、第2戦に先発した。松山は、初回の立ち上がりに驚きのピッチングを披露する。ご期待あれ。

 

【参考文献】
「中国新聞」(昭和27年3月16日、22日)、『プロ野球60years「剛球と魔球」投手の怪物伝説』(笠倉出版社)

 

 

西本恵(にしもと・めぐむ)プロフィール>スポーツ・ノンフィクション・ライター
1968年5月28日、山口県玖珂郡周東町(現・岩国市)生まれ。小学5年で「江夏の21球」に魅せられ、以後、野球に興味を抱く。広島修道大学卒業後、サラリーマン生活6年。その後、地域コミュニティー誌編集に携わり、地元経済誌編集社で編集デスクを経験。35歳でフリーライターとして独立。雑誌、経済誌、フリーペーパーなどで野球関連、カープ関連の記事を執筆中。著書「広島カープ昔話・裏話-じゃけえカープが好きなんよ」(2008年・トーク出版刊)は、「広島カープ物語」(トーク出版刊)で漫画化。2014年、被爆70年スペシャルNHKドラマ「鯉昇れ、焦土の空へ」に制作協力。現在はテレビ、ラジオ、映画などのカープ史の企画制作において放送原稿や脚本の校閲などを担当する。2018年11月、「日本野球をつくった男--石本秀一伝」(講談社)を上梓。2021年4月、広島大学大学院、人間社会科学研究科、人文社会科学専攻で「カープ創設とアメリカのかかわり~異文化の観点から~」を研究。

 

(このコーナーのスポーツ・ノンフィクション・ライター西本恵さん回は、第3週木曜更新)

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