はじめまして。今シーズンから信濃グランセローズの総合兼守備走塁コーチに就任した猿渡です。今回、就任のきっかけを与えてくれたのが佐野嘉幸監督でした。私は昨季まで東京ヤクルトの二軍監督を務めていたのですが、任期満了ということで昨年9月末に退団が発表されました。その報道を新聞で目にした佐野監督が「長野に来て、一緒にやらないか」と直々に電話を掛けてくれたのです。最初は長野という、これまで縁がなかった土地に行くことに少し迷いがありました。しかし、よくよく考えてみると、球団とは結構縁があったのです。実は佐野監督は私が1970年に東映フライヤーズに入団した時の先輩。現役引退後には日本ハムの二軍コーチとして一緒に指導したこともあります。さらにグランセローズの代表取締役社長は三沢今朝治さん。三沢さんも東映の先輩であり、日本ハム時代には編成部長をされていました。そんなことで、グランセローズには不思議な縁を感じています。
 そしてもう一つ、コーチ就任を引き受けた理由があります。前述したように、私は昨季まで3年間、ヤクルトの二軍監督を務めましたが、実は監督というポジションに少し物足りなさを感じていたのです。というのも、私はそれまで長年、日本ハム、ヤクルトとコーチ業をしてきました。練習ではノックをしたりして、選手と一緒に汗を流してきたため、基本的に観ることが仕事である監督をやっていて、「動きたいな」と感じることもしばしばあったのです。ですから、今回のコーチ就任への話は私にとっては願ったり叶ったりでした。

 BCリーグとはヤクルトのコーチ・監督時代から何度か試合をしたことがあります。初めて対戦したのはBCリーグが発足した2007年。その年の夏、新潟県で起きた中越沖地震のお見舞いを兼ねてイースタン・リーグの若手選手で結成された混成チーム・フューチャーズが柏崎市を訪問し、BCリーグ(当時は北信越BCリーグ)の選抜チームと交流戦を行なったのです。2試合やったのですが、1試合目は何と2−10とフューチャーズが完敗したのです。その時、フューチャーズの選手に言ったものです。「BCリーグの選手のように泥臭くても、必死にやっている姿を見て、お客さんは元気になれるんじゃないのか」と。

 その後もヤクルトのファームがグランセローズと交流戦をしたこともありました。もちろん、技術的にはファーム選手の方がはるかに上だと感じていました。しかし、いつ見てもBCリーグの選手たちの一生懸命さはひしひしと伝わってくるものがありました。もちろん、その時はまさか自分がBCリーグのコーチになるとは夢にも思いませんでしたが……。今さらながら人生というのは面白いものだと感じています。

 さて、2月1日からは合同自主トレーニングがスタートしました。まだグラウンドには雪が積もっていますし、選手たちの中には昼間はアルバイトをして、練習時間が取れるのは夕方以降の数時間という者もいます。練習環境には決して恵まれていませんが、それでも選手たちの表情は真剣そのもの。専用に使える体育館がない球団もあると聞いていますが、そんな中、グランセローズは中野市から優先的に体育館を使用させてもらっています。こうした地域の協力もあり、非常に有意義なトレーニングを行なうことができています。

 昨シーズンのチーム成績を見てみると、やはり目立つのがエラー数です。104はリーグワースト。2番目に多かった富山サンダーバーズでも86ですから、グランセローズがいかに多いかがわかるでしょう。その改善策として、まず取り組んでいるのがキャッチボールです。NPBもそうですが、守備でのエラーで最も多いのは送球ミス。この要因はボールを捕ってすぐに投げようとするあまり、キャッチングが疎かになって体の動きが流れてしまうことにあります。

 ピッチャーを見ても、一度きちんと胸の前で制止した状態から投げ始めますよね。つまり、ピッチングは体の中心から始まります。これはスローイングについても同じことが言えるのです。きちんと胸の前でキャッチをして、それからスローイングの動作が始まる。つまり、スローイングでは「投げる」ことよりも、まずは「キャッチ」すること。ここに重点を置かなければいけないのです。ですから、この自主トレーニングでは「キャッチング」を徹底させて取り組んでいこうと思っています。そして今季は72試合でエラー数を50以下にすることを目標にやっていきますので、今季はグランセローズの守備にもご注目ください!

<猿渡寛茂(さるわたり・ひろしげ)プロフィール>:信濃グランセローズ総合兼守備走塁コーチ
1949年4月28日、福岡県生まれ。三池工業では巨人・原辰徳監督の父親・貢氏の指導を受け、3年時には主将として活躍。三菱重工業長崎造船所を経て、70年に東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)に入団した。プロ8年間で通算164試合に出場し、打率2割4分4厘。引退後には日本ハムやヤクルトでコーチとして指導し、08年からは東京ヤクルト二軍監督を3年間務めた。1年目の08年にはファームを10年ぶりの優勝に導いた。今季より信濃グランセローズのコーチに就任した。
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