大震災が起きた日、私は京都にいた。ボクシングの元OPBF東洋太平洋バンタム級王者・村田英次郎(現エディ・タウンゼントジム会長)を取材するためだ。大阪府高槻市のジムから最寄り駅まで車で村田に送ってもらい、そこから京都に出た。地震の発生を知ったのは京都駅のプラットホームだった。
 村田は23年前に他界した名トレーナー、エディ・タウンゼントが手塩にかけて育てたボクサーである。世界王者にこそなれなかったが一流のチャンピオンであるルペ・ピントール(メキシコ)、ジェフ・チャンドラー(米国)と互角の打ち合いを演じた。いわゆる「記録よりも記憶に残るボクサー」である。恩師の名をそのままジム名にいただいているのだから、いかにエディやエディの家族から愛され、信頼されていたかがわかる。

 エディにまつわる昔話に花が咲いた。「(所属ジムのあった)下北沢での出来事。ハンバーガーショップに入り、2人でコーヒーを飲んでいた。すると何かの拍子で隣のお客さんのテーブルにミルクを少し引っかけてしまった。僕は何度も“スイマセン”と謝ったんですが、お客さんは無反応。ブスッとしたまま何も言わない。ついにエディさんがキレちゃった。“アナタ何よ、人が謝っているんだから許してあげなさいよ!”。僕もエディさんも当時の下北沢では有名人。こっちがヒヤヒヤしましたよ」。村田はエディを評して“ヤンチャなオヤジ”と言った。

 エディは名言をたくさん残している。古い取材ノートからひとつ紹介しよう。「勝てばトモダチ、いっぱいくるの。知らなかった人でも、今日からトモダチよ。でも負けたら、トモダチ誰もいなくなる。ボクシングは冷たいスポーツよ」。エディは負けた選手に対しては最後まで付き添った。しかし、勝てばさっさと引き揚げる。誰に対してもそうだった。敗者や弱者の気持ちに寄り添える人だった。

 話をプロ野球に転じる。被災地に、やれ「勇気を」「元気を」とかまびすしい。そう言う人たちに限って被災地や被災地を本拠地にしている球団、その球団が所属しているリーグに寄り添う気持ちが見られないのが悲しい。国難に直面している今、国民的スポーツであるプロ野球が唯一、発せられるメッセージがあるとしたら、それは人々の絆や連帯の尊さではないだろうか。

<この原稿は11年3月23日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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