フランスの作家ロマン・ギャリは著書「ヨーロッパ風教育」にこう書いた。
「人は昔から、絶望から逃れるための避難所を必要としてきた。その避難所は、時に歌であり、詩であり、音楽であり、本である」
 この本が出版されたのは、第二次大戦が終わったばかりの1945年だった。時代は違うし国も文化も違う。それでも、戦時中レジスタンスとして活動し、戦後は外交官としても活躍したギャリの言葉は、半世紀以上たった現在の日本にもぴったりと当てはまる。現代の後知恵を付け加えるなら、もう一つ、スポーツという“避難所”もあるということか。
 FC琉球のHPを見ていたら、こんなエピソードが紹介されていた。
「沖縄のチャプリンと呼ばれた小那覇舞天さんは、“ヌチヌグスージサビラ(命のお祝いをしましょう)”“生き残った者が生き残った命のお祝いをして元気を取り戻さないと亡くなった人たちも浮かばれないし、沖縄の復興もできない”。そんなお話をしながら戦後の沖縄を生き残った人々に笑顔を届けていました」

 選抜高校野球が開幕した。命のお祝いの始まりである。喪は、いつか明ける。いつかは、頭を上げて歩きださなければならない。時期尚早を言う人の気持ちを尊重しつつ、だから、あえて開幕に踏み切った人たちの勇気も称賛したい。うなだれたまま、誰かが立ち上がるのを待つという選択肢、矢面に立つのを避けるという選択肢もあったはずだからだ。

 うちひしがれた人たちが元気を取り戻した時、次に必要なのはやはりお金になってくる。いま、全国で多くの著名人が街頭にたって募金を集めているが、他に出来ることはないか。スポーツにできることはないか。そう考えて、ふと思いついたことがある。
 totoはどうか。
 このクジが立ち上げられたのは、ご存じの通り、日本のスポーツを振興するためだった。だが、スポーツの母体である国という母屋が揺らいでしまった以上、避難所を充実させている場合ではない。今後しばらくは、東北振興くじとして運営していくことはできないか。せめて、現在のキャリーオーバー分や、中止になって宙ぶらりんになった今年2回目の申し込み分を至急被災地に回すことはできないか。
 知人の弁護士に相談したところ「使途の変更には法律を変える必要がある。政治家を動かすには署名集めが一番効果的だろう」とのことだった。皆さんのご意見はいかがだろうか。

<この原稿は11年3月24日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
◎バックナンバーはこちらから